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「こんばんは、天草
「驚いたって、私も。どうしてうちに?」
まろう堂の店主は沙代子がいると知らずに訪ねてきたようだ。いったい何の用だろうとけげんそうにしてしまったのか、彼は申し訳なさそうにする。
「こんな時間に突然すみません。一度、娘さんにはごあいさつしないとと思ってて」
「ごあいさつって? 父のことで?」
生前、父はまろう堂の店主さんに自宅の場所を教えるほどの関係を築いていたみたいだ。
しかし、親子ほど年齢が違うであろう、閑古鳥の鳴く古本屋店主の父と、おしゃれなハーブティー専門店店主との接点が全く想像つかない。
どんな関係なのだろうと考えているうちに、彼は真っ白な紙袋を差し出してくる。
「生前、
銀一は父の名だ。銀一の娘を訪ねてきたのは間違いがないようだ。しかし、なぜ娘が来ていると知っているのだろう。
「ありがとう。でも、どうして私に?」
「最近、
うわさを聞きつけてやってきたと白状してることに気づいたのか、段々と言いにくそうにする彼は、無意識にだろう、隣の家の方へ目を向ける。
隣には、話好きなおばさんが住んでいる。きっとうわさしているのだろう。
いいうわさも悪いうわさも、この辺りではあっという間に広がる。そんなこと、よく知っていたじゃないか。どうして今まで気づかなかったのだろう。
隣家へのあいさつを後回しにしていたのは失敗だ。明日からはおばさんにも愛想よくしなくちゃ。
まろう堂の店主さんはお人好しそうな好青年だから、彼を味方にしておけば、悪いうわさがあっても擁護してくれそうだし、ご近所さんからの詮索の目をそらせるかもしれないと、沙代子は打算的に思う。
父の死を境にずっと寄り付かなかった自宅に戻ってきた27歳無職の娘なんて、井戸端会議の話題にはもってこいだろう。
「それで、わざわざ。銀一の娘で、葵沙代子って言います。よろしくお願いします」
沙代子は早速、愛想よく応じることにした。
「うん、よろしく。この辺りのことはだいたい把握してるから、わからないことがあれば、遠慮なく聞いてくれていいから」
先輩風を嫌味なく吹かすまろう堂の店主さんはきっと、お世話になったという父への恩返しを兼ねて、沙代子の力になれたらと純粋な気持ちでやってきたのだろう。
「早速だけど、聞いてもいい?」
「どうぞ」
もう一つ、沙代子には気にかかることがあった。この青年は知ってるんだろうか。15年前、ひそやかに広まった葵家のうわさを。
あれはもう時効だろうか。まだ幼かった沙代子にはどうすることもできなかったが、時効であってほしいと願う気持ちが沙代子にはある。
「天草さんはずっと鶴川に住んでるの?」
「ずっとって言うか、中学2年のときに農園の方へ引っ越してきたから、15年になるかな」
「えっ、15年?」
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