魏書 巻100~ 蛮夷伝

庫莫奚契丹 蛮夷の国

庫莫奚こばくけい國の先祖は東部とうぶ鮮卑せんぴ宇文うぶん部の別種である。前燕ぜんえんが立ち上がった頃、慕容皝ぼようこうによって打ち破られ

松漠しょうばくの間と呼ばれる地、いわゆる満州あたりにまで逃れ住んだ。その民はまともに身を清めたりもせず、一方で騎射に優れ、その技能を活かし略奪行為を働いていた。


388 年、拓跋珪が自ら討伐に向かい、弱洛水じゃくらくすいの南にて大破。その四部落を捕獲し、また馬牛羊豚十万あまりを獲得した。


拓跋珪は言う。

「この蛮夷どもは徳も義も知らず、互いに盗み侵し、果てには我が領域にまで侵犯した。故にここに討伐をしたのである。とは言え鼠賊どものちょろまかしなぞ、どうしてこの王が深く患いとしようか。いま中原は大いに荒れ、おれはそちらの平定を優先せねばならぬ。然るのちに我が武威を改めて示せば、服従せぬ者なぞおるまい」

こうして拓跋珪はいちど雲中うんちゅうに帰還し、後燕こうえん攻略に乗り出した。その間の十数年間で各地諸部族や庫莫奚もまたある程度の勢力を回復した。その勢力は遼河りょうが河口付近にまで及び、和龍かりゅうに前線基地を築くと、周辺諸夷は恐れおののき、それぞれが庫莫奚に貢納をした。



契丹きったん国は庫莫奚の東にいた部族である。種族は異なれどおおよそ庫莫奚と似たような暮らし向きの部族であり、やはり前燕による討伐を受け松漠の間に逃れ住んだ。拓跋珪が王として立って間もなくのころにも同じく大破されたが、この時に庫莫奚と関係を断った。数十年ののち、やや勢力を回復させた契丹は和龍の北数百里のところを活動地域とし、しばしば周辺を略奪して回った。拓跋燾たくばつとうが華北を統一してのちは参朝を願い出、毎年名馬を朝貢した。




庫莫奚國之先,東部宇文之別種也。初為慕容元真所破,遺落者竄匿松漠之間。其民不潔淨,而善射獵,好為寇鈔。登國三年,太祖親自出討,至弱洛水南,大破之,獲其四部落,馬牛羊豕十餘萬。帝曰:「此羣狄諸種不識德義,互相侵盜,有犯王略,故往征之。且鼠竊狗盜,何足為患。今中州大亂,吾先平之,然後張其威懷,則無所不服矣。」既而車駕南還雲中,懷服燕趙。十數年間,諸種與庫莫奚亦皆滋盛。及開遼海,置戍和龍,諸夷震懼,各獻方物。

契丹國,在庫莫奚東,異種同類,俱竄於松漠之間。登國中,國軍大破之,遂逃迸,與庫莫奚分背。經數十年,稍滋蔓,有部落,於和龍之北數百里,多為寇盜。真君以來,求朝獻,歲貢名馬。


(魏書100-1)




北魏黎明期でもまともに記録が残ってないんなら、いわんや更にその北の部族をや、と言う感じですね。名前すらまともに残ってないのかなちい。どうにか探る手立てないのかなあ。たぶん認識としては後世の諸部族が刻んだ碑文にその大まかなメンタリティを求めて問題ないとも思うんですが。

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