7.五大老筆頭 -7

「島津が敵軍を打ち破った?20万人もの軍を相手にしてか?良いぞ、良いぞ、良いぞぉぉぉぉぉぉぉぉ!」


 10月中旬、家康は書状を握りしめながら叫んでいた。




 10月頭の報告の後、再び朝鮮からの報告が上方の大名たちへと届く。


 先日届いた報告では開戦後の状況がまとまっておらず、国内組はその後の展開がどうなったのかを気を揉みながら待っていた。


 そこに届いたのが、絶望的と思われていた泗川城の戦いで島津家が大勝したという知らせである。


 知らせを聞いた大名たちは大喜びして島津家を褒め称えた。


 家康も半ば諦めていただけに、この予想外の勝利を榊原康政と共に大喜びしていた。



「見ろ康政!明軍・朝鮮軍を潰走させ、川まで追い詰めて叩き落したとあるぞ。流石は戦闘民族の島津家だな!」


「敵軍20万人は過大とは言え、それでも推定4万人はいるであろう軍に勝ちますか...。しかも、味方からの援軍を断った上で...」


「敵軍の兵糧を焼いて短期決戦に追い込み、籠城では鉄砲や地雷で応戦。明軍の火薬庫が爆発して統率が取れなくなったのを見計らい、城門を開き全軍を上げて突撃。いやいや、一歩間違えたら全滅確定だな。ワシなら絶対真似せんぞ」



 家康は酒を持ち出して、そのまま康政と祝杯を上げる。



「いやー、こんなに美味い酒は久々だ。ここで島津家が負けていれば、文字通り豊臣政権が傾いていた可能性が高い。それを救ってくれた島津家には感謝してもし足りんな」


「他の大老たちや奉行衆も喜んでいるそうです。しかも島津軍の損失は軽微と、これ以上無いほどの理想的な展開です。特に、文治派と武断派の対立に頭を悩ませていた前田利家様からすれば、今回の結果を受けてまずは一安心でしょう」


「帰国準備をしている三成殿も肩の荷が下りただろう。九州で死にそうになりながら仕事しているとは聞いたが、これで苦労も報われるだろう」


「しかし敵陣が崩れたとはいえ、4倍を超える敵軍に突撃するとか頭おかしくないですか?しかも総大将が最前線で槍を振り回すとか。生きてる時代間違えてますよ」


「まあ、島津だからな。戦になると頭がおかしくなるのはいつものことだろ」


「この戦で島津家は鬼石蔓子とか呼ばれるようになったそうです。これ鬼の島津って意味らしいので、あちらからしても頭おかしい奴らって認識されてますね」


「いやいや、あっぱれ。自分たちが負ければ他の拠点が危うくなるのを理解し、耐え忍んで勝機を掴むとは正に武門の誉れよ。日本に島津家ありと世に知らしめたな。秀吉殿はよくこんな相手を打倒したものだ」


「圧倒的な数と装備で押しつぶさないといけない相手とは戦いたくないですね」


「全くだ。こんな奴らは相手にするものじゃないな」




 島津家の勝利は朝鮮における日本軍の防衛線維持を意味していた。


 加えて、順天城においても激しい戦いの末に明軍・朝鮮軍を追い返すことに成功。


 これにより明軍・朝鮮軍の総力を上げた攻勢は頓挫することになる。



 また、攻勢を退けて時間を稼いだことで、唐入りからの撤退を告げる使者が各拠点に到着。


 加藤清正が守る蔚山城と島津義弘が守る泗川城は敵軍との交渉の後、大きな被害を出すこともなく後退することに成功する。


 当初絶望的とも思われた撤退戦は一気に現実味を帯びることとなった。


 なお、後年家康は関ヶ原の戦いにおいて、この時褒め称えた島津家の武勇を自らの身をもって味わうことになる。





 明軍・朝鮮軍に包囲されている拠点は順天城のみとなり、ここから部隊を撤退させられれば帰国の準備は整うことになるが、依然として包囲網は健在だった。


 そのため、守将の小西行長は明軍と交渉し、10月末に和議を締結することに成功。


 この頃には明軍・朝鮮軍も秀吉の死を把握しており、明軍側も交渉によって無駄な交戦を避けた形になるが、ここに来て日本軍撤退の動きを知った朝鮮水軍が独断で行動を開始。



 約束した撤退の前祝いとして11月9日に順天城で酒盛りが行われるが、翌日に行長たちが見たのは海上を封鎖する朝鮮水軍だった。


 行長は再度交渉しようとするが、朝鮮水軍の猛抗議に明軍も折れ、撤退を許すという約束を反故にする。


 撤退が不可能となった行長たちであるが、この行長たちを救ったのもまた島津家であった。




 11月18日。

 島津軍を中心とする日本水軍が順天城の救出に向かう。


 しかし、この軍団は輸送船が中心の構成であったため、敵軍の待ち伏せにあったこともあり一方的に攻撃を受ける。


 島津軍が敵軍を引き付けるが敵軍を突破できず、大名の死亡といった最悪の事態は避けたものの、最終的に夜が開ける頃には日本軍は撤退する。



 ただし、この戦いにおいて朝鮮水軍では中核となる将官が多数死亡。


 敵水軍の統制が機能しなくなった隙をついて、順天城の兵たちは船を出して撤退に成功する。


 11月中旬には日本軍が釜山に集結し順次帰国を始め、これにより唐入りは大きな損害を回避した上で終結となった。



 なお、結局講和は成立しておらず、あくまでも日本軍の撤退であって実質的には休戦という形となる。


 講和が成立するのは慶長14年と11年も経った後の話であり、この仕事は後年の課題の1つとして家康が預かることとなる。





 11月下旬。

 家康は前田利家から呼び出され、屋敷を訪問していた。


 唐入りからの撤退に目処がついたこともあり、前祝いでもするのかと思っていた家康であったが、そこで見たのは険しい顔をしている利家だった。



「...利家殿。そんな渋い顔をしてどうされた?渡海組も欠けること無く撤退と、悩みの種が減ったばかりではないのか」


「その渡海組だが、現地での状況を聞かれたか?」


「そう言われるとそこまで詳細な話は聞いておらんな...」


 なんでそんな話をするのかと戸惑う家康に対し、利家は眉間に手をあてながら答える。



「渡海組の雰囲気は最悪の一言らしい。長年戦い続け、その結果が何も得られずとなれば致し方ないだろう。問題なのは秀吉様が居らぬ今、その怒りが奉行衆と行長殿に向かっているということだ」


「それはつまり、唐入りの発端となった行長殿と、監視役として派遣されていた三成殿に恨みがあるということか?」


「その通り。そして最早仲を取り持つといった段階ではなく、今にも斬りかかりそうなほど関係が悪化しているらしい。九州での働きぶりを見て三成殿を褒める者は多いが、渡海組にあってはその限りではないようだ」


「...それは誰の話だ?具体的な大名は分かっているのか?」


「ある程度は把握している」


「なるほど。確かに大名が2-3名も集まって反乱でも起こそうものなら大問題だな...」


「......違う」


「違うとは?」


「不満を抱えているのは2-3名ではない。大名だけでも7名ほどいる。しかも武断派の筆頭である加藤清正殿に至っては行長殿との仲が壊滅的だ」


「7名!?そんなに多いのか!?」



 利家の告げた数に家康は驚き立ち上がる。


 7名もの大名が同時に挙兵しようものなら、文字通り豊臣政権は空中分解する。


 それに乗じて兵を起こす大名が現れることを考えれば、秀吉が築いた国内の平和は完全に消え去り、戦国時代へと再突入することになるだろう。



「家康殿も分かっているだろうが、五大老・五奉行の体制になってから、面倒事ほど話がまとまらず先送りにされることが増えている。相互監視と言えば聞こえは良いが、政事の基本方針が無い中では合議制は機能せん。ましてや、武断派が不満を抱えているからといって、何か手当をしようにも文治派である奉行衆は賛同しないだろう」


「待て。そうなると遠くない先に武断派が暴れだすと言いたいのか?」


「某の目が黒い間はそうはさせん。何とか落ち着かせるが、抑えている間に何か手を打たねばならん」


「そういうことであれば協力しよう。...とはいえ、ワシにできることは思いつかんが」


「今はそれで良い。まずは某が話をしてみるので、何があった時に手助けをしてくれれば十分だ」


「うむ。任せてくれ。ただ、利家殿も体調が良くないのだから、あまり無理はしないようにな...」




 唐入りからの撤退に成功した豊臣政権ではあるが、今度は帰国した渡海組の扱いが問題となる。


 渡海組同士でも関係が険悪になっている事に加え、元々仲の悪かった文治派と武断派の関係が更に悪化。


 大きな功績を上げた島津家は唯一加増を受けるが、それ以外の大名たちは恩賞無しという結果もそれに拍車をかけた。


 その結果、家康とそれ以外の五大老・五奉行との対立だけではなく、文治派と武断派の対立が国内で加速し始め、後に政権を揺るがす大事件へと発展することとなる。

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