第7話 フレデリック

若きフレデリック・ラファイエット公爵は苛立っていた。


「・・・・また、見合いか?いい加減放っておいて欲しい。僕はまだ十八歳だぞ」


睨みつけられても家令は涼しい顔をしている。


「そんなことを仰られても、いずれは旦那様には結婚して子供を儲けて頂かなくてはなりません。もちろん、女嫌いの旦那様には難しいことでしょうが、結婚は貴族としての義務でもあります」


「父上が亡くなってからまだ間もないのに結婚なんて考えられない。それに父上は六十歳近くなって子供ができたんだ。僕もあと四十年は大丈夫だ」


「ああ、例の双子のことですね。それは確実な情報なのですか?公爵家の遺産を狙う詐欺師の可能性だって・・・」


「ない!」


フレデリックは言い切った。


「そもそも彼女は双子とラファイエット公爵家の関連性を全く知らなかった。双子は健やかに愛らしく成長している。髪の色だけでない。顔立ちも父上にそっくりだ。疑う余地はない。二人とも素直で純真で・・・彼女が深い愛情を注いで育ててきたのが分かる。彼女はたった一人で双子を必死に育ててきた立派な女性だ。彼女を侮辱することは許さない」


その言葉に家令は目を瞠った。


常に冷静で何に対しても関心を示さないフレデリックが熱のこもった言い方をしたので驚いたのだ。


「『彼女』と仰るのは双子の養母であるエマ・ガルニエ嬢のことですね?」


「そうだ。彼女は・・・」


出しかけた言葉が不意に消えた。


「・・・とても面白い女性なんだ」


何かを思い出したかのように顔をほころばせるフレデリックを家令は興味深そうに見守る。


(旦那様のこんな表情を見たことがない。余程その女性に関心があるのか?)


少し緩んでいた表情を引き締めてフレデリックは強く家令に告げた。


「いいか?結婚相手は自分で決める!持ち込まれた見合いなんてまっぴらだ!」


というフレデリックの言葉を聞いて家令は衝撃を受けた。


(これまで絶対に結婚なんてしないと言い切っていた旦那様が・・?)


『絶対に結婚なんてしない』と『結婚相手は自分で決める』には大きな違いがある。


(この心境の変化はやはりエマ・ガルニエ嬢のおかげなのか?)


家令は高まる期待をどうしても抑えることができなかった。



**


フレデリックは幼い頃から何に対しても執着したことがない。どんな高価なおもちゃにも興味を示さなかったし、何かを父親にねだったこともない。


しかし、稀に何かを気に入ると決してそれを手放そうとはしない。


例えば彼が五歳の頃、父親に連れられて王宮に行ったことがある。その時王宮で迷子になったフレデリックは通りかかった令嬢に助けられた。その時にその令嬢から貰ったというハンカチをいまだに大切にしていて、決して誰にも触らせようとはしない。


(思えばあれが旦那様の初恋だったのかもしれない。せめて初恋が美しい清い思い出で良かった)


家令がそう思ったのには訳がある。フレデリックは成長するにつれて他の貴族との付き合いが増えるようになった。


フレデリックの美しい顔立ちと公爵の嫡男という肩書は、多くの令嬢にとって非常に魅力的なものだったに違いない。


出かけるたびに令嬢たちにつきまとわれ、強引に迫られ、中にはまだ十歳のフレデリックを密室に閉じ込めてドレスを脱ぐような悪質な娘もいたらしい。


フレデリックは女性との接触を極度に恐れるようになり、心配した父親は学校に通わせず自宅でホームスクーリングをすることに決めたのだ。


女性不信になったフレデリックは社交全体が苦手になってしまったようだ。貴族との付き合いになると氷のような無表情になる。


『表情に乏しくて人間味がない』などと陰口を叩く貴族がいると、家令の胸は怒りで一杯になる。


(旦那様は使用人にも優しく、愛情深い性質でいらっしゃるのに過去の酷い経験のせいでそれが表に出せなくなってしまったんだ!)


しかも、父親が亡くなってから無表情に拍車がかかってしまった。感情が消えてしまったようなフレデリックを屋敷の使用人たちは心配していた。


唯一と言っていい肉親を失ったフレデリックは、胸にぽっかり空いた穴を埋めるかのように引き継いだ公爵の仕事に邁進した。


常に無表情で公務に没頭し、喜怒哀楽がなくなったフレデリックに感情らしきものが芽生えたことが家令にとっては嬉しかった。


「双子のお嬢様がたはいずれ遺産相続の手続きのために当家にいらっしゃるのでしょう?エマ・ガルニエ嬢も付き添われると思いますが、出来るだけ早くお誘いになった方がいいのでは?」


フレデリックの頬が紅潮した。そんな顔も久しぶりだと家令の胸は躍る。


「そ、そうだな。それは良い考えだ。早速彼女に話をしてみよう。うん」


「うん。いい考えだ」と何度も呟きながら何やら不思議な気合を入れていたフレデリックだったが、実際に彼女を屋敷に招待できたのはその数ヶ月後のことだった。


どうしても緊張してなかなか彼女を誘えないとこぼすフレデリックを家令は微笑ましく見守っていた。


フレデリックの変化に気がついたのは家令だけではない。他の使用人も彼の様子が以前に比べて幸せそうなことを嬉しく思った。


「エマ・ガルニエさんという女性は平民だそうですが、旦那様が幸せでいらっしゃるなら身分なんて関係ありませんね」


などという言葉が使用人の間で交わされるようになり


「あれだけ女性不信だった旦那様が惹かれる女性だったら、さぞかし素敵な方なのでしょう」


という結論に至った。


いずれ前公爵の忘れ形見である双子は屋敷にやってくる。その時に保護者として付き添うであろう女性に会えるのを使用人は心待ちにするようになった。


母親のモニカが亡くなっていたことは悲しいが、前公爵の遺児を守りたいという気持ちが使用人の間で高まっていたのだ。


だから、モニカの妹で双子を一人で育ててきたエマに対して反感を覚える人間は屋敷にはいなかった。



しかし、親族にとっては違う。ラファイエット公爵家の遺産を期待していた親族は、突然遺児が現れ多くの遺産を奪っていくと彼らの存在を疎んじている。


遺産相続は荒れそうだと使用人たちは不安を感じていた。

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