第49話 ゲーム中に起きた、とある小さな奇跡について

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 残り時間――3時間07分  


 残りデストラップ――2個


 残り生存者――3名     

  

 死亡者――6名   


 重体によるゲーム参加不能者――4名



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 暗闇におちていた意識が回復した。それと同時に、腹部に今まで感じたことのないような激痛が走った。その痛みで、自分の身に起きた事をまざまざと思い出した。


 あの男――瑛斗にメスで脅されて、この産婦人科の診察室に連れてこられた。そして、メスでお腹を――。


 薫子は恐る恐る痛みがあるお腹に視線を向けた。お腹にあてられたガーゼと、その上から幾重にも貼られたサージカルテープ。すぐに誰かが怪我の手当てをしてくれたのだと気が付いた。



 もしもこの手当てがなかったら、今頃、私はどうなっていたか?



 そう考えただけで背筋に震えが走る。


 お腹に手を伸ばす。一瞬の間を置いて、手のひらに伝わる赤ちゃんのたしかな胎動。



 大丈夫、赤ちゃんは生きている。生きているんだ!



 不意に目から涙がこぼれ落ちた。少し前までは可愛いとすら思ったことなかったのに、今はこのうえなく愛おしく感じる。



 なぜなんだろう?



 薫子が自分の妊娠を知ったのは、数ヶ月前のことだった――。


 当時、薫子が付き合っていた男はワケありだった。いわゆる不倫というやつである。


 最初こそ楽しくやっていたが、不倫の関係が致命的にこじれるきっかけとなる出来事が起きた。それが薫子の妊娠である。


 相手はすぐに中絶を迫ってきたが、薫子は応じる意思はなかった。むしろ赤ちゃんが出来たことで、正々堂々と恋人を名乗れると思ったくらいだ。


 しかし、そこから事態はさらに混迷していった。相手の妻が訴えを起こしてきたのである。裁判は相手の弁護士のペースで進んだ。結局、出産費用と小額の養育費を受け取ることで話はついた。


 薫子はお金なんか欲しくなかった。ただ、相手の気持ちが欲しかっただけなのに。


 失意の薫子に、さらなる衝撃が待っていた。


 赤ちゃんが産まれたら相手の気持ちが変わるかもしれないと思い、それだけを目標にして日々を過ごしていた。ところが、ある日病院で、赤ちゃんに異常があると告げられた。


 薫子は絶対に赤ちゃんが欲しかったので、出生前診断を受けていた。その検査結果で、赤ちゃんの遺伝子に異常が見付かったのだ。


 それを聞いたとき、薫子は目の前が真っ暗になった気がした。赤ちゃんが心配でそうなったのではない。そんな赤ちゃんでは相手の心を取り戻せないと思ったからだった。


 医師から中絶と言う選択肢も提示されたが、どうしたらよいかまったく分からなかった。


 そんなとき、あの男が目の前にあらわれた。


 死神の代理人――紫人。


 紫人は赤ちゃんの遺伝子を治せると言ってきた。


 薫子は紫人の話に一も二もなく飛びついた。赤ちゃんさえ無事に産まれれば、相手の心をまたこちらに向かせられると思ったから。


 だが、実際にゲーム会場に来て、人が死んでいくのを間近に見て、心底怖くなってしまった。


 だから、終始お腹を守るようにして、隅っこで小さく丸まっていた。ただ時間だけが過ぎて、早くゲームが終わるように祈りながら。


 実際、薫子の作戦は上手くいっていた。あの男――瑛斗に目を付けられるまでは。


 瑛斗の手でここに連れ込まれたときには、もう終わりだと覚悟しかけた。しかし今、薫子は重い傷を負いながらも、たしかに生きている。お腹の中の赤ちゃんも無事である。



 いったい私が気を失ってる間に何が起きたんだろう?



 薫子はお腹を手で押さえながら、改めて周りを注意深く見回してみた。すぐに部屋の床の上に、ふたつの人影を発見した。


 ひとりは白髪で喪服姿の男。たしか円城といった。


 もうひとりは、ゲーム開始当初にリーダー役を務めていた男。五十嵐だった。


 円城の手にはサージカルテープが握られていた。円城の持つサージカルテープが、自分のお腹に貼られたものと同じものだと見て取れた。


 目を引いたのはテープばかりではない。円城のお腹にはメスと思われる銀光を放つ金属質の物体が不気味に突き刺さっていた。


 凄惨極まりない光景であったが、なぜか円城の顔には苦痛ではなく、笑みが浮かんでいた。


 続いて、五十嵐に目を向ける。五十嵐は見慣れぬ赤色の機械を両手で抱え込んでいた。すぐ近くには『AED』と書かれた赤色の四角いケースが放置されていた。


 咄嗟に薫子は自分の胸元に目を向けた。赤い血で彩られた胸部に、二ヶ所だけ血が付いていない部分があった。肩甲骨の下あたりと、胸の下辺りである。


 それが何を意味しているのか分からないわけがなかった。


「ねえ……二人が……二人が、私を……こんな私を……助けて……くれたの……?」


 涙交じりの声だった。


 おそらく、瑛斗のメスで切られたお腹を、円城がガーゼとサージカルテープを使って処置してくれたのだろう。五十嵐は意識を失った自分に、AEDを使って蘇生処置をしてくれたのだろう。


 でも、その代償として、二人は命を失うことになった。


「どうして……どうして……こんな私のことを、助けてくれたの……? 赤ちゃんが……気になったから? 私、赤ちゃんのことなんか……これっぽっちも、気にしてなかったのに……。私は赤ちゃんのことを、あの男との取り引き材料としか思っていなかったのに! 私はどうしようもない女なのよっ! 赤ちゃんの母親失格なのよっ!」


 薫子は絶叫し、そして号泣した。


 まるでそんな薫子を励ますかように、お腹の中の赤ちゃんがぴくりと動いた。


「動いた……動いた……」


 夢中でつぶやく。


「そうだよね……。二人が命がけで助けてくれたんだもんね……。ママが、ママが……しっかりしないと……ダメだよね……」


 お腹を優しく撫でながら、まだ見ぬお腹にいる我が子に話しかける。


「ねえ、ママでいいの? 本当にママでいいの? あなたのことを恋愛の道具にしたんだよ?」


 お腹の赤ちゃんがまた動いた。


 まるで『いいよ』と言ってくれたように感じられた。


 もちろん、それは薫子の思い込みかもしれなかった。


 でも、それでもいい。薫子は決心した。



 この子は絶対に私が守る!



 もう相手の男のことなど関係ない。

 赤ちゃんの遺伝子の異常など気にしない。

 もちろん、中絶なんてもってのほかだ。



 この子は私の大事な大事な大事な赤ちゃんなんだから!



 それ以上の理由が他にあるだろうか。



 この子は私が大切に大切に大切に育ててみせる!



 薫子はお腹の痛みに耐えながら、診察台から降りた。こんな痛みなど痛みのうちに入らない。自分が赤ちゃんに対してした裏切りの方が、よっぽど赤ちゃんを傷つけている。


 床の上に横たわった二人の顔を順番に見つめた。薫子にとっては、赤ちゃんを助けてくれたスーパーヒーローだ。


「助けてくれてありがとうございました。この子は私が必ず助けてみせます!」


 薫子は診察室から廊下に出た。ちょうどそのとき、階下で衝撃音がした。さらに数十秒後、今度は爆発音があがった。


 瑛斗が運転していた車が、一階の外壁に衝突したのだ。むろん、薫子はその事情を知らない。


 だが、その衝撃が病棟全体を大きく揺らしたのを感じた。そして、この病棟がもうもたないであろうと悟った。



 病院が崩壊する前に逃げないと!



 辺りを見回す。壁に掛かったフロア案内図を素早く確認する。


 小児科、臨床検査科、皮膚科、MRI、CT――。


 薫子は重い体を気力で支えて、廊下を進んでいく。揺れてもいないのに、きしむような音が壁や天井からあがる。もしも、病棟の崩壊がデストラップだとしたら、この音は前兆に間違いなかった。


 この傷ついた体では、もはや一階に下りている時間はない。とりあえず、どこか安全な場所を見付けて、そこに避難だけでもしないとならない。


 恐怖に飲み込まれそうになるが、お腹に手を当てていると、それだけで揺るぎない力が無限にあふれてくる。



 この力がある限り、私は絶対に負けないから!



 薫子はお腹の中の赤ちゃんを守る為に必死に戦っていた。

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