谷渾   不以富貴驕人

谷渾こくこん、字は元沖げんちゅう昌黎しょうれいの人だ。父は谷袞こくこん。その筋力は他の追随を許さず、三百斤の弓(めちゃくちゃ硬い)を易易と引き、その武勇は当時のナンバーワンであると言われた。慕容垂ぼようすいに仕え、廣武將軍こうぶしょうぐんとなった。


谷渾も幼い頃は父の気風を受け継ぎ、そして俠氣あふれる口であったが、父や母の顔を立て、そうした気風をあえて抑え込んでいた。後年にそうした気風をおして学業に打ち込むようになり、多くの書籍を読み込み、儒者のような出で立ちをした。拓跋珪たくばつけいに仕えるときには隸書れいしょの腕前を見込まれ、宮廷内では拓跋珪のそばに侍った。拓跋嗣たくばつしが即位すると前鋒將軍ぜんぽうしょうぐんとなり、拓跋嗣の河南かなん進軍に従軍した。給事東宮きゅうじとうぐうに選抜された。


拓跋燾たくばつとうが即位すると,為中書侍郎ちゅうしょじろう振威將軍しんいしょうぐんに任じられた。


谷渾は厳正にして率直、折り目正しきふるまいをなしたが、少しでも自分と合わないと感じたものに対してはすぐに内心で切り捨て、そうした相手には軽蔑するかのような目つきを投げた。いっぽうで旧来の縁者には親愛の情を厚くし、自らが富貴になったからと言ってそうした旧友に対して驕り高ぶることもなく、人々から讃えられた。433 年に死亡。拓跋燾はその死を悼みまた惜しみ、自ら葬儀に赴いた。葬儀にあたっての下賜も手厚くもたらされ、文宣ぶんせんの諡が与えられた。




谷渾,字元沖,昌黎人也。父袞,膂力兼人,彎弓三百斤,勇冠一時。仕慕容垂,至廣武將軍。

渾少有父風,任俠好氣,以父母在,常自退抑。晚乃折節受經業,遂覽群籍,被服類儒者。太祖時,以善隸書為內侍左右。太宗世,遷前鋒將軍,從幸河南。還,以選給事東宮。世祖即位,為中書侍郎,加振威將軍。從征赫連昌,為驍騎將軍。遷侍中、安南將軍,領儀曹尚書,賜爵濮陽公。

渾正直有操行,性不苟合,趣舍不與己同者,視之蔑如也。然愛重舊故,不以富貴驕人。時人以此稱之。延和二年春,卒。世祖悼惜之,親臨其喪。贈賜豐厚,諡曰文宣。


(魏書33-7)




なんだこの子路みたいなの……かっこよ……

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