タワーズドラゴン 〜幻想と現実の狭間にて〜

眠り文鳥

プロローグ

『廻廊の夢』

 

 静まり返った夜闇の帳が降りていた。


 途轍もなく大きな円を描く廻廊だ。

 薄暗いからなのか、道の先がよく見えない。

 俺は目的もなく前に歩く。


 足元に目を向けると、自分の足が動いている。

 右を見ると、窓があって星に照らされた外が見える。

 学校みたいな場所だなと思い、首を左に向ける。


『Nfuivtfmbi』


 読めない文字が大量に並んでいた。

 まるで書道の授業の掲示のように、ずらりと並んだ黒い文字。

 読めないなりにぼんやりとそれを眺め、廊下をぶらぶらと歩く。



 ふと、風が吹いた。


 並ぶ文字が流れていくスピードが速くなる。

 自分の歩速が上がっているのだ。

 漠然とした不安にかられ、胸が圧迫される感覚を覚える。


「はぁっ、はぁ......」


 気がつけば走っていて、すぐに足が止まる。

 肺の弱い俺はあまり長い間走れない。

 膝に手をついて壁の掲示に目を戻す。


『Njofswb』


 相変わらず、読めない文字ばかりだ。

 そう思いながら掲示を流し見していると、

 遂に、自分が読める文字があった。


「......」


 それを見た時、俺の体はピタリと硬直した。

 目は大きく見開かれ、唇はカサカサになり、頭は真っ白に。

 そして、その文字を指で触れた。


『龍ケ崎 誠也』

『龍ケ崎 琴音』


 ふと、自分の顔に触れた。

 肌は冷たく、なぜか岩のように固い。

 自分の顔じゃないかのような感触だ。


 直後、俺の顔にヒビが走った。

 割れた結晶のように顔が地面に散らばる。

 そして、俺の体も地面に崩れ落ちる。




  ===




「――おーい、真治くーん?」


 頭を小突かれる感触に顔を上げる。

 視界が驚くほどボヤケている。

 あれ、メガネはどこだ......


「おはようございます、朝比奈先輩」

「"おはよう"にはちょっと遅い時間だね」


 傍にあったメガネをかける。

 見上げると、茶髪の先輩がこちらを覗き込んでいた。

 彼女は目を覚ました俺を見て、微笑を浮かべる。


「終電前には帰らなくちゃ。

 寝袋で雑魚寝するほど急いではいないじゃん?」

「――まあ、今日で大分片付きましたからね」


 椅子から立ち上がって伸びをすると、どれだけ深く眠っていたのかがよく分かる。

 夢を見ていた気もするが、覚えていない。


「明日の午前に終わらせて、午後に見直しましょう」


 龍ケ崎真治。大学二年生。

 物理学系のサークルの、一応主要メンバー。

 まあ正直、朝比奈先輩のサポートが主な仕事ではあるが。


「じゃあ、電気消しちゃうよ?」


 朝比奈彩花。大学三年生。

 俺の先輩で、このサークルの中核的存在。

 成績優秀で眉目秀麗な話題の人。


 まあ、俺の中では単に情報熱力学狂いの先輩だが。


「わーい計画停電」

「......真治くんって、冗談言うときも真顔だよね」


 あと、人の悩みをガン無視するノンデリ先輩でもある。

 まあ、面白いことを言えない俺のせいでもあるが。




 俺は笑えない。

 冗談のような話だが本気の悩みだ。

 幼少期から全然笑えていない。


 無論、表情筋が鋼鉄というわけではない。

 クシャミをすれば顔が歪むし、口角を手で持ち上げられる。

 だが、自然に笑えないのだ。


 不気味と言われた回数は、多分100回ぐらいだろうか。

 影ではもっと沢山言われているのだろう。

 人生で敬遠された回数は、1000回ぐらいだろうか......


「――でさ、その小説の外伝? みたいなやつでシラードとマクスウェルっていうキャラがでてきてさ。

 私てっきりマクスウェルの悪魔由来のキャラクターだと思ったの。

 だからずっと熱浴の平衡とか、第二法則とかの話が出てくるんじゃないかと思って読んでたんだけど、結局何も触れずにシラードもマクスウェルも死んじゃって......」


 俺のことを不気味と思わない人もいる。

 朝比奈先輩は、俺の無表情を面白いと一蹴した。

 彼女が俺にいだく感情は、恐らく同学への仲間意識のみだろう。


「てかその小説、俺も読みました。

 滅茶苦茶面白かったけど、笑える内容ではなかったですね」

「ちょっと悲しい物語だよね。

 とってもワクワクするいい話だけど」



 そんな雑談をしながら外に出ると、冷たい風が頬に触れた。

 見上げると、少ないながらも雪が降っていた。


「おお! 初雪だね!」

「温暖化とはいえ、まだ雪は降りますね」


 手に持っていたコートを羽織り、マフラーを身につける。

 地面は薄っすらと雪化粧されていて、少し風が吹いている。

 駅までの道を先輩と歩く。


「悲しい物語を悲しいと思えるなら、それをプラス方向に持っていけばいいんじゃない?」

「心では笑えてるんですよ。

 ただ、表情が感情と乖離している。

 心理的な疾患でしょう」

「なら、何かを好きになればいいんじゃないかな」

「なぜ?」

「自分で言うのもあれだけど、私が熱力の本読んでるとき、たまにおかしいでしょ?」


 頭に朝比奈先輩の気味の悪い笑顔が浮かぶ。


「あんな感じの笑いは求めていないんですがね」

「なら、もっと美しい"好き"を求めればいいのかな」

「美しいって?」

「原始的欲求から離れている、とか」


 自分の好きなこと、か。

 勉強は得意だが好きじゃない。ゲームはほぼやらない。

 読書は教養を目的としている。人間関係は......


 朝比奈先輩の顔を見る。

 可愛いとは思うし、いい人だとは思う。

 でも、"好き"には程遠い。


「もしかして、私のこと好きになった?

 それはちょっと、原始的欲求そのままじゃん!」

「いや、先輩への好意が皆無なことを確認してました」

「あはは、大分失礼な物言いだね」


 好きになる、か。

 観測したことはあっても経験したことはないな。




「じゃあね、真治くん。

 明日で完璧に仕上げよう!」

「さようなら、お気をつけて」


 駅の改札の先で先輩と分かれる。

 乗る電車のホームが違うのだ。

 階段を降りると、風に俺の黒髪がなびく。


 時刻表を一瞥して定位置へ直行。

 目をつむり、ポケットに手を突っ込む。


 行動を起こさない限り、人は変わらない。

 外部要因による解決は到底見込めない。

 ここ十年ほどの静置はなんの進展も兆しも生まない。


 他者を愛す、なんと難しい命題だろうか。

 ならば、何かしら熱中できるものを探すべきだ。

 では、何を?


「......」


 .........

 ......

 ...

 俺の脳は、アイデアを編み出すことに至極向いていないな。




 何かしら、大きなきっかけが欲しい。


 そう思った瞬間だった。



ドンッ!


 背中に強い衝撃が伝わる。

 背に受けた力は俺を前方へ押し出す。

 即ち、空中。即ち、線路。


「え?」


 間の抜けた声は宙より放たれた。

 体は横に回転し、目は地下鉄の天井を映す。

 手も足も中途半端に開き、口も半開きに。


ゴンッ!


「ッ!?」


 俺の背中がレールの鉄骨に直撃する。

 全身に響き、目の玉がひっくり返るような激痛。


「......!」


 激痛の中、次に感じたのは流れる風。

 ヒュウと吹き抜けるただの風。

 しかし、俺の背筋は恐怖に凍りついた。


 目の光った、笑っているかのような鉄の塊。

 思わず腕で身を守ろうとするが、全てが無意味。

 電車は、一切減速しなかった。


 死の一字が脳裏を過ぎった瞬間、目をつむる。

 その目が二度と開かれることはないとも知らずに......




  ★★★




 銀色の世界を駆けている。

 黒色の世界にぽたりと浸かる。

 すべての光が退いて消えていく。


 闇の世界で唯一の光が現れた。

 爬虫類のような金色の瞳。

 こいつが、俺のことを線路に突き飛ばしたのだろうか。


 俺は、深い海の底へ、果てない宇宙へ、どこかへ進み続ける。

 上昇しているのか沈下しているのかも分からない。


 何かが俺を蝕む。

 それを何かが守る。



 そうしてへたどり着く。


 その時に始まった物語だろうか。

 いや、始まりなど誰も知らない。

 知ったとき、全てが息吹のように始まるのだ。


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