楽志5  伝統は死んだ

永嘉えいかの乱が起これば、領域内は乱れ崩れ落ち、演奏者や諸楽器はみな劉聡りゅうそう石勒せきろくに奪われた。しかし慕容儁ぼようしゅん冉閔ぜんびんを打ち倒すことで、楽官楽器が取り戻された。


王猛おうもうぎょうを平定し、關右かんうに楽官楽器を取り返した。しかし苻堅ふけんが敗れ長安ちょうあんが争乱のさなかに陥ると、慕容永ぼようえいが楽官楽器を取りまとめ東に向かった。このため楽官楽器の多くは長子ちょうしにもたらされ、その慕容永が慕容垂ぼようすい平定されることで、楽官楽器は中山ちゅうざんにもたらされた。


始祖の拓跋力微たくばつりょくびしんと講和することで、代に楽官がもたらされている。拓跋猗盧たくばついろ代王だいおうとなったとき、晋の愍帝びんていが楽器をもたらした。金石の楽器は未だ代にもたらされていなかったが、とはいえ絃管についてはこの当時の代にもたらされていたのである。


拓跋珪たくばつけい中山ちゅううざんを平定することで楽官楽器がようやく手中に収まったのだが、ここまでにもたらされた争乱の数々により、万古よりの楽礼が修復されることは結局叶わぬままでいた。




永嘉已下,海內分崩,伶官樂器,皆為劉聰、石勒所獲,慕容儁平冉閔,遂克之。王猛平鄴,入於關右。苻堅既敗,長安紛擾,慕容永之東也,禮樂器用多歸長子,及垂平永,並入中山。自始祖內和魏晉,二代更致音伎;穆帝為代王,愍帝又進以樂物;金石之器雖有未周,而絃管具矣。逮太祖定中山,獲其樂縣,既初撥亂,未遑創改,因時所行而用之。世歷分崩,頗有遺失。


(魏書109-5)





聖王三代よりの伝承を請けおうことが大切なんだけど、そいつが滅んじゃってんなら仕方ないよなー、仕方ないよなー!!! と主張したいようです。まぁ東晋に伝わったあれこれもだいぶ牽強付会だったしどうしようもないですね。

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