第37話 誰かの為に出来ること その2

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 残り時間――5時間04分  


 残りデストラップ――6個


 残り生存者――7名     

  

 死亡者――3名   


 ゲーム参加不能者――2名


 重体によるゲーム参加不能からの復活者――1名



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 非常灯と落下せずに残った蛍光灯が輝くなか、五十嵐は階段を下りて四階にたどり着いた。瑛斗がどこに向かったのか最初は見当もつかなかったが、円城との会話を思いだして、行き先が分かった。


 さっきまでは地震と爆発、それに瑛斗の豹変に気が動転するだけだったが、今は落ち着きを取り戻した。だから瑛斗の行き先も分かったのである。


 いつもは冷静にリーダーとして振る舞えるのに、少しでも自分の予想と異なる事態が起きてしまうと、冷静さを欠き、ひどくうろたえてしまう。


 それが自分の欠点であると、五十嵐は自覚していた。


 このとんでもないゲームに参加することになったきっかけも、その性格が災いしてのことだった。


 

 話は三ヶ月前に遡る――。



 五十嵐は自分が経営するIT企業の経営戦略会議の席上で、ひとりの女性社員を殴ってしまった。その女性社員が自分の意見に反論したからだった。

    

 今まで自分に対して反論を言ってくる社員などひとりもいなかった。五十嵐のリーダーシップによって大きく成長した会社だったので、会社内には五十嵐の意見に反対してはいけないという雰囲気が出来上がっていた。


 いうなれば、五十嵐はハダカの王様状態だったのである。


 そのことに気付いたのは、殴られた女性社員が床の上に転がるのを見たときだった。つまり、気付いた時にはもう手遅れだったのである。


「私、社長のことを絶対に訴えますから!」


 その女性社員はそう言い残して、会議室から出て行った。女性社員のブラウスの胸元には、真っ赤な血がこびりついていた。


 一週間後――口元にガーゼを張った女性社員が、弁護士を連れて会社に出勤してきた。


 弁護士は莫大な額の慰謝料を請求してきた。今の会社の状況からすると、経営を圧迫するほどの額であった。


 だから、五十嵐はその要求を当然突っぱねた。


 翌日、更なる悪夢が待ち受けていた。テレビのワイドショーにパワハラだと大きく報じられてしまったのである。


 当然、社経営は上手くいかなくなり、テレビを見た得意先からは契約を切られ、会社は倒産間近の状態に陥ってしまった。



 あのとき、弁護士が示した賠償請求を受け入れていれば――。

 いや、あのとき、女性社員の意見を聞き入れるだけの度量があったら――。

 いや、そもそも自分自身の欠点を少しでも直す努力を怠らなかったら――。



 言い出しても栓無いことぐらい分かりきっているが、どうしても悔やんでも悔やみきれないでいた。


 そんなとき、あの男が会社にあらわれたのだった。死神の代理人――紫人である。


「どうやらずいぶんとお困りのようですが、わたくしの話を聞いていただけませんか? あなた様にとって、決して悪いお話ではないと思うのですが」


 いつもならばそんな胡散臭い話など聞く耳をもたないが、そのときは藁にもすがる思いで話を聞いてしまった。


「わたくしは相手側の弁護士さんからも話を聞いています。先方様は慰謝料にプラスして、痕が残らずに傷を治してくれるのであれば、訴えを下げてもよいと言っておられます。わたくしどもの方でお金を用意することは出来ませんが、その女性の傷を完璧に治すことは出来ます。もちろん、それにはひとつ条件が御座いますが――」


 そう言って紫人はこのゲームの話をしてきた。


 全ての話を聞き終えた五十嵐に、断る理由はなかった。


「――そのゲームに参加させてもらうことにする」



 五十嵐が死神と契約をした瞬間である。



 そして現在──五十嵐はゲームの真っ只中にその身を置いている。しかし、その胸に宿る思いは、ゲームを始めた当初と大きく異なっていた。自分の過去の汚点を消すためにゲームに参加したはずなのに、今はそんなことどうでもよくなっていた。


 とにかく円城に追い付いて、一緒に薫子を救出する。それが一番の思いだった。


 なぜ、気持ちに変化があらわれたのか、自分でもよく分からない。


 ただひとつ言えることは、ここで行動しないと、何かとても大切な物を失ってしまう気がしたのだ。『それ』がなんなのか分からないが、『それ』を失ってしまったら、きっと自分はダメな人間のまま終わってしまう気する。


 だから、危険を承知の上で、ここまでやってきたのである。


 廊下の先に人影が見えた。声を掛けそうになるのをやめて、代わりに手を大きく振って合図を送る。相手も気付いたようで、手を振り返してくる。


 ようやく円城に追い付いた。


 これから、やるべきことをやらないといけない。


 いつまでも逃げ続けてばかりいてはいけないから。

 


 ――――――――――――――――



 円城がまさに今ステレッチャーごと診察室に飛び込もうとしたとき、視界の隅に動く物体が入りこんできた。とっさに作業を一時中断して、そちらに目をやる。


 天井の明かりの下に、五十嵐の姿が見えた。こちらも手を振り、合図を送る。それから診察室を手で示して、そこに瑛斗がいることを伝える。


 五十嵐が手を使って頭上で丸を作る。どうやら話が伝わったらしい。


 円城が見ていると、五十嵐は音をたてないように慎重な足取りで、こちらに近寄ってきた。


「このストレッチャーを使って、診察室に飛び込むつもりだ。それであの男が驚いた隙を突く」


「――作戦は円城さんにお任せします」


 五十嵐はすぐに円城の作戦を飲み込んだ。


「そこで君にはこのストレッチャーを押してもらいたい。今の私にはそれもひと苦労だからな」


「それじゃ、円城さんは上に乗っていてください。ぼくがストレッチャーをそのまま押すので」


「ああ、頼む。中に入ってあの男を見つけたら、私はストレッチャーの上からジャンプして飛び掛かる。君は薫子さんの方をすぐに保護してくれ。もしも怪我をしているようだったら、すぐに処置を頼む」


「分かりました。やってみます。ところで円城さんの方こそ、その傷で本当に大丈夫なんですか? なんなら、ぼくがあの男を――」


「いや、あの男は武器を持っているから、私が相手をするよ。さっきも言ったが、この傷のお返しもしなきゃならないしな」


 円城はグルグル巻きにしたサージカルテープの上から、瑛斗にメスでやられた傷口を軽く叩いてみせた。


「そういうことなら最初の作戦通りに行きましょう。あっ、ちょっと待ってください。もしかしたら、あれが使えるかもしれない――」


 五十嵐の視線が天井のある物体に向けられる。


「なるほどな」


 円城は五十嵐の視線の先を追った。その物体を見て小さく首を縦に振り、五十嵐の案にのった。


「あれなら使えそうだ。あの男がデストラップの前兆だと間違って認識してくれたら、最高の陽動になるぞ」



 ―――――――――――――――― 



 瑛斗はお腹に突き刺したメスを、ゆっくりとへその方へと動かしていく。軽く刺したさきほどと異なり、出血の量が桁違いに多い。


 お腹を四分の一ほど切り開いたところで、一旦、手の動きを止めた。緊張の為か、それとも興奮状態の為か、つい刃先を奥深くに突き入れてしまいそうになるのだ。


 赤ちゃんを傷つけることだけは絶対にしてはならない。


 精神を落ち着かせるため、大きく三回深呼吸をした。



 よし、これならいける。



 瑛斗は再度メスをゆっくりと動かしていく。


 そのとき、廊下の方からけたたましい音があがった。非常ベルの音だ。


 この神聖な儀式を邪魔されたくなかったので無視しようとしたが、そこで今自分がゲームに参加していることを思い出した。


 もしかしたら、この音はデストラップの前兆かもしれない。だとしたら、無視し続けるわけにはいかなかった。


「ボクの人生で一番大事なときなのに」


 ひとまず薫子のことは頭の隅に移動させる。腹に突き刺していたメスも慎重に抜いた。非常ベルとデストラップとの関連性を考えて、安全なようならすぐに儀式を再開すればいいだけだ。


 瑛斗は頭を働かせた。


 火災発生、炎、煙の充満、一酸化炭素中毒――。


 非常ベルから連想される危険事項の数々を脳裏に思い浮かべていた、まさにそのとき――。

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