第二話 奇人と幼子
厳かな雰囲気を醸し出す廊下を、不思議な服を着た長身の女が大きな歩幅で闊歩している。
いかにも変人といった風貌の者に侍者や修道女たちが次々と端々に逃げていく。 その光景を見て女は大きく笑った。
「いいな、これは。 あたしの前に次々と道が出てくるぞ。 なんだか、王にでもなった気分だな」
女はニカッと笑ってみせた。 八重歯が彼女の粗野な愛嬌によく似合っている。 端にいた一人の青年がその顔を見るや惚けてしまい、女から目を外せずにいた。
そんな青年に気づくと、またいたずらに笑みを浮かべる。
「おおっと、良くないな、青年。 知らない女性の顔をそんなにガン見しちゃ。 見るなら、あとでゆっくりと……」
と、自身のポケットから紙切れを取り出し青年の懐へと忍ばせようとした途端、袖を引っ張られる。
「マヤ様、いい加減にしてくださいなのです。 今日は用があってここに来たのです」
「わかった、わかったって。 相変わらず強引だなゾーイ」
ゾーイと呼ばれた子は幼いながらも、どこか大人びており、黒い肌と腰に携えた二本の短刀。 異国の艶やかな服が特徴的な少女だった。
小柄なその体型に似つかわしくない膂力で、彼女を諌めている。
(どうしてこう、真面目に育ったかね)
ゾーイを見ながら、マヤは心で呟いた。
「反面教師なのです」
「エスパー!?」
「えすぱ? なんなのです、それは。 そんなことより、もう約束の時間なのです。 急いでくださいやがれなのです」
「やだ、野蛮!」
袖を引っ張るも一向に歩き出さないマヤに堪忍袋の緒が切れたとばかりに、マヤの腰を荒々しく掴み、そのまま乱暴に引っ張っていく。
「痛っ、痛いよ! ごめん、歩くから。 やめて、ほんとに、着く前に死んじゃう!」
「そんなことで死にはしないのです。 それに、言うこと聞かなかったからだめなのです。 躾なのです」
「え、あたしペットなの?」
「違うのです?」
「何その狂いなき目! ペットじゃないわよ。 一応、私ゾーイのご主人様なんだからね!」
「……」
無言で答え、また廊下を引き釣り回す。 それから境内ではマヤの悲痛な叫びがこだまするのだった。
ゾーイはひたすらに廊下や階段を進んだが、道半ばで目的地を見失い、廊下の真ん中で立ち往生していた。 後ろのマヤは息も絶え絶えと、首をガクリとおろしている。
どうにかしなければと、首をあちらこちらに向けるが、次第にこれまで歩いてきた場所さえ分からなくなり、目には涙がたまり始めていた。
それを知ってか知らずか、マヤがムクリと立ち上がり、辺りを見渡し始める。
「マヤ様すみませんなのです。 道に迷ってしまったのです」
「いや、謝らなくていいって。 そもそも、あたしがいたずらしたのが悪かったし。」
「それはそうなのです」
表情と言葉のちぐはぐさも相まって、肩から崩れ落ちそうになる。
(天然なのか、なんなのか)
頬をかきながらも、無自覚な彼女の心配そうな顔を見つめ、考えても仕方ないと、マヤは微笑を浮かべた。
(にしても、相変わらず広くて、物々しくて……息が詰まりそうなところだな、ここは)
渋い顔つきであたりを見渡し、ポッケから手紙を取り出す。
今、自分がこの教会にいることにすこし不快感を覚えながら、手紙とともに過去の記憶を反芻しようとするがやめることにした。
なぜなら、彼女にとって嫌悪感をより増幅させる男の顔が真っ先に思い浮かんだからだ。
(デクスター……、ああ、もう、考えるんじゃなかった)
と、首を横に振る。 手紙を開き同封された地図と、目的の人物の名前を改めて確認した。
「なあ、ゾーイ。 神子様ってどんな方なんだろうな」
「え? うーん、あったことがないので分からないのです。 でもきっと、すごく高貴でお優しい方だと思うのです。」
「高貴ね……」
マヤは少し物憂げな顔を浮かべた。
「どうされたのです?」
「いや……。 あ、でも、この間六歳になったばかりだし、案外ゾーイみたいにやんちゃかもしれないぞ」
そういうと、少しムッとした表情でマヤを睨むゾーイ。 その顔に「悪かった」と軽く返しながら、地図に目を戻し周辺と照らし合わせるように四方を見渡す。
すると、右手奥に目的の部屋らしき場所を見つけると、近くで落ち込んでいるゾーイの頭に手を置き、二度三度軽く撫でるように叩いた。
ゾーイは顔を上げ、マヤを見る。
「なんです」
「ゾーイのお陰で、思ったより早く目的の部屋に到着できそうだ。 ありがと、ゾーイ」
そして、手元に持っていた手紙や地図をゾーイに預ける。
「約束の時間はとっくに過ぎてるのです」
「わかってるって。 でも、神子様は優しいんだろ」
そう聞かれ、ゾーイは何度も首を大きく縦に振る。
「なら、大丈夫さ。 じゃあ、いっちょ、高貴でお優しい神子様にご挨拶でもしにいくか」
「はい! なのです」
その言葉に満面の笑みを浮かべ答えてみせた。ゾーイもまた八重歯が特徴的な愛くるしい笑顔をしていたのだった。
● ● ●
ラグナは、先程から本を読んだり、紅茶を飲んだり、お菓子を確認したりと落ち着きなく動いていた。
それもそのはず、信託の日に自身が神子であると託宣を受け、気持ちの整理もできないまま数日たらい回しにあっていたのだ。 この日まで、休みも取れず、動き続けていたこともあり、なにかしていないと気が休まらないのである。
それに本日は、専属の家庭教師と初めて会う日だった。
(うーん、遅いな。 教会は広いし、迷ってしまったのかな)
時間になっても現れない教師に緊張しながらも、待っていたのだった。 それに、周りでよく奇人、変人と噂をされており、その事実がラグナは少し気後れさせていた。
ラグナは叱責されるかもしれない要因を潰さないとと、机から離れ隅々を見て回る。 その後、再度机周辺にあるものを確認し、粗相がないか確かめていると、扉の向こうから、2つの凸凹な足音が迫ってくるのが聞こえ、机の横で背筋を伸ばし息が止まっているのも気に留めず、じっと扉を見ていたのだった。
バンッ!
と、ドアが開け放たれ、申し訳程度に遅れてノックをする。
「失礼しちゃいまーす」
ラグナの目の前に、革のサンダルと黒のハーフパンツ、へそが出るほど短いシャツに右手にはアームウォーマー。 そんな服にあからさまに似合わないであろう白衣を着た長身の女性が、小さな丸メガネを触りながら入ってきた。
横には、褐色肌のおかっぱ少女。 ラグナと年齢も近いように感じる。
そんな光景に、目が点になっていると、女性が茶色の下げ髪を揺らしラグナの前に鼻息を荒くし、迫ってきた。
「うっわ、きれいな顔立ち……、ラグナ様ですよね!? えっ、男の子? それとも、女の子ですか? ねーどっちなんですか。 あたしはどっちでも可!」
ラグナは目の前の女性に手や腕、髪。 全身を舐め回すように触られる。 ラグナは光り輝く目に気圧されながら頭の中で必死になにか言葉を探す。そんなことをしていると突如、女性の頭にミニマムな鉄槌が振り下ろされた。 振り下ろした褐色の少女は、手を払うと、腰に手を当て女性に軽く叱責をしている。
女性は平謝りをしながら、いてて、と言葉を漏らし頭を擦った。
「んーまあ、いいや」
女性はゆっくり立ち上がると、一度ラグナから離れ、翻るとともに大股を広げ白衣を羽ばたかせた。
「あたしはマヤで、この子がゾーイ。 そんでこれから、あたしがラグナ様の先生になるってわけです!」
その言葉とともに、決めポーズを決める二人。 一瞬なんとも言えない無音がこの中に漂う。 ラグナはあっけにとられていると、無音を切り裂くように二人がすごい勢いで迫ってくる。
「よろしく!」
「なのです!」
開かれた扉の上部の蝶番が外れ、ギコギコと頼りない音を出しながら小さく揺れている。
ラグナは、今目の前で起きたすべてのことが飲み込めず、ただ呆然としながら、目の前に差し出された2つの手に対し、反射的に返す。 いまはただ考えることをやめ、この状況に身を委ねることに決めたのだった。
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