第78話

「小山内さんは、好きな人っているんですか」



 急な質問に戸惑う。


 口ごもって、すぐには返事ができなかった。


 いるかどうかで言われれば、いる、だ。


 けれど、その相手の名前は絶対に明かせない。


 そう感じたからか、理久は咄嗟に「いないけど……」と答えてしまう。


 後藤は視線をソファに向けて、その場にいない彼女の名を口にした。



「望月さんは違うんですか」


「るかちゃん? 違う違う、そういうのじゃない。るかちゃんは姉みたいなものだよ」



 今まで何度も繰り返したやりとりだけあって、すんなりと言葉が出る。



「兄弟いっぱいいるんすね」



 皮肉や冗談で言ったわけじゃないだろうが、その物言いに笑ってしまった。


 一人っ子なのに血の繋がらない姉妹がふたりもいる。


 しかし、笑っているのは理久だけで、後藤は仏頂面で顔を伏せてしまった。


 そのまま、ぼそりと呟く。



「お察しのとおり、俺は三枝のことが好きなんすけど。でも前に、告白したらフラれてしまって」


「………………」



 そんなことまで言ってしまうのか、とたじろぐ。


 それとも、好意がバレているからいっそのこと、という感じだろうか。


 理久が戸惑っていても、後藤の話は続いていく。


 今度は独り言のように彼は言った。



「でも、どうなんですかね。俺、三枝のことまだ好きなんですよ。フラれて、はいそうですか、と割り切れなくて。終わってなくて。周りは『さっさと次の恋を探せ』って言うんですけど……、気持ちってそんな簡単なもんじゃないし。こういうときって、どうしたらいいんすかね」


「ううん……」



 難しいことを言う。


 彼がどういった意図を持って、この話をしているかはわからなかった。


 ただ単に、年上で、彩花の近くにいる理久に訊いてみたくなっただけかもしれない。


 けれどそれなら、理久よりもるかに相談したほうがいい。理久では持っている経験も視野も、後藤と大して変わらないだろう。


 年齢がひとつ上なだけじゃ、彼に大したアドバイスはしてやれない。



 ただただ、むず痒くなってしまうだけ。


 自分と同じ女性を好きになり、交際を断られ、「でもまだ好きなんですよ」と言われて、何を答えればいいのか。


 打算的なことを考えれば、「次に行ったほうがいい」と告げて、彩花を諦めてもらったほうがいい。


 しかし、そんな不誠実なこともできなかった。



 そして何より。


「君は『好きだ』と言えるだけいいじゃないか」、という気持ちが理久の頭の中でいっぱいになり、ろくな考えが浮かばなかったのだ。



「……俺には、あんまりいい考えは言えそうにないかな。申し訳ないけど」



 正直に自分の意見を伝える。


 油断すると無愛想な口ぶりになってしまいそうだったので、そう聞こえないよう努力した。


 すると、後藤は黙ってじっと理久の目を見る。



「…………?」



 その視線に違和感を覚え、困惑してしまう。


 頼りない答えに呆れているわけでも、怒っているわけでもない。


 ただ理久を観察するようにじっと見ていた。



「――小山内さん」



 後藤は視線を逸らすことなく、重苦しい声でこう続けた。



「――あなたは、三枝のことが好きなんでしょう」


「――――――――」



 脳が痺れるような感覚に陥る。


 上下の区別がつかなくなり、ガシャガシャと世界を揺らされたようだった。


 そのままどこかに落ちていってしまいそう。


 なぜ、という疑問が頭の中でいっぱいになる。


 先ほど、明確に否定したはずだ。



 どんな関係なのかと訊かれて、「妹みたいなものだ」と答えた。


 そして、るかは「姉のような存在だ」と。


 同じように答えたはずなのに、それでも後藤は踏み込んで、はっきりと「彩花のことが好きなんだろう」と言い当てて見せた。



 そこにはきっと、何かしらの確信を持つことがあったに違いない。


 だからこそ、軽々に否定できない。


 違う、と言ったところで、彼の考えをより裏付けそうなのが怖かった。


 だからだろうか、後藤は自分から話し出す。



「同じ子を好きだから、ってことなんすかね。不思議と、わかるんです。三枝のことを好きな奴って。目が、違うから。数が多かった、ってのもありますけど。今のところ、外したことはないです」



 その言葉に、怯んでしまう。


 目が、違うから。


 あぁそうだろう。


 きっと彩花を見る自分の目は、まるで違うものになっている。


 愛おしさにやわらかくなることや、眩しさに目を細めてしまうこともある。


 ほかの人を見る目とは、別物だ。



 理久だって、後藤が彩花を好きなことはすぐにわかった。


 あれほど露骨じゃないにせよ、後藤は同じ臭いを理久から嗅ぎ取ってしまった。


 何度も経験してきたからか、後藤はもはや確信を抱いているように感じる。


 今更、どう取り繕っても隠し通せるとは思えなかった。



「…………」



 この状況は、まずい。


 後藤に理久の気持ちが知られてしまった。


 もしも、これがそのまま彩花に伝わってしまったら。


 それで終わりだ。


 この生活はすぐにでも破綻する。



 足が震えるのは必死に止めたものの、ぎゅっと拳を握っても冷や汗が流れる。


 ぐるぐると目が回り、気持ち悪くなった。


 ここで平然と、「何言ってんの、そんなわけないでしょ」と笑い飛ばしてしまえば、後藤も半信半疑でいてくれただろうか。


 どちらにせよ、もう遅い。


 理久は態度で示してしまった。

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