空を泳ぐ夢鯨と僕らの夢

佐武ろく

見上げる空

 ――子どもの頃、俺はよく絵を描いていた。


 スケッチブック一杯に思うがままクレヨンを走らせるのが楽しくてしょうがなかった。ただその多くは何か全く分からないような絵だったようだが。

 実際、母の話によると手や顔まで汚しながら絵を描いては満足気に喜色満面としていたらしい。当然ながらその時の事は全く覚えていないけど。

 でも段々と大きくなるにつれ、俺は花や空などの明確な目的をもって絵を描くようになった。何故かは分からないけどその頃から好んで描いていたのは自然。見上げた空が美しく、見つけた花が可憐に感じた時――無性に描きたくなるとその気持ちを吐き出すように無我夢中で白を彩った。

 そんな風に幼少期から絵を描いていたお陰で、学校で絵の提出があれば毎回決まって先生に褒められてた。それに友達にもノートに(その頃学校には絵を描くノートを持って行っていた)描いた絵をよく褒められてた。


 だから正直に言うと……。――自分でも絵が上手いと思っていた。


 中学に入ると自分の絵に対しそれなりの自信は付いていて、画家として活躍する自分の姿も想像出来た。それはもう描ける程に。

 だからその頃から一般のコンクールに絵を描いては応募し始めた。そこにあったのは、これまで称賛や満足によって積み上げられてきた巨大な自信の塔。もしピノキオなら詐欺師か虚言癖か。それ程の天狗。

 でも結果は惨敗。どれ一つとして一次すら通過出来なかった。

 だけど心はまだ暗雲に覆われた訳ではなく依然と希望の光が差込んでいた。多少なりとも削れはしたが鼻は健在。


 ――そう受賞者たちの作品を見るまでは……。


 実はそこまで差なんてないんだろう、そう思いながら受賞作品を目にした瞬間――まるで上空からピンポイントで落雷してきたような感覚が体を駆け抜けた。

 どれも自分とは比べ物にならない程に完璧。配置や配色、どれを取っても勝てる要素は見つからない。それどころか一生かかっても描ける気のしないクオリティの作品がそこには並んでいた。

 するとまだ記憶に新しい自分の絵がまるで子どもの落書きのように思え、俺の中で確かなモノが音を立てて崩れていった。


 それ以来、絵を描くことはほとんど無くなった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る