13.もふっと襲来しました




 俺は怖気を堪えてオーグルの死体へと近寄った。

 目的は武器の回収。

 丸腰のまま森の奥へと分け入るのは得策ではないから。



「これで多少はいけるか……?」



 オーグル――正式名称はジャイアント・オーグルというらしいが、地面に倒れて事切れていた死体から、突き刺さったままだった柄の長い武器を引っこ抜いた。


 この凶悪な巨人に投げ飛ばした武器はどうやら槍だったらしく、血で濡れ光っていた穂先からは、なんだかおかしなオーラが放出されていた。


 しかし、今はそれがなんなのか確認している場合ではないので、武器を身構えながら一歩一歩、奥へと進んで行った。


 幸い、危険な生物は一匹も出てこなかったけど、先へと進むにつれて昼の光が差し込んでこなくなるぐらいに枝葉が鬱蒼と生い茂り、薄暗くなってきた。


 本当にこっちから聞こえたのかと、疑心暗鬼に駆られつつも、耳のいいエルフィーネのあとについていく。そして――



「あ……いました!」



 やや興奮気味に彼女は前方を指さしていた。

 俺はエルフィーネの横に並んでそちらを見る。


 この辺一帯の地面にはほとんど草は生えておらず、湿気を帯びた茶色い土や岩が顔を覗かせているだけだった。

 所々、周囲に林立する大木から伸びた太い根っこが顔を覗かせている。


 そして、問題のそれは、その大木の根っこと根っこの間に見え隠れするように倒れていたのである。

 白くて小さな何かが。


 俺とエルフィーネは互いに頷き合い、慎重にそこへと近づき――思わず息を飲んだ。


 先程の羊よりも更に真っ白な毛並みをした五十センチほどの生き物が、息も絶え絶えに横向きに倒れていた。


 その身体にはべったりと真っ赤な血がこびり付いていて、よく見ると、上になっている左側面には痛ましい傷跡が一直線に刻み込まれていた。

 おそらく、そこから出血しているのだと思われるが。



「な、なぁ、これ、助けられるのか?」

「わかりません。ですが……なんとかしてみます」



 そう言って彼女はウンディーネを召喚すると、素早く回復魔法を試みる。


 俺はそれを眺めながら、ただ祈ることしかできなかった。

 そんな俺の祈りが通じたとは言わないけど、すべてエルフィーネとウンディーネのお陰ではあったけど、本当に奇跡としか言いようがないくらいに傷が徐々に塞がって行った。


 そして、完全に塞がったあとで、その小さな生き物を包む燐光が一層激しさを増し、一気に弾け飛んだ。



「多分、これで……」



 そう疲れたように呟き、エルフィーネがふらついてしまう。顔色も酷く悪かった。



「大丈夫か?」



 俺は慌てて彼女の肩を左手で抱くようにして支える。



「えぇ、なんとか……それよりも……」



 彼女は俺から視線を外し、下を見た。釣られて俺もそちらを見る。

 視線の先にいた白い生き物からは、いつの間にか、苦痛に喘ぐ声が鳴きやんでいた。

 呼吸も穏やかになっていて、腹の部分がゆっくりと上下している。


 俺はそんな小動物を見ながら、ふと、あれっと思った。

 血で汚れてしまってはいるけど、白くてふっさふさの体毛と、三本もある尻尾。


 鼻はそれほど長くはなく、その見た目は当然、見覚えのない姿だったけど、間違いなくこれは――



「猫だな……」



 ぼそっと出た呟きを耳にしたらしい腕の中のエルフィーネが俺を見上げてくる。



「……残念ながら猫ではありませんよ。この生き物は幻獣クィン・シーです」

「クィン・シー?」


「はい。ジャイアントホーン・シープと一緒で、ほとんど目にすることのできない希少種なんですよ。しかも、この子には不思議な力が宿っていると昔から言い伝えられています。私も実物を見るのは初めてなんですが」


「そうなのか……。なんか、本当にこの島って凄いな。やばい奴もいっぱいいるみたいだけど、それ以上に資源豊富で希少な生き物までいるとか」


「そうですね。本当に驚きです。ですが、ここまで色んな条件が揃うと、やはりこの島は噂でしか聞いたことはありませんが、あの島かもしれません……」

「あの島……?」



 しかし、彼女は俺の問いかけには一切答えてくれなかった。

 代わりに、すぐ側で成り行きを見守っていたミューミルが、茶化すように声をかけてくる。



「……あんたたちって、本当にイチャつくの好きよね。いつまで抱き合ってるつもりかしら?」

「え……?」



 俺とエルフィーネはほぼ同時に声を漏らし、互いに顔を見合わせた。

 頬が触れあってしまいそうなほど、彼女の顔が至近距離にあった。

 そう認識した瞬間、彼女の顔が真っ赤に染まり、二人して大慌てで離れる。



「ご、ごめんっ……」

「い、いえ、私こそ……」



 二人して所在なげにもじもじしていると、



「はぁ……まったく、何やってんだか」



 呆れたように呟くミューミルだった。

 彼女はさんざか馬鹿にしたように渋い顔したまま、俺の顔の周囲をぐるぐると回り始める。



「おい……」



 いい加減、うんざりし始めた頃、



「ミャァ」



 突然、可愛らしい鳴き声が下から聞こえてきた。

 俺とエルフィーネだけでなく、ミューミルまで顔を見合わせそちらを向いた。


 先程まで痛々しい姿で倒れていたクィン・シーがちょこんと地面に座っていた。

 時折、首を左右に揺り動かしながら、金色の瞳をまん丸にして、俺たちを凝視していた。


 そんな愛くるしい、ぱっと見、スコティッシュフォールドにしか見えない白猫を見て、自然と笑みがこぼれてきた。



「どうやら無事、治療できたみたいだね」

「えぇ。本当によかったです」



 互いに笑い合っていると、クィン・シーはもう一度小さく鳴いたあと、森の奥へと駆けて行ってしまった。

 多分、今の鳴き声は治療してくれたエルフィーネへの感謝の気持ちなんだろう。


 俺は手前勝手にそう解釈すると、少し名残惜しい気もしたけど気持ちを切り替えた。



「それじゃ、ぼちぼち戻ろうか」

「そうですね。こんなところにいたら、また危険な魔獣が襲ってこないとも限りませんし」



 俺たちは互いに頷き合って、警戒しながら再び元来た道を戻り始めたのだが、そんな矢先――突如、そこら中から得体のしれない視線を感じた。


 そうとしか形容できないような生理的嫌悪感。誰かに見られているような、刺すような視線。

 エルフィーネもそれに気が付いたようで、俺たちは無意識の内に互いに身体を寄せ合うと、周囲を見渡した。



 どこから――何が――



 緊張で萎縮する心を懸命に奮い立たせたそのとき。



「ミャァァ!」



 そこら中から猫の鳴き声が聞こえてきた。



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