第13話 森の異変
アウレは幻獣の幼体がさらわれたと言った。
「古きは我らの祖先に繋がる。今でこそ草原で暮らしているが、辿れば我らは幻獣の王の血筋を持っている」
遥かな昔に幻獣王が草原の民との間に子を生した。有史以前の神話の時代だ。
まだ人が今のように国を作れず、神とも近かった時代の話だった。
「幻獣王は豊かな暮らしを与えてくれると同時に使命を残した。盟約と言ってもよい。王の血を引く我らマコール族は聖なる地を守ることを幻獣王から託されたのだ」
そう言って誇らしそうにアレスを見つめた。
シェラル山脈の森には幻獣たちの生まれる聖なる森があった。
悠久の時を過ごすと言われる幻獣でも不変のものではない。神ではないのだ。当然のごとく、限りがあり死してゆく。
死を迎えた幻獣は、シェラル山脈の森で死の眠りについていく。やがて生まれ変わるその日まで眠るのだ。
アウレは復活の時を迎えるまで、森を守るのを託されたと言った。
「もちろん、我々は神ではないから、出来ることは限られている。それでも王の血を引く以上、願いは果たされねばならなかった。生まれるまではもちろんのこと、生まれたては幻獣とて非力で弱い生き物でしかない。それを守り育てる事を連綿と受け継いで果たしてきたのだ」
「ハルブレッドの森みたいだ」
アレスは思った。まるでハルブレッドの森ではないかと。
「ハルブレッドの森? そこも聖なる地なのか?」
「はい、幻獣も一杯いるし、妖精も精霊も楽しく暮らしてます」
「善き地なのだな」
そう言ってアウレはどこか遠くを見るように目を細めた。
「そこが荒らされた。まだ幼き幻獣をさらったものがいる。森にはマコール族しか入れない。手引きしたのは私の弟だ」
「ちょっと待って! 弟さんもマコール族で森を守っているんですよね? それがなんで」
「弟は聖なる石を奪われた娘のために禁忌を犯した」
「聖なる石?」
「幻獣王が残したものだ。見た目はただの石に見えるだろう。だがそれは、幻獣王そのものなのだ」
幻獣王が死を迎えたとき復活の時を迎えることは出来なかった。
王は代替わりするからだ。
その日、森が騒がしかった。聖なる森の奥深くには我々しか入れないのだが、草原との境目。結界に守られたギリギリの場所でも、豊かで貴重なものもおおかった。
そこを密猟者に荒らされるのはまれにあることで、戦士は何時もの事と森に入った。
「決して油断をしていたわけでは無かった。集落には戦士たちと聖なる石を守る巫女がまだいたのだから」
残されていたのは若いながらも戦士として独り立ち出来る者たちが残っていた。
「だが不思議なことに彼らは眠らされ聖なる石を奪われてしまったのだ」
当然、責任は残されていた者たちに向った。特に巫女の責任は重かった。命をもって償っても足りないくらい大変なことが起きてしまったのだ。
「弟は巫女の命を救うために、密猟者と取引をしたのだ。幻獣を誘い出す事を約束して集落を出たのだ」
話は一月ほど前にさかのぼる。
異変を監視の者から聞いた戦士たちが、森に向った日。
集落の外から甲高い音が聞こえた。
草むらで寝ころんでいたクラシシは、何だろうと視線を向けた。
門を守護していたエツーが崩れ落ちるのが目に入っのだ。
『侵入者だ。西から来ている。三、四、いやもっとだ! 襲われた!』
声帯を震わせることで、風に乗せて届ける魔法が集落の中を駆け抜けていく。
普段は使うことのない緊急の合図に、一瞬何のことかわからなかったクラシシは、兄から聞かされたことを必死で思い出していた。
兄は一族でも有数の勇者だ。
そして、クラシシに取って兄は絶対で誇りでもあった。
今日も出かける前に兄から「留守の間はお前が頼りだ。皆を頼むぞ」と声を掛けられてた。
「やばい! まずは巫女を守らないと!」
集落が襲われたのなら、真っ先に巫女の安全を確保しなければならない。
兄から硬く厳命されていた。
それを思い出したクラシシは飛び起きた。
「戦士は巫女を守れ! 戦えないものは長老の所へ!」
声を掛けながら必死で走る。
「クラシシ。何が襲ってきてる?」
「わからない。門の所でエツーがやられた。多分矢か何かだと思う」
戦士の一人のマーテルが合流してきた。やつも巫女の所に向うらしい。
「裏から行くぞ! 巫女はこの時間なら泉のはずだ」
マーテルはそう言うと逃げようとしてる女から弓を借りていた
続々とゲル(家屋)から逃げ出してくる連中に避難の指示を出して、クラシシも手近なゲルから槍を拝借した。
何人かを集落の防衛に残したクラシシたちは駆け抜けていった。
いま集落に残る若手の中ではクラシシが一番の使い手だった。兄には劣るが、若いながらも槍を使わせれば飛竜をも追い返すことが出来た。
手練れの戦士が不在なのは痛いけれど、クラシシは自分なら巫女を守れると思う。いや守らねばならないと思った。
「気を付けろ!」
不穏な気配を感じて前を行けば、見知った戦士と黒づくめ五人が見えた。そして使役されているのか魔獣が牙をむく。
「加勢する!」
「クラシシ! 助かった、巫女がこの先にいるんだ。お前らは助けに行ってくれ!」
巫女の護衛のゾロポはそう言うと剣を振るって相手に切りつける。
「マーテル! 俺は先に行く! ちぃぃっ! 邪魔だ、どけっ!」」
クラシシは前を防ごうとした黒ずくめの男を切り伏せると囲みを通り抜けた。
泉のまわりには荷物が散乱していた。
普段、巫女につけられている護衛は三人。その一人が蹲っていた。
「大丈夫か!」
大けがをしているようで荒い呼吸をしていた。
「す、すまん。巫女様を頼む」
胸元の血の具合から見て助からない事を悟った。
「任せろ」
答えたクラシシは辺りを見渡す。
泉は岩場で囲まれている。トントンと飛び跳ねて抜けると、黒ずくめの男が泉の向こうで巫女に迫っていた。
「さて、済まないがその女を渡してもらおうか」
男は手にした禍々しい黒い杖を突き出して言った。
「ふざけるな! 巫女様は渡せん!」
声を張り上げて剣を構えるデットヤ。かなりの剣の使い手で以前、森狼に襲われた時も一人で二十は撃退していた。
そのデットヤが血だらけで背にした巫女を庇っている。
魔法でやられたのか? 剣士のデットヤでは魔法使いの相手は不利だ。
そう思ったクラシシは、とっさに魔力を集めると、左手の中に火の塊を作り出した。
「うぉおおおぉぉ!」
やるしかない。腹の底から気合の声をだして火の塊をぶつけた瞬間切りかかる。
「ちぃっ! まだいたのか!」
男はそう叫ぶと黒い杖を振り回し火の塊を弾き飛ばす。
辺りに飛び散る火の粉に構わず、クラシシは槍を振り切った。
「デットヤ! 巫女を連れて早く逃げろ!」
クラシシは嫌な予感が降り切れなかった。そこで先に巫女を逃がすことだけを考えた。
「させると思うか!」
叫ぶと男は杖を向けてきた。
魔法! 見えないが圧を感じたクラシシはとっさに避けた。そこに背後から魔獣が襲い掛かってくる。
構えていない状態で、二メートル程の牙を剥いた森狼が襲ってくるのは恐怖だ。クラシシは必死でやりを叩きつけて距離を取る。
そこに男の火魔法が飛んできた。
クラシシは息を飲む。無意識に身体に魔力をまとって盾を作った。
躱せない。左手で叩き落とした。
体は無事だが魔法がかすった腕がしびれていた。
クラシシは熱さを感じる間もなく迫る森狼から逃げるので精一杯だった。
「ちくしょう」
この男はクラシシよりも格上だった。そのことに悔しさを滲ませながら手段を探る。
森狼と男の魔法にクラシシは次第に追い詰められていく。
絶望的な戦いに、せめて片方だけならと思いながら、クラシシは槍を握りしめた。
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