第3話過去の『ラーナ』

「ごちそうさま」

 その日もアレスは、お昼ごはんをすませると出かける準備をしていた。

「おやつください」

 メイドから焼きたてクッキーを貰うと丁寧に紙に包む。いつもなら適当におやつを選ぶのに、わざわざ前日からメイドに頼んでいた。

「水筒はからでねー!」

 からの水筒とお気に入りのかばんを肩から下げ、そそくさと出て行ったアレスを見て、眉をひそめる存在がいた。


「あやしいわね」

 次女のカルロッテが不審なアレスに気づいたからだ。

「ちょっと! おちび」

「うぇっ!」

 先回りして森の入り口で待ち構えていたカルロッテ。アレスはカルロッテの事がすこし苦手だ。子供のころから木の葉のようにもてあそばれ、おちょくられ続けてきたからだ。


「なにか隠してるでしょう?」

「べ、べつに」

「うそよ!」

 実はあれからアレスは、毎日のようにドリュアスに会いに行っていた。

 聖霊・・とはいえ、元はエルフで知識も豊富、魔法に目覚め始めたアレスにとって、ドリュアスは便利な先生役となっていた。

「今日は久しぶりに森に行くわよ」

 もう決めたとばかりに、アレスの返事も待たずに森に入るカルロッテ。最近はご無沙汰とはいえ、子供の頃は遊び場だったのだ。迷わず奥に進んでいく。



「あれっ? 前にこんな木ってあったかしら?」

 きょろきょろと辺りを見渡すカルロッテ。大木の前はちょっとした広場になっていた。

 様変わりした風景は、アレスのためにドリュアスが色々と変えた結果である。


「こんにちは、先生」

「えっ! 先生?」

 アレスは諦めて、頭をぺこりと下げた。

「えっ、えっ、えっ!」

 状況が飲み込めないカルロッテは首を傾げるばかりだ。

「もう! ちゃんと先生に挨拶してよ!」

「アレス。見えてないから無理ないよ」

「ええーっ! 声が聞こえた」


 そこにドリュアスが姿を現した。

「ふむ、アレスと似た魔力を感じる」

 ギャーギャーとうるさいカルロッテを無視して「あー、姉です。うるさくて、すみません」

「ちょっと! うるさいって、どういう事! 説明しなさい!」

「あはは、元気な子だね。初めまして、僕の名はドリュアス・ラーナ」

「ドリュアス・ラーナ? えっ?ラーナって、どういう事」

「ふふふ、そのままさ」


 ひとしきり説明され、納得はまだ行かないようでも、一先ず話を聞くようにしているのは教育のたまものか。

聖霊・・様、ごめんなさい。びっくりしちゃって」

「大丈夫、気にしてないよ」

 カルロッテは謝罪の言葉を入れると。

「アルノルト・フォン・クロフォード伯爵が第三子。カルロッテ・フォン・クロフォードですわ」

「丁寧な挨拶ありがとう。ところでアレス、持ってきたかい?」

「はーい」

 鞄から取り出したのは持って来たクッキー。

 塩味の固焼きクッキーは特別に頼んで作ってもらった。料理長が目を回して「本当に食べるのですか?」と、驚いていたくらい塩辛くて硬いのだけれど。

「これこれ、うん美味い!」

「そんな甘くないのが美味しいの?」


 しょっぱい顔でアレスが訪ねた。試しにかじってみたのだが、二度は口にしたくない味だったからだ。

「もちろん、最高だよ。旅の間は良くこれで飢えをしのいだもので、紅茶に浸すと美味しいのさ。ん? 食べるかい」

 アレスはすすめられても断った。代わりに。カルロッテが口に入れてみる。とたんに苦しそうに口を押え、とても面白い顔をしていた。それでも吐き出さない辺りは教育の成果だろう。思わず笑ったアレスは殴られたが、どこか姉の理不尽を感じた。

 お返しには聖霊樹トネリの樹液を貰った。からの水筒を持参したのはこのためで、甘くて身体にも良いそうだ。

「さて、それじゃ、今日も始めよう」

 おやつタイムの後は、魔法の勉強だ。カルロッテも誘われて、一緒に習ったのは言うまでもない。


    


「それは本当ですか!?」

 食卓で、普段はマナーに厳しいリアが、椅子を蹴倒して立ち上がった。

 普段使いの食堂は家族みんながそろっていた。とは言っても、リアと子供四人だけで父と長兄は不在だ。子供たちはみな目を丸くして驚いている。

 その視線に、リアはすぐに気が付いて魔法で椅子を起こして座りなおした。

 ちょっとだけ顔が赤いけれど、誰も指摘出来なかった。


「……それで、その人は『ラーナ』と言ったのね?」

「はい、お母さま。ドリュアス・ラーナ様と聞いております。ご本人は聖霊・・様と仰っていましたけど、エルフの男性にしか見えませんでした。初にして唯一の『偉大なる森の女王』と名乗られましたので、良く分かりませんが、そうなのとしか」

聖霊・・様ですか……。過去に『ラーナ』を名乗った男性は一人だけですね」

 

リアの話によれば、過去『ラーナ』の名を冠した男性はただ一人。あまりに古すぎて長寿のエルフでも良く分かっていないらしい。あらゆる事象を残すと言われるエルフだが、ドリュアス・ラーナに関しては記録もない。

「改めて考えてみると、不可思議なことだわ」

 さっそく調べてみるからと、エルフの国に使者を送ることにした。

 リアに会うかと訪ねたら、相手は聖霊・・様なので、こちらが勝手に決めるわけにはいかないという。

「ドリュアス様に、お会いできるか聞いてもらえないかしら」

 アレスには仲介を頼み、カルロッテには勝手に森に入らないように、きつく言い渡していた。


    


「で、僕のところに来たのかい?」

 何時ものようにアレスはドリュアスに会いに来た。

 母親に会えるかと聞くと「いいよー」と軽い調子で了解を貰った。

「と、いうかさ。僕の方からお邪魔しても良いかい? 森の中は退屈でさ。居心地は良いけど、元文明人の僕としてはなんだかねー」

 なんともお茶目な聖霊・・様で、ウインクしながら、さっそくとアレスの手を引いて楽しそうだ。

 途中、畑仕事で忙しそうな村人に、あれ? 誰と一緒と聞かれたアレスはどう答えてよいか分からず、適当に濁して家に急いだ。

    

 クロフォード家では、聖霊・・様が来たと蜂の巣をつついた騒ぎが起きた。侍女は走り回るし、厨房は慌てて菓子の支度と散々な様子だった。

 リアは、待たすのもどうかと悩むものの、支度が出来るまでをアレスに頼んで、総出で用意を整えた。

    

 片膝をついて頭を垂れたリアの姿に、自分はどうすれば良いのだろうかと固まるアレス。


「おいでなさいませ、ドリュアス様。私は今代のラーナを努めます、サーガの氏族、族長の娘にて第二子。リア・ラーナ・クロフォードと申します。家族のご無礼の程、平にご容赦をお願いいたします」

 いつになく、厳格なリアの様子に辺りの空気も変わっている。

「確かな挨拶承った。我こそはスクルドの始祖。ドリュアス・ラーナ。初にして唯一の『偉大なる森の女王』森のラーナとは僕の事だ!」

 まるでお約束とばかりに、右手を上げ腰に手をやり決めポーズを付けたドリュアス。

「まあ、でも今はアレスの先生だけどね」

 すぐに楽にしてと周りに声を掛けると、ちょっとだらしなくソファーに腰かけた。

 その様子に周りは目を丸くしているが、本人は呑気なものだ。生前はよっぽど奔放だったのかもしれない。

「よいよい、堅苦しいのは嫌いだ」


 リアの説明によれば、スクルドとは第一の氏族で、ハイエルフを祖にもつ王族のようなものらしい。リアの氏族はそれに繋がるらしく、言うなればドリュアスは遠いご先祖様に当たるハイエルフだ。

「アレスは僕の孫みたいなものさ」

 気安いなと思っていたが、そう考えれば不思議でもないのかもしれない。

「お、おじいちゃん? なの」

「そうだね、世代で行くとどれくらいだろう?」

 長寿のエルフで考えてみても、数十世代と離れているので孫扱いはどうか。しばらくは、扱いをどうするかと悩んでいたリアだけれど、その場でドリュアスの扱いは決まった。


「エルフなら聖霊・・がそばにいるのは普通だよね?」

 ドリュアスの一言が決め手であった。

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