第8話 実技試験④


「開智、そうじゃないだろ? 今お前が呼吸を整えるということは、相手も呼吸を整えられるということになる。それをしていいのは勝機が見えた時だ。勝機が見えるまでは苦しくても攻撃の手を緩めるな」


「でもおとうさん、ぼく苦しいよ」


「相手だってそうさ、そんな苦しい時に攻撃をされたら怖いだろ? そして思うんだ、こいつは苦しくないのか? って。それが焦りになり、お前にとっての勝機となる。だから攻めろ、休むことなくだ開智。――お前は、特別なんだから」




**********




 ――そんなことあったっけか? 小さい頃の記憶なんて無茶苦茶だからな。死を実感した今、俺は妄想にとらわれているだけだ。

 だがここからなら立て直せるさ。今が反撃の時。


「今が勝機だァァ!」


「舐めんなァ!!」


「ぐぶッ――!?」


 直線的な俺の攻撃、折れた指を庇い、照宮に反撃なんて不可能なはずだった。にもかかわらず、倒れたのは俺だった。


「――ふざけたことしやがって」


 ――立て立て立て立て立て立て。

 完璧なカウンターを腹部に受けた。その反動は大きく、口から何かが込み上げてくる。


「おうぇぇ……」


 吐血だ。


 照宮がゆらゆらとこちらに向かってくる。よく考えてみれば、照宮は指が二本折れただけ。それに対し俺は、ダメージの蓄積が比べ物にならない。意識がなかったとはいえ、俺の身体は確かなダメージを負ってる。今すぐにでも立ち上がらないと。両腕で全身を起き上がらせる。


「立ち上がれぇぇぇぇぇ!!!」


 ぷるぷると地面に突き立てた両腕が震える。身体がうまく動かないのは必然、視界も強烈な頭痛と共に、どんどん狭くなっていく。限界がそこまで来てる。


「ぶっ殺してやるぜ、今度こそ」


「うっぐ――」


 起き上がる寸前、照宮が一歩先に俺へと辿り着く。


「う、ぁぁぁ」


 両耳を鷲掴み、無理矢理全身を起こされる。強烈な痛みとぶちぶちという音が鼓膜を襲う。

 間違いなく指が二本は折れているはずなのに、なんという精神力。


「お前はここで死ぬんだよ。テメェの意思は俺が継いでやるからよ」


「い、意思。やだ。泪奈……」


 泪奈は俺にしか救えない、こんな奴が泪奈を救えるわけがない。意思も勝利もすべて俺がここでもらっていく。絶対に――、


「お前だけには泪奈は預けない!!!」


「ッ?!」


「死ぬのは、お前だァァァァ!!!」


 瞬間、照宮の両眼目掛け親指をねじ込む。


「ぐぅ――、ぐぁぁぁぁあああああ!!!」


 言葉ではとても表せない悲痛な叫びを上げる照宮。突き立てた親指は、第二関節部分まで両眼を押し付ける。

 まだだ、まだ足りない。親指がすべて入り込むまで力は緩めない。


「ぐおらぁぁぁぁぁ!!!」


「っうぐ……」


 しかし、状況的には両者ほぼ同条件。俺の親指が照宮の両眼を襲えば襲うほど、俺の両耳は更に引き裂かれる。恐らく両耳は半分ほど引き千切られている。無論、緩めるわけにはいかない。緩めるということは、泪奈を捨てたも同然。


「放せよ照宮ァァァ!!」


 目玉が潰れ、噴き出す鮮血。


「っそがぁぁぁぁぁ!!!」


 照宮の両手は俺の耳をこれ以上掴み続けることはできなかった。後方へと距離を取り、視力を取り戻すことを選んだ。

 俺も一旦両耳の確認をする。一応まだあるべき位置に存在はしている、だが触れた瞬間に走る激痛と出血量から考えて、いつ千切れてもおかしくはない。


「ッチ、なに、も、見えねぇ――」


 照宮の目元からはかなりの出血が見られる。間違いなく両目は潰れ、視界という概念は失われている。――ここが間違いなく勝機。


「照宮ァァ!」


「っくそが」


 視力を失い、膝をついた状態の照宮に覆い被さる。

 完全にマウントを取った。馬乗り状態になった俺は、照宮の顔面目掛け拳を放つ。


「っらァァァ!!!」


「――――」


 しかし、照宮も顔面のガードを両腕で固め、ダメージを最小限にしている。顔面をこじ開けるのは得策じゃない、腹だ、ガラ空きの腹部に一撃を放り込む。

 

「――甘ぇ。ホントに」


「ぅが?!!」


 何が起きた。またしても呼吸が、断ち切られる。腕を振り上げたその瞬間だった。照宮の両足が俺の右腕と首を巻き込み、絞めの形が完成されていた。

 先程よりも精度の高い絞め、逃げる術がどこにも……。


「右目の視界も戻ってきたぜ。クソが」


「っくかぁぁ――」


 どうやら右の目玉を潰しきれていなかったようだ。真っ赤に染まった照宮の両目だが、右目は微かにそこに存在していた。

 ――落ちる。いや、死ぬ? 息ができない、ただひたすらに弱くなる鼓動が聞えてくるだけ。それ以上もそれ以下もない。


「逝けや、中村開智ィィ!!」


 穴という穴から何かが吹き出しそうだ。血液が止まる感覚も鮮明にわかる。

 再び、音と視界という感覚が奪われていく。


 ――でも、どうしてなんだろう。死が近くなればなるほど、大きな力が湧いてくる気がする。俺にコイツを殺すことを、神が許してくれたかのようだ。これが神の力じゃないとしたら、それは夢ということになる。湧き出す力が再び俺を勝機へと導いてくれる。


「んな、んだ、と……」


 あぁ、そりゃ焦るよな。死域に踏み込んだ人間が、あるはずのない力を持って目を覚ますんだからな。今、お前を恐怖に落としてやるよ照宮。


「くっ」


「――――ッ」


 俺の力に敵わなくなり始めてる。両足の絞めから徐々に解放され、酸素が再び脳に届き始める。真っ白だった視界も戻り、焦燥感に襲われた照宮と視線が合う。


「……放しやがれ」


「っくそ」


 緩んだ!


「ぐおぉっはッ――」


 一瞬の隙を突き、照宮の腹部に肘を見舞いした。

 拘束は一瞬にして解かれ、俺達に最期のスペースが生まれた。次に接近戦になった時、それは終わりを意味する。


「父さん、母さん、泪奈、人を殺す俺を許してくれ」


「なに、涼しい顔してやがんだ。戦いは終わっちゃいねぇ」


 もはや互いに虫の息。

 溢れ出る目元からの出血を必死に拭い、右目だけに残された視界で俺を睨みつける照宮。


「馬鹿かお前? ちょっとばかし人より勇気があるだけのガキが、俺に勝てると思うなよ」


「テメェだけは普通に殺してやらねぇぞ?」


 ――ああ、心地良い。ここは何をしても許される楽園、今すぐにコイツを地獄に送るよ、泪奈。

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