魔風

果てしなき静寂をまつれ、痴的論理の叢祠ほこらの中に!


       - Wilhelm Ettinger (2023 - 2131)


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 机に広げた詩の匂いを読みながら、お前という魔の風は、今日も私の人生を辛辣に舐め取ってゆく。ああ、自由に生きるお前には、この塩辛さが一体何処からやって来たのか分かるまい。……否、否、理解は天が時雨しぐれてこぼすものだ、一陣の魔の風ごときが余計な詮索などしてはいけない。寧ろ、ワインで満たされたこのグラスの中に人間ヒトの惑星が落ちている原因を、あたかもケーキにありついた蟻の行進のように、心ゆくまで突き止めなければならぬ。

 おお、魔の風、私の霊的スペクタクル、神の超思弁的素描の妙よ! お前が茉莉花ジャスミン香る子羊lambの園に入るのを、ああdamn、我々は一体いかなる力で拒み得よう?……認識の壁を飄々と越え、悲恋の渓谷にも悠然と泳いでは、たぎ不知火しらぬいを執拗に煽る魔の悪童たるお前に抗う術など、もはや私の夢の中には在りもしない。冷えたとこの上に期せずして横たわる天使の瞳をえぐったお前が、早速その青を闇の業火で煮込んで二組のサファイアをこしらえたのは、僅かに昨夜のことだった。……にもかかわらず、人間ヒトまこといみじくも、その天の宝玉を、既にその歪んだ掌中に収めている! これが悪魔と人間との ──── おお、黄金色こがねいろの結託の産物でなくして何であろう? greedに駆られた速さspeedでなくて何であろう?

 ああ、実に、実に傀儡の惑星! お前が神の御名nameを口にするのは、たかだか盲目の理性の遊戯gameのために過ぎぬ。……狂おしき魔の風よ、お前は本当に聞かなかったのか、「涙の日、悲嘆の日なるかな、人土より蘇りて。犯せし罪をさばかるべければ、嗚呼天主よこれを赦し給え」……の『怒りの日』に、確かにそううたわれているのを?(このとき、噛み切られた白いカラスの舌がリンカーンの墓をペロリと舐める幻影visionを、私の瞳がチラリと捕らえた)

 

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 陽が午後五時の角度で項垂うなだれている。ああ、漂白剤を撒かれた俎板まないたに潜む精霊たちの集団E.L.F. / Eloquent Lincoln's Finaleが、夕食の夢をボンヤリと転がし始める頃合だ。茹で卵をパカリと割った包丁を置いて手を休め、休憩がてらリビングの電波箱televisionけるや否や、戦禍に喘ぐ難民の命と彼らの焼死体が、こぼれた砂糖のように散らばっていた。「モザイクをかけたまえ、自由の戦士たちよ」。老いた父はそう言ったなり自室に籠り、おもむろにショーペンハウアーを読み始める。父がまもなく自ら命を絶つに違いないと当時の私は確信し、現在の私も確信し、将来の私もきっと確信するだろう。……おお、the NIGHT time is the RIGHT time、私の歩む緩慢なだらかな道程に於いてもまた然り! マリーゴールド聖母の黄金の花が哀しみの迷宮に一輪、何処からともなく舞う風に、独り、揺れている……。


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 精神のレンズの向こうにこの詩を読みたる者よ、私はあなた方に言う。……反復する生命いのち欠伸あくびを催したうつつの世界が、あなた方の眼前でにわかにして玻璃色はりいろの肌の灰となり、の魔の風の一群に吹き飛ばされる最期の受難。──── その日が人類にとって未知であることは、決して偶然ではない、と。箴言に曰く、「人の目にはまっすぐに見える道がある。その道の終わりは死の道である」。……ああ、暮れてゆく、暮れてゆく、私の静寂、沙漠さばくの藻屑と、独り、消えてゆく。──── ただ、あの魔の風だけを友にして。



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