車路頭 無害のひと
車路頭にはとかく害意というものがなく、刑罰に関する裁定を求められたときにも、常に刑罰を軽くする方向での献策をなした。そうした態度により、朝廷でも重んじられた。拓跋嗣もまた大いに敬意を払い、その寵遇はきわめて厚く、賞賜も幾度となくなされた。車路頭以上に拓跋嗣よりの親幸を受けていたものはいなかった、とまで言えるほどである。
421 年に死亡した。拓跋嗣は自ら葬儀に赴き、慟哭を示した。
車路頭,代人也。少以忠厚選給東宮,為太宗帳下帥。善自修立,謹慎無過。天賜末,太宗出於外,路頭隨侍竭力。及太宗即位,拜為散騎常侍,賜爵金鄉公,加忠意將軍。後改為宣城公。太宗性明察,羣臣多以職事遇譴,至有杖罰,故路頭優遊不任事,侍宿左右,從容談笑而已。路頭性無害,每至評獄處理,常獻寬恕之議,以此見重於朝。太宗亦敬納之,寵待隆厚,賞賜無數,當時功臣親幸莫及。泰常六年卒。太宗親臨哀慟。贈侍中、左衞大將軍、太師、宣城王,諡曰忠貞。喪禮一依安城王叔孫俊故事。陪葬金陵。子眷襲爵。
(魏書34-3)
喪禮一依安城王叔孫俊故事。
まーた奥さん殺してる……なんなのこの蛮族……しかし拓跋嗣の政が内に厳しかったと知れたのはありがたいですね。本紀だと外にはかなり寛和の方向だったものね。
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