崔浩5 劉裕伐秦
416 年、
外朝の公卿はみなで言う。
「
同様の議論を内朝にも掛けたところ、結論はやはり同じものだった。そこで拓跋嗣はこれらの決定に従おうとする。しかし、ここで
「上策ではございませぬな。
いま、
それならば、劉裕めが西方に侵入したところで、しかるのちに兵を起こし、東帰の道を塞いでしまうのが良い。戦国の昔、
しょせん劉裕に關中を獲得させたところで、本拠よりかくも離れた地なぞ守り通せたものではござりませぬ。最終的には我らがもとに転がり落ちて参りましょう。ならばいまは下手に兵馬を疲弊させることなく、その成り行きを座して見守り、ひとまず虎どもに戦わせた上でもっともうまみを得るのが上策と申せます。
お国のための計略とは、何よりもその利を見ねばなりませぬ。婚姻を結び、ひとりの女性を承ったからと言って、利を前に検討に値しましょうか? また、かりにいま
この発言に対し、なおも反論が挙る。
「劉裕が函谷関入りすれば、進退に窮し、前後どちらよりも攻撃を受けることになるのだ。奴らが渡河したところで、後秦軍は関中より我らを救援するために出撃などせぬであろう。ならばやはり、後秦狙いのフリで北魏狙いと考えるのが、動勢として自然ではないか」
拓跋嗣は最終的に軍議に従い、
泰常元年,司馬德宗將劉裕伐姚泓,舟師自淮泗入清,欲泝河西上,假道於國。詔羣臣議之。外朝公卿咸曰:「函谷關號曰天險。一人荷戈,萬夫不得進。裕舟船步兵,何能西入?脫我乘其後,還路甚難。若北上河岸,其行為易。揚言伐姚,意或難測。假其水道,寇不可縱,宜先發軍斷河上流,勿令西過。」又議之內朝,咸同外計。太宗將從之。浩曰:「此非上策。司馬休之之徒擾其荊州,劉裕切齒來久。今興死子劣,乘其危亡而伐之,臣觀其意,必欲入關。勁躁之人,不顧後患。今若塞其西路,裕必上岸北侵,如此則姚無事而我受敵。今蠕蠕內寇,民食又乏,不可發軍。發軍赴南則北寇進擊,若其救北則東州復危。未若假之水道,縱裕西入,然後興兵塞其東歸之路,所謂卞莊刺虎,兩得之勢也。使裕勝也,必德我假道之惠;令姚氏勝也,亦不失救隣之名。縱使裕得關中,縣遠難守,彼不能守,終為我物。今不勞兵馬,坐觀成敗,鬬兩虎而收長久之利,上策也。夫為國之計,擇利而為之,豈顧婚姻,酬一女子之惠哉?假令國家棄恒山以南,裕必不能發吳越之兵與官軍爭守河北也,居然可知。」議者猶曰:「裕西入函谷,則進退路窮,腹背受敵;北上岸則姚軍必不出關助我。揚聲西行,意在北進,其勢然也。」太宗遂從羣議,遣長孫嵩發兵拒之,戰於畔城,為裕將朱超石所敗,師人多傷。太宗聞之,恨不用浩計。
(魏書35-5)
こいつのすっと引くのマジ恐い。「はいはいそうね、ぼくは言うだけ言いましたよ、あとは結果をごろうじろだね」感。あまりにふるまいが強者。しかし訳文、可能な限り嫌みったらしく訳してきたいわね。頑張ります。
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