高允3  天文談義

後に詔勅が下り、高允こういん崔浩さいこう國記こくきを編纂。その職務に就くため著作郎ちょさくろうを兼務した。


ある時、崔浩は術士らを集め、漢の元年以来の日蝕や月蝕、そして五つの惑星の運行に関する情報を再度考察させ、また過去の歴史には手落ちがある、として、新たに北魏独自の天歴を別途作成。高允に示した。


高允は言う。

「天文や曆數はでまかせではございませんぞ。遠き時代を検証できるものは、また近日の動向をも的確に言い当てます。そも漢が立ち上がった年の十月に五星が東井に集まった、なる話は、いわゆる天文の話とは別口のものでございます。漢の歴史に載る天象を批判するのは結構ですが、ならばまた後世の人間より、今の天象読みを批判すること免れきれますまい」


崔浩、カチンとくる。

「は? どこが間違っているというのだ」


高允は答える。

「過去の惑星運行に関する記述を拾い上げれば、金星水星はだいたいが太陽と運行をともにしていると示されます。そしてかの年の十月、太陽は尾宿びしゅく箕宿きしゅくの辺りにあり、申の南に没しました。このとき、東井は寅の北に出ております。太陽のこの動きからして、金星と水星がどうして東井に出現できるというのですか? このタイミングだけ太陽の側を離れた、とでも言うのでしょうか? これは太史が漢による統一を神がかったものとしたかったために盛った、と言うだけの代物にございます。推論を少し立てればまるで妥当でないことが明らかでありましょうに」


崔浩は反論する。

「はいはい逆張り乙、あなたは三星が集まったことそのものに疑問を持たず、二星がやって来たことのみを疑問に抱くわけだ。それは問題の本質から外れた疑問ではないかね?」


高允は言う。

「実際の星の運行を見ずしてくだくだしく語ることでもありますまい。今後さらに星々の運行より検証して参るべきでございましょう」


なにぶん崔浩さんはいろいろなところで建言を的中させてきている人物である。このため高允が噛みついてきていることをみなが不審がっていた。その中にあり、拓跋晃たくばつこうの教育係を仰せつかっていた游雅ゆうがは言っている。

「高どのは天文の運行を知悉しておられる。よもや虚言でなぞありますまい」


その後一年あまりして、崔浩が高允に言う。

「過日あなたと論じ合った部分について、実のところ私はあまり詳しく調べていなかったのだ。その後検証を進めてみたところ、やはりあなたの言うとおりであった。確かに三月に東井に三星が集まった内容があった。十月はぜんぜん関係がなかったな」


また、游雅に言う。

「高允の術は太陽の動きの本質を見事に射貫いておるな」

こうしたことから、みなが高允の見識に感服した。


高允はこのように天文についてきわめて高い見識を持っていたのだが、自身で直接観測をするわけではなかった。あくまで天文現象に関する過去の内容から論ずるにすぎなかったのである。


とは言え、そこについてしっかりと把握しているわけではなかった游雅はしばしば災異に関する情報を高允より引き出そうとした。なので高允は游雅に言っている。

「昔の人は言っている。天変地異を察するのはきわめて難しい、と。知っていたとしても、下手に世に漏れることを恐れ、知らんぷりをするものだ、と。天下には他にも様々な占術がある、慌ただしく問い詰めても仕方があるまい」


このため游雅は質問をやめた。




後詔允與司徒崔浩述成國記,以本官領著作郎。時浩集諸術士,考校漢元以來,日月薄蝕、五星行度,并識前史之失,別為魏曆,以示允。允曰:「天文曆數不可空論。夫善言遠者必先驗於近。且漢元年冬十月,五星聚於東井,此乃曆術之淺。今譏漢史,而不覺此謬,恐後人譏今猶今之譏古。」浩曰:「所謬云何?」允曰:「案星傳,金水二星常附日而行。冬十月,日在尾箕,昏沒於申南,而東井方出於寅北。二星何因背日而行?是史官欲神其事,不復推之於理。」浩曰:「欲為變者何所不可,君獨不疑三星之聚,而怪二星之來?」允曰:「此不可以空言爭,宜更審之。」時坐者咸怪,唯東宮少傅游雅曰:「高君長於曆數,當不虛也。」後歲餘,浩謂允曰:「先所論者,本不注心,及更考究,果如君語,以前三月聚於東井,非十月也。」又謂雅曰:「高允之術,陽元之射也。」眾乃歎服。允雖明於曆數,初不推步,有所論說。唯游雅數以災異問允。允曰:「昔人有言,知之甚難,既知復恐漏泄,不如不知也。天下妙理至多,何遽問此。」雅乃止。


(魏書48-3)




こんなんわかるかボケってのたうち回ろうとしたら、まさにここに関するドンピシャな論文がありました。


崔浩 「天人思想」 考/孫険峰

https://core.ac.uk/download/pdf/56632965.pdf


訳出はほぼほぼこの論文に依っています。ありがたいことです。もっとも書き下しからだと微妙に意味を取りづらくなりそうなところもありましたので、だいぶ意訳及び補填はしました。


そして孫氏、言い切っちゃってた。

「崔浩の天象に対する見識は決して高くなかった」


爆笑。


それ、ほんそれェ! いや崔浩伝とか読んでても、あんまりにも「現実を」ピタリと言い当てすぎてるんですよねこのひと。天象解釈が従、予見が主だってのはつくづく感じていましたが、そいつをここで裏打ちしてくれたこと、非常にありがたかったです。そしてそうした側面を崔浩伝から除いて、高允伝で書くというこの持って回りっぷり! 崔浩伝ではあくまで崔浩はすごいやつなんだけど、こうした部分で「けど実はね……」とする。これ、魏収さん的にはどんな感情で編纂されたんでしょかね。この辺妄想すんのめっちゃ面白そうです。

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