十五話
吉勝は鈴子に手招きをした。膝の上に座るように促してくる。鈴子は仕方なく言われた通りにした。
「よくできました。姫、婚姻の事で父君や兄君に掛け合ったそうですね」
「よくご存知ですね。確かに父や兄に婚姻を認めてほしいと申しましたけど」
「いえ。あなたのお付きの女房殿に聞きましてね。確か周防殿と言ったかな。彼女が教えてくれたのです」
鈴子は周防の名を聞いてなるほどと納得した。
「あら、周防が教えていたのですね。だったらご存知でもおかしくありませんわ」
「まあ、そういうことです。姫、とりあえずは後もう少し待っていただけませんか?」
「結婚するのをですか」
「…ええ。お師匠様の説得をしているところでして。なかなかに認めてくださいそうになくて困っているんです」
眉を下げて吉勝は言った。鈴子は仕方ないですねと言いながら苦笑した。
「お師匠様がお許しくださったらまた教えてくださいな。後、先ほど申したように二日に一度はいらしていただけると嬉しいですね」
「わかりました。工面はしてみます」
吉勝は頷いてそう約束したのだった。
あれから、さらに半年が過ぎた。季節は初夏で四月の上旬になっている。毎日、鈴子は桜梅宮から届く課題をやったりお裁縫の練習をする日々を送っていた。
「姫様。吉勝様からお文と贈り物が届いていますよ」
周防がそう言いながら鈴子に文箱を手渡してくれる。それを受け取って文箱の蓋を開けた。中にある文を取り出して内容を確認した。
<姫、お元気でしょうか。さすがに二日に一度はきついですね。
お師匠様から出される課題が多いし文官としての仕事もあるので毎日が大忙しです。
それでも姫からくる文が慰めになっています。あなたから文が届けられるとお師匠様も休憩時間をくださるので。
ありがたやと思いながら拝見させていただいています。歌はまだ練習中なのでご容赦いただけると嬉しいですね。
後、姫も宮からの課題をこなしておられるとか。お体には十分に気をつけながらしてください。
では、取り置き一筆まで>
吉勝らしいきびきびとした筆跡で書かれている。鈴子は自分の出す文が慰めになっているとある一文に笑ってしまう。
彼の気分転換に一役買っているのならこれほど嬉しい事はない。そう思った。
「姫様。吉勝様へのお返事はいかがなさいますか?」
「そうね。今から書くわ」
「では準備をしますね」
周防はそう言って立ち上がりてきぱきと文机や御科紙などを用意する。最後に墨や硯なども準備してから鈴子を呼んだ。
鈴子は文机の前に座ると筆を手に取り返事を書いた。
<吉勝殿、お元気でしょうか。お文をありがとうございます。
二日に一度などと我が儘を申してすみません。
お仕事や修行に忙しくていらっしゃるのに無理を言いました。
さて、わたくしの出す文が慰めになっているとか。これほど、嬉しい事はありません。
わたくしの文が一役買っているのでしたらまた、出しますわ。
後、歌を練習中だそうですね。いつか、文に添えてくださる日を楽しみに待っています。では、ごきげんよう>
薄様の紙に書いて細く折り畳んだ。周防に初夏に咲く撫子の花に結びつけさせて届けさせる。吉勝への返事を書いてからまた宮からの課題に取り組んだのだった。
夜になり吉勝がいつも通りやってきた。鈴子はにっこりと笑顔で迎える。
「姫。文を読みましたよ。仕事の事で気を使わせてしまったようですね」
「いえ。わたくしが勝手を申したばかりに多忙だと聞きましたので。ごめんなさい、吉勝殿」
素直に謝ると吉勝は気にしなくていいと笑いながら言う。
「いえ。わたしもつい、言い過ぎてしまいました。姫が謝る事ではないですよ」
御座に座りながら吉勝は言った。鈴子の手を握るとぽんぽんと撫でる。
「あなたは気を使われてばかりですね。あ、今日になってやっとお師匠様からお許しが出ましたよ」
「…それは本当ですか?!」
鈴子が驚くと吉勝はにかっと笑った。
「ええ。やっと、あなたを安倍の邸に迎えられます。鈴子、わたしと一緒に来てくれますか?」
真面目な表情で吉勝が不意に尋ねてくる。鈴子は当然ながら頷いた。
「もちろんです。吉勝様と共に参ります」
「…よかった。では、明日になったら三日目の一番最初ですね」
嬉しそうにしながら吉勝は片手で鈴子の頬を撫でた。くすぐったそうにしながらもされるがままの鈴子だった。
翌日になって鈴子と吉勝は二人で右大臣や兄君に彼のお師匠からも許可があったと報告した。鈴子の部屋でだが。夜になり、あわただしく婚姻の儀式の準備がなされていた。
「姫様。やっとですね」
周防が涙ぐみながら鈴子に言う。頷きながら答えた。
「本当ね。吉勝様と三日夜の儀式の後で所顕しをすませて。やることはいっぱいあるわ」
「そうでした。所顕しが終わって半月ほどしたら安倍のお邸に移るんでしたね」
「そうよ。緊張するわ」
鈴子はそう言いながら扇で顔を隠した。周防は几帳や他の飾り付けを確認しに部屋から出ていく。それを見送りながら鈴子はほうと息をつくのだった。
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