序ノ伍「孫四郎の父かく語りき」(弐)

「おい、垣屋」

 軍議が終わって諸将が自身の居城への帰り支度をしている最中のことである、宗続を呼び止める者が居た。今回の軍議に於いて政豊の右筆を務めており、軍議に於いては右筆であるが故意見を述べることは少なかったが重臣と呼べる人物の一人で、家名と諱を合わせて田公豊職という。先程太田垣と共に「衛門尉」という名称で山陽進攻の主力部隊として張り出された人物である。

「なんだ、田公」

「なんだではないわ、正気か」

 宗続に正気かと尋ねる豊職、無理もあるまい。前回述べた通り、垣屋は山名家に於いて重鎮中の重鎮、山名家が鎌倉時代に幕府御門葉であった頃、関東で「民百姓同然」の生活をしていたと謙遜もしくは記述者に揶揄――思えば、山名家と今川家の対立はこの時から始まったのではないか――される程度には昔より仕える譜代の中の譜代である。

 そもそも、鎌倉幕府より十指に足らぬ名門である御門葉に指定され、鎌倉幕府後期において北条得宗家より源「家」嫡流と認定されていた足利氏の一門であり、その足利氏と血縁関係のあった上杉家と婚姻関係となっていた山名家ともあろう名門が難太平記に記述されているとおりの「元弘の乱鎌倉幕府滅亡以前には民百姓同然の生活をしていた」わけがない(「今」風に言えば、宮内「省」御用達の職人を家に呼べる身分で首相官邸に務める人間が「一般市民と同じ生活をしています」とほざくくらいの噴飯行為だ)のはその頃からの譜代がいるという事実からも判る通りだが、その「重鎮中の重鎮」が博奕の如き主命を志願することに対して、彼は様々な意味を込め「正気か」と尋ねたようだ。

「無論、正気だ。政則ずれの首級は、既にわが掌中にある」

 尋ねた豊職に対して、肯定する宗続。実のところ、彼自身も半信半疑、否、三信七疑の情報であったのだが、彼の情報網に赤松政則の居所が引っかかった以上はそれを実行せぬ手はなく、故に軍議の場で気を吐いたのだが、彼自身三信七疑の情報であるとおり、それは博奕といえた。

「どこに居るというのだ」

「それをおぬしに言えるか。抜け駆けしようとしても、そうはいかんわ」

 思わず、問うてしまう豊職。それに対して宗続はからかうように告げた。舌打ちする豊職に対して、実は宗続自身信じていない情報なだけに当て馬に使うことも考えたが、さすがにそれは外聞が悪いと思い直したのか、あるいは本当に情報が合っている場合手柄を横取りされることもあって、重ねて拒否した。

「宗続に豊職か、相変わらずの仲よの」

 そこに通りかかったのは、彼らの諱を告げた通り上司である政豊であった。そして、彼らが返事をするより前に政豊は二の句を告げ始めた。

「評定では許可したが、本気か」

 政豊の目は、懸念は懸念でも疑義というよりは心配の様相を呈していた。無論、重鎮である垣屋家の者を可惜あたら死なせたとあっては彼自身の立場が危うくなることもあったが、それは純粋に家中の者を死なせたくないという心配も混じっていた。

「ははっ。儂が知る限りの報をつなぎ合わせた結果、政則ずれが何処に居るか遂に判明致しました。殿から忍びを借りた以上、必ず達成致しまする」

 政豊の心配そうな顔に対して、先程までの田公に向けた破顔ではなく真剣な顔で答える宗続。だが、その主命は如何にも達成困難に見えていた。……少なくとも、眼前の主君を含めた諸将には、「博奕」と言っても差し支えない程の困難さであった。

「ぬかしおる。……期待はしているが、危ない橋は渡らぬようにな。戦は始まったばかりじゃ」

「承知仕りました」

 政豊は、初動の重要さがいかなものであるかをきちんと知っていた。そして、初動に於いて敵の総大将を討ち取ったとあっては敵陣の総崩しは目に見えているが、逆に初動に於いて重臣が討ち取られたとあっては逆に自陣が総崩れになることも見えていた。故に、「危ない橋を渡るな」と言ったのだが、どうやら宗続にとってそれは危ない橋ではないようだった。

 そして、軍議も終わり日が暮れ始めて宗続が屋敷に戻った後のことである……。

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