7

────────・・・・




「小町さん、鍵出しますよ?」




そんな言葉が聞こえてきた・・・。

そこで自分の瞼が閉じていることに気付いた。

身体に力は入らないようだけど、力ずくで瞼をこじ開けた。




そして、声の主の方を眼球だけを動かして見てみる・・・。




「矢田さん・・・。」




矢田さんだった。

矢田さんの細い身体が私の身体を支えて、支えながらも私の鞄から鍵を探している。




そして、鞄から鍵を取り出してくれた。

丸い鈴・・・桜の花の柄になっている鈴のストラップが付いている鍵を・・・。




チリン─...と、矢田さんの右手に持たれた鍵、その桜の鈴から儚く小さな音が鳴った・・・。




私だけの屋敷の鍵。

実家の家の鍵は実家に置いてきた。

本当だったら足を踏み入れたくもない場所だから。




そんなことを考えていたら、矢田さんが鍵を開けた。




私だけの屋敷の鍵を。




桜の鈴が付いた鍵で。




私の大好きな人から貰った、桜の鈴が付いた鍵で。




矢田さんが、私の屋敷の鍵を開けた。




矢田さんが、開けた。




矢田さんが・・・。




矢田さんが・・・。




矢田さんは・・・




矢田さんは・・・




私の婚約者。




10年も前から、私の婚約者。




この人が、私の婚約者。




11月8日に入籍をする、私の婚約者。




私の婚約者である矢田さんがベッドに私を座らせてくれた。




「ごめんね、飲み過ぎた。」




「お酒を飲むようになったのかと驚きましたけど、数分でテーブルに突っ伏していましたね。」




矢田さんが慣れた様子で、私だけの屋敷にある小さな冷蔵庫を開けた。

矢田さんがこの屋敷に入るのは初めてなのに、慣れた様子で。




1Kの屋敷、キッチンに置いていたコップにお茶を注いでくれ、持ってきてくれた。




「ありがとう。」




「いえ、すみません。」




矢田さんが“すみません”と謝る。

色々と謝らないといけないのは私の方なのに、矢田さんが謝る。




コップに注がれたお茶を一気に飲み込む。




「じゃあ、帰ります。」




「ありがとう。」




私がお礼を伝えると矢田さんが右手を私に差し出してきた。

見てみると・・・私だけの屋敷の鍵を差し出してきた。




その鍵に付いている桜の鈴が揺れ、チリン─...とまた儚く小さな音が鳴る。




それを眺めながら、聞きながら、矢田さんに言う。




「もうすぐ結婚だね。」




「そうですね。」




矢田さんが私に右手をもっと近付けてくる。




桜の鈴から矢田さんへ視線を移さないまま、聞く。




「子作りとかちゃんと出来るかな?」




「今は進歩していますし、色々な方法がありますから。」




その答えには笑ってしまった。




「矢田さんって37歳だけど、どのくらい女性経験あるの?」




「それは答えないとダメですか?」




いつまでも鍵を受け取らない私の隣に、矢田さんがソッと鍵を置いた。




その鍵を見ながら、その桜の鈴を見ながら、矢田さんに言う。




「私、何も経験ないんだけど。」




「そうですか、今は色々と方法がありますからね。」




「そうだよね、色々と方法があるからね。」




「じゃあ、戸締まりはちゃんとして下さいね。

おやみなさい。」




「おやすみなさい。」




私だけの屋敷、その短い廊下を矢田さんが歩いていく。




短い短い廊下、すぐに小さな小さな玄関に辿り着いた。




「あ、お父様からの伝言なんですが。

“秋の夜長には必ずよく眠るように。”だそうです。」




父親が矢田さんにそんな伝言を頼んだ。

あの父親がわざわざ私の睡眠を気にしている。




少し眠っては起きて、また少し眠っては起きて、それを二十歳からずっと繰り返している。




「眠りたくなくて。

私、眠りたくなくて。」




「病院で睡眠薬も処方してくれますから。」




矢田さんがそう言って、革靴を履いてから私だけの屋敷の扉を開いた。




そして、扉を開けてから私を振り返った。




「俺は寝ることが好きですけどね。

幸せな夢を見られるかもしれませんし。」




そう言いながら優しい顔で笑っている。

それを見て笑ってしまった。




「幸せな夢、見たいんだ?」




「そうですね、見たことはないですけど。」




「私は見たくない。

そんな無駄な夢なんて見たくない。」




「無駄ですか・・・。

どんなに無駄でも、俺は見てみたいですけどね。」




矢田さんが優しく笑いながら私だけの屋敷から一歩外に出た。




「おやすみなさい、良い夢を。」




.

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る