空へ落ちる

あんぜ

第1話 空へ落ちる

『はいー、データリンクのチェックどぞー』


 快活な女性の声が通信機から聞こえてくる。


「一番二番オン、三四オフ、五から八までオン」


 は指示に従い、主機の点検状態を報告する。


『オッケー確認したー。ブロー7、識別と記録は切ってねー』


りょ。発進許可よろ」


『発進許可おけー』


 巨大な扉が滑らかにスライドしていくと、外の強い光が暗い屋内を白く照らす。そこには眼窩までの高さが9mもある青い巨人が立っていた。巨人の体は無論、人のそれではなく、無機質な外殻を纏い、電気により動いていた。


「ブロ、今日はなんか調子悪い」


『そんなことないけどねー。お金は無いけど事前チェックは入念にやったし、そこの星にも合わせたよ。レギュレーション違反もないし』


 そこの星――扉の外は青でいっぱいだった。おそらく水資源の豊富な星なのだろう。そして見える範囲は厚い雲で覆われてはいない。つまりは水と厚い生態系の層が星表面のエントロピーを食い潰して安定した気候を生している可能性が高い――そうは思った。


「こんな星、高いんじゃないの?」


『どうだかねー。今回、傭兵多いみたいだけど。じゃ、フットパスに合わせてね』


 ※フットパス:降下機体を使わない単独降下の際のルート

「了」


 青い巨人は何もない空間へと一歩を踏み出す。何もない――空気さえもない空間。扉を離れた巨人はゆっくりと青い星に向かって落ちていった。



 は青い巨人の中に居た。

 彼女はこの重力に引かれて落ちる時間が好きだ。何もかもから自由になる時間。

 できればこのブルージ用のスーツを脱ぎ捨て、裸で漂っていたかった。

 恍惚とした顔を浮かべていた彼女は、突然のアラートに眉をひそめる。


『N2からエクサクセル接近』


「ハァ? もうやり合う気なの? だれ? またリノカー?」


『リノカーちゃんでーす。彼女も懲りないねえ』


 複合スクリーンにリノカーと識別された点が映し出される。おそらく降下態勢が整う前から発艦し、惑星を一周してきたのだろう。


「あいつはアホなのか」

 

『下手すればレイダのシールドに当たるのにねー。よくやるわ』


隠蔽装置クロークは?」


『無理じゃないかなー』


「はぁ……仕方ない。書き換えベルシュングリュクで降りる」


『了。気を付けてねー』


 彼女がを起動すると、フッ……っと青い巨人はその場所から消えた。そして起動直前にその場に展開させたあるモノ。それだけが漂っていた。入れ替わるように粒子ビームが撃ち込まれるも、むなしく通り過ぎるだけ。やがてを放った巨大な三角形の飛翔物が近くを通り過ぎると、大きな爆発が起こる。



「あーあ、Sマインスターマインにそのままツッコんじゃった。生きてるかなリノカーちゃん……」


 小さな管制室で、染めた髪をツーテールにした褐色の肌の少女は独り言ちた。











 ◇◇◇◇◇



「はぁ……もぉやだ」


 空の見えるベンチで黒髪の少女は仰ぎ見るその目に涙を溜めていた。

 昨日の夕方、下校時間に二年の先輩にこの場所に来てもらい、告白をしたのだ。

 結果には納得している。自分はそんなに美人でもない。胸もないのに背丈だけはある。


 だけどその顛末を同級生に撮影されていた。


 同級生たちからは普段からよく思われていなかった。

 揶揄われたり、トイレに閉じ込められたり、物を隠されたりしたけれど、少女は気丈に振舞っていた。

 だから彼女たちからは余計に疎まれることとなった。


「いいなあ、空は」


 彼女は小さい頃から空を見上げてはよく妄想をしていた。


 あの空に落ちたらどうなるだろう――。



 すぅ……っと体が浮いた感触。

 何にも掴まることができない無力さ。

 青い空にどこまでも落ちていく感触。行く手を阻むものは何もない。


 時にはあのもくもくとした白い綿あめのような雲に落ちる。

 なんて立派な城なんだろう。

 けれどそれが水の粒の集まりと言うことは良く知っている。

 私は無力なまま白い雲を突き抜けていく。


 あるときは暗い雨雲。

 グレーの雲の中に落ち、冷たい水滴にびしょびしょになる。

 けれどやがてそれは終わり、雲海の上に出る。

 空は青から黒へ傾き、白い海原は未知の大陸のよう。


 いずれにしろ、私は青い空に吸い込まれるように落ちていく。

 怖くはない。だって、ぶつかる場所は無いから。

 やがて私は眠るように死ぬ。希望では安らかに。

 そしてどこまでも漂って行くんだ。

 重力と言う枷は無い。



「もう疲れた。飛び降りようかな」


 彼女のいた場所は、ぐるり一周をフェンスで囲われている。

 制服のスカートを引っかけながら、フェンスの外側に出てみる。後付けのフェンスだったためか、フェンスの外にもかなり余裕があった。下を覗きこむ。人はいない。


「うう……やっぱり落ちるのはやかも」

 

 ボッ――空で何か鳴った気がする。雷? ゴゴッ……ゴゴッ……反響して木霊が空を何度も行きかう。晴れてるのにな――そう思った次の瞬間には彼女、七瀬 美鈴ななせ みすずは空中に投げ出されていた。



 ◇◇◇◇◇



「えっ、何っ? どゆこと!?」


 突風にあおられて学校の屋上から投げ出され、地面に激突、そして死――を覚悟した私は、未だ自分が高い位置にいることに驚いていた。どこかにぶつけた様子もない。ふわりと包み込まれた感触だったけれど、下は石のような感触の凸凹がある。なぜ怪我を、打ち身さえしなかったのかもわからない。


 校舎の方を見ると、生徒たちが窓際に集まり、こっちを見て騒いでいる。

 そして下。私は何か高い場所にある台のようなものに乗っていた。


「ひっ」


 空に落ちる妄想は好きだけど、高くて不安定なところは普通に苦手だった。


 パシュ、プシュー――何か空気の漏れるような音と共に、機械の駆動音が背後で聞こえる。振り返った私はそこに青くて巨大な――現代アート? が存在していて、それが開いていくのを目にする。


 ゆっくりと開いていく現代アート。その表面は半光沢の石のよう。


「××××――」


 中から声が聞こえた。話しかけてきたかのような声。そして数瞬遅れ――。


「大丈夫? 怪我はない?」


 同じような声、理解できる言葉で話しかけられた。

 完全に現代アートが開くと、そこには体にぴっちりと合った青い服を着た、陶器のような白い肌と水色の瞳と髪の女性が立っていた。


「きれい……」


 私が見惚れていると、彼女もまた、こちらをじっと見ていた。


 時が止まったかのように目を合わせていると、奥から何か声がする。


『××××』


「いや、大丈夫だ。ダメージは無い」


 彼女は奥から聞こえた声に向かって言った。やがてこちらに向き直ると――。


「大丈夫か? 怪我は無いか? 翻訳は上手くいっていないか?」


「えっ、ああっ、はい! 大丈夫っ……ですっ! 言葉もわかります!」


「かなり減速したつもりだったのだが、吹き飛ばしてしまったみたいだ。すまない」


「あっ、いえっ! 助けていただきありがとうございました!」


「かわいいね」


「えっ? かわいい?」


「失礼。今のは翻訳機の故障だ」


「――あの、これって何ですか?」


 私は自分を持ち上げている物が何かと聞いた。


「それはスキッドだ。エネルギー兵器を受け流す時に使う盾だ」


「えっ、あっ、盾と言うか、そじゃなくてこの大きいの――」


「ああこいつか。こいつはブロシオルという人型の兵器だ。この機体の愛称はブロー」


「へぇー、えっ、外国人じゃないですよね……どこからいらっしゃったんです?」


 彼女は左手のひとさし指で上を差す。


「私は君たちの星の土着民ではない」


「こ、この星へは何しに?」


「略奪をしに」


「略奪!? な、何をです!?」


「まだ決めていない。目ぼしいものを探しにきた」


 自らを宇宙人と名乗る美しい彼女は、空から私の元へやってきた。


 ――なんて素敵なんだろう。


 その時の私はそんなことしか頭になかった。怖くなかったかと言えばウソになる。だけど――。


「その略奪品、私じゃダメですか!?」


「いい……けど……」


「私、美鈴って言います。七瀬 美鈴!」


「シシアだ」


 シシアと名乗った彼女は、ぶっきらぼうな言葉遣いとは裏腹に、どこか恥ずかし気な素振りを見せた。



 ◇◇◇◇◇



 下が騒がしくなってくる。先生や生徒たちが取り巻いていた。先生は生徒を下がらせようとしていたが、とてもそんな状況ではなく、みんなそれぞれにスマホを向けていた。やがて遠くからサイレンの音が響いてくる。


「シシアさん、連れて行ってくれるなら早く行かないと警察が来ますよ?」


「警察か。歩兵の携行兵器くらいなら何と言うことはないが――こっちへおいで」


 シシアは私を自分の方へ引き寄せると、小さなベルトを手渡してくる。


「これを首に着けて。飛ぶなら必要」


「わっ、チョーカー? かわいい!」


「翻訳装置もついている」


「きゃっ」


 急に耳元に触れてきた彼女に驚いてしまった。


「すまない」


「だいじょぶです、ちょっと驚いただけだし……やなわけじゃないですよ」


「ここにお座り。周りの物には触らないで」


 シシアは私をブロシオルと呼ばれた兵器の椅子に座らせた。椅子の周りにはたくさんのレバーやボタンがある。そして周囲を埋め尽くすような白いスクリーン。


「シシアはどこに座るの?」


 彼女がにこりとすると、前の扉とは別に、後ろが大きく開いていく。彼女が後ろの空いたスペースに移動すると、前の扉は閉まっていった。完全に閉まりきると、先ほどの白いスクリーンに外の様子が投影される。


「すごい! 上も下も全部見える!」


 下には先生たちの驚く顔、上には青い空!

 やがて、全体が少し動いたような感覚がある。


「飛ぼうか?」


「はい!」


 周りにあるレバーやボタンが勝手に動いていく。何かの表示がどんどん切り替わる。シシアは椅子の斜め後ろから顔を覗かせている。


「これ、どうなってるんですか?」


「私が動かしている。バーチェット・ヴァリドゥスは動的超能力キネティックが得意だが、これをできる者は少ない」


「よくわからないけどすごいんだ!?」



『おい、何か声が聞こえるけどー?』


 突然、機械のどこかから声が聞こえてきたことに驚き、身が跳ねる。


「ひとつ略奪してきた」


 シシアが答える。


『おっ、やったじゃんか。なになに? 何見つけたのー?』


「土着民の女の子」


『はー? アホっかよシシア、おめ何考えてんのー』


「ちゃんと世話はするから」


『バーカ、生き物飼うの大変なんだよー。捨てられないよー?』


「大事にするから」


 そんな言葉にちょっとだけ顔が熱くなる。


「行くよ」


 その場で少しジャンプしたのか反動があったけれど、その直後からは全く加速を感じることなく空へ落ちて行った。


 すごい!

 空へ落ちてる!

 気持ちいい!


「ああ、私も好きだ」


 思わず声になっていたのか、シシアが答えた。

 私はまた、ちょっとだけ顔が熱くなった。

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