仇洛斉2 大躍進

盧魯元ろろげんはいちど先に拓跋燾たくばつとうに目通りし、仇洛齊きゅうらくさいが来た旨を告げる。拓跋燾はそなたがそこまで言う才の持ち主ならば、と然るべき官位を与えようとした。


すると盧魯元は言う。

「我が叔父は不幸にも不具の身として生まれました。ならば相応しき任は陛下の宮中を守ることのみにございます」


このとき盧魯元は仇洛斉が養子であることを伝えなかった。拓跋燾はそこに矜持を見出し、奴隷や馬を与えた上で引見。間もなくして武衞將軍ぶえいしょうぐんとなり、文安子ぶんあんしに封じられた。さらには給事黃門侍郎きゅうじこうもんじろうとされる。


北魏ほくぎの初期、戸籍管理が粗雑であったため、登録漏れや戸籍逃れが多発していた。

旧北燕の領域までもが平定され、いわゆる富裕民は自らの私腹を肥やすためにこうした戸籍漏れの民を吸収、衣類生産及び供給にあたってた。以降こうした富裕民が幾人も現れ、それぞれが私有財産、私有奴隷を抱えるようになった。こうなると北魏が派遣した領主はほぼ機能せず、税収傭役も徴収が効かず、乱れた戸籍も整えることが叶わなかった。仇洛齊はこうした富裕戸民をみな解任させ、戸民たちをみな郡縣に所属させるよう上奏した。


また仇洛齊は涼州りょうしゅう討伐にも参戦。ここでずば抜けた功績を挙げたため一気に散騎常侍さんきじょうじにまでしょうしんがなされ、さらに中書令ちゅうしょれい寧南將軍ねいなんしょうぐんが加えられ、零陵公れいりょうこうに封じられた。さらに侍中じちゅう平遠將軍へいえんしょうぐん冀州刺史きしゅうししとされ、內都大官ないとだいかんにも転じた。中枢オブ中枢の栄達である。


454 年に死亡、こうと諡された。




入言于世祖,世祖問其才用所宜,將授之以官。魯元曰:「臣舅不幸生為閹人,唯合與陛下守宮闈耳。」而不言其養子。世祖矜焉,賜以奴馬,引見。尋拜武衞將軍,俄而賜爵文安子,稍遷給事黃門侍郎。

魏初禁網疏闊,民戶隱匿漏脫者多。東州既平,綾羅戶民樂葵因是請採漏戶,供為綸綿。自後逃戶占為細繭羅縠者非一。於是雜、營戶帥遍於天下,不屬守宰,發賦輕易,民多私附,戶口錯亂,不可檢括。洛齊奏議罷之,一屬郡縣。

從平涼州,以功超遷散騎常侍,又加中書令、寧南將軍、進爵零陵公。拜侍中、平遠將軍、冀州刺史,為內都大官。興安二年卒,諡曰康。


(魏書92-2)




いわゆる宦官としての栄達なわけですが、これ宗愛そうあいとの関係が知りたいもんです。宦官組織ってどんな感じで組み立ったんでしょう。仇洛齊自身はあくまで盧魯元の後ろ盾ですが、そこから宦官組織にもそれなりに影響があったと思いますし。このあたりもうまく見えたら面白そうですが、まぁなかなか難しい、し、そもそも管轄範囲外。ヘラヘラ読むだけで終わりにするのです。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る