6.恋しき落花

 温室の話を続けると、自分が誘惑に流されかねない。

 シルビィは話題を変えることにした。


「そういえば一度目の人生で、閣下はご結婚はなさったのですか?」

「なぜ?」

「本当だったらどなたと結ばれたのか、気になって」


 テオドールは答えたくなさそうにした。


「ひょっとして、二度はご免と思うほど嫌な結婚生活を?」

「まさか! とても幸せな結婚生活でしたよ。一目惚れした相手でしたから」


 テオドールは強く否定し、しまったという顔をした。

 つい情報を洩らしてしまったことを後悔するが、もう遅い。

 一目惚れと聞いて、年頃のシルビィは興味津々だった。


「どんな? どんな方だったんですか? 美人ですか?」

「もちろん。世界一です」


 自慢げな肯定はもはやノロケだ。

 つかみどころのないテオドールの人間臭い一面に、シルビィは興奮した。


「お名前は?」

「内緒です」

「クリッグ家のミリア様ですか? それともモリス家のエリザベス様?」


 美人どころの名前を挙げるが、テオドールは頑として答えなかった。

 シルビィは口をとがらせる。


「そんなに幸せだったのに、どうして今世では結婚なさらないのです?」

「彼女は若くして亡くなりました。私と結ばれたことが原因で」


 バラ色だった話に、突如、暗雲が垂れ込めた。

 シルビィはテオドールの口が重かったわけを察した。


「彼女は私のすべてでした。

 彼女に出会って、私は世界が一変しました。

 何もかもが光り輝いて、命にあふれて見えるようになった。


 彼女は私の太陽です。

 また失うくらいなら、心が通わなくても構いません。

 生きていてくれる方がよっぽど嬉しいですから」


 きっぱりとした口調には静かな決意が秘められていて、シルビィは胸を打たれた。

 思わず涙ぐむ。


「ああ――すみません、シルビィ。

 仮にもあなたに求婚している身で、面と向かって話すことではありませんよね。

 あなたに不義理を働くことになるので、過去のことは話したくなかったのですけれど」


 テオドールは申し訳なさそうにしたが、シルビィはかぶりを振った。


「何を詫びられるのですか、閣下。いえ、テオドール様。

 これは感動の涙ですから、どうか気にしないで下さいまし。


 わたくし、今までテオドール様のことをハエトリグサやウツボカズラといった恐ろしい食虫植物のように思っておりましたが、考え直しました。


 意外と、ひたむきに野に咲くスミレのように思えて参りました」


 どさくさに紛れて失礼なことをいいつつ、シルビィはテオドールの手を握った。


「テオドール様。お辛いと思いますが、なぜどうやって奥様がお亡くなりになられたのか教えていただけませんか?


 テオドール様は諦めていらっしゃいますが、わたくしはテオドール様と奥様に幸せになって頂きたいのです。いえ、なるべきです。


 一緒に奥様を救う手立てを考えましょう」


 意気込むシルビィとは対照的に、テオドールは消極的だった。

 困ったように笑む。


「シルビィ、そのことはもういいんですよ」

「よくありません。どうしてそんなに簡単に諦められるのですか?」


「怖いんですよ。不安なんです。

 私は彼女に会えて世界一幸せです。

 でも、彼女は?

 彼女は私のせいで命を落とす。

 彼女にとって私との出会いは不幸の始まりかもしれないと」


「今回も不幸に終わるとは限りませんわ」


 シルビィは口を尖らせたが、テオドールの意志は変わらなかった。


「シルビィ。あなたと結婚したなら、私は他に女性を持ちませんし、あなたの望みもできる限り叶えますので。不義理はそれで勘弁してください」


 テオドールは頑固だったが、シルビィも頑固だった。


「テオドール様、もしわたくしに手伝えることがあったら、ぜひ言って下さいましね」

「生きていてくれれば、それで十分ですよ」


「わたくしは赤ん坊では無いのですが」

「では、テオと呼んでいただけます?」

「かしこまりました、テオ様」


 温室を通り抜け、また遊歩道を進む。

 今度の道は藤棚に囲われていた。

 多くの人が見頃を迎えた藤に見惚れながら歩いていた。


「まるで紫色の雨が降っているようですわね。

 ここの藤は極東から運ばれてきたものだそうで、この地方の固有種より花が大きい――」


 不意に腕を引かれる。

 頭上ばかり気にしていたシルビィは、向かいからやってくる通行人に気を払っていなかった。

 レースの日傘が当たりそうになるのを、テオドールがかばう。


「申し訳ございません!」


 ぶつかりそうになったのは、シルビィと同じ年頃の女性だった。

 美人だ。顔は小さく端整で、肌も透き通るように白く汚れない。

 着ている釣鐘型のドレスそのままに、カンパニュラの花ような可憐さだ。

 テオドールに気づくと、白金色の長いまつげに縁取られた目を見張る。


「お久しぶりです、テオドール様」


 女性が名を呼んだ時、シルビィは自分を抱える身体に力がこもったのを感じた。


「お久しぶりです、メアリー王女殿下」


「メアリーとお呼びくださいな。親戚同士なのですから」

「人の多いところでは日傘は閉じてくださいね、殿下。危ないですので」


 微笑んだメアリーに対し、テオドールはそっけなかった。

 シルビィともども一歩横へどいて、メアリーを先へと促す。


 シルビィは意外に思った。

 テオドールの態度は慇懃いんぎんだが、愛想のかけらもない。

 本音は別でも、始終なごやかな彼らしくない応対だった。


「――あ、落とし物」


 メアリーが去った後にきらめくものを見つけて、シルビィは身をかがめた。

 ヘアピンだ。アクアマリンだろう、きれいな水色の石がついている。


「王女殿下のものですわよね? きっと。目の色と同じですし」

「そうですね。髪に同じものが挿さっていました」


「追いかければ、間に合いそうですわね」

「まあ、人に任せましょう」


 テオドールは近くの少年を呼び止めると、ピンを託した。


「私たちは先を急ぐので、あちらのご令嬢に落とし物を届けてもらえますか?」


 チップを添えて頼まれたので、少年は機嫌よく駆けていった。


 シルビィはさらに怪訝になる。

 テオドールの言動には、メアリーと関わりたくない、という気持ちが前面に表れていた。


 優美な横顔を見つめる。

 なぜ邪険にするのか不思議に思っていると、おもむろに、テオドールの口元がゆるんだ。

 おかしそうに、くすっと笑う。


「どうなされたんですか?」

「いえ。ちょっと思い出して」


 語るつもりがなさそうだったが、シルビィは視線で続きをねだった。

 根負けしたテオドールが、苦笑いしながら語り出す。


「落とし物といえば、私は落とし物が多い人だったなあと。妻の中で」

「奥様の中で?」


「ほら、あるでしょう?

 わざと忘れ物をして、気になる人と話すきっかけを作るという古典的な方法」


 正攻法しか知らないシルビィは存じ上げないベタだったが、適当に相槌を打った。


「私もあれを妻にしましてね。何度も。

 二度目だけは本当に忘れていったんですが、それ以外は全部わざと。


 でも、彼女は最後まで意味に気づかなくて。

 彼女の中で私は落とし物が多い人、になってしまったんですよ。


 結婚後、外出のたびに妻が私に落とし物をしていないか訊くものですから、家の者たちは必死で笑いをこらえていましたね」


「まあ」


 シルビィも笑った。

 やすやすと人を手玉に取るテオドールが、参った、という表情をしているのがおかしかった。


「もっと教えてください、奥様のこと」

「もうしませんよ。あなたにする話ではありませんから」


 テオドールが歩きながら、肩越しに背後をふり返った。

 少年がメアリーに付き添っている侍女にヘアピンを渡していた。


 ――ひょっとして、奥様ってメアリー様?


 それならことさら邪険にして避けるのも納得できる。

 距離を取ってメアリーを見つめるテオドールを、シルビィは注意深く観察した。

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