兄というもの

 モルフェ大司教の死から三日後。ルーベウスは、イグニディス達と共に王都へと戻ることになった。晴れて特殊魔法研究の仕事に復帰である。しかし思い煩いは消えない。次第に憂鬱になってきた。

 そんな中、ライトテスに、姪の誕生日プレゼントを選びたいので、買い物に付き合ってほしいと言われた。

「女の子に送る品なら、プディルとかフレデリカさんの方が良くないか?」

「姪はまだ二歳なんだ。お前には年の離れた弟がいると聞いたから、良さげなものを見繕えるのではないかと思って」

 確かに、多少は赤ん坊に関する知識がある。

「明日行きたい。都合がつかなければイグニスを誘うが……どうだ?」

「いいぜ、行こう」


 翌日、休みを利用して二人で買い物に出発した。といっても、向かう先は王城内の商業施設である。食料品はもちろん、家具に雑貨、果ては武器など、あらゆる専門店が軒を連ねていた。かなり広く、どこに何があるのか、案内図があっても容易には把握しきれない。幸い、ライトテスが店の下調べをしていたため、後ろについていくだけで良かった。

「離乳食の詰め合わせはどうだろう。色々あれば、好き嫌いがあっても対応できるかと。食事を用意する手間も省ける」

「ニ歳だろ? 多分、離乳食は終わっているぜ」

「そうなのか。ならばオモチャか?」

「遊び道具を選ぶなら、手入れしやすいものがいいだろうな」

 最終的に『新発売』とされていた、絵を書くボードを選んだ。描いて、消して、何度でも使える。パーツは板とペンだけなので、汚れてもさっと拭くだけで済む。

 贈答用にラッピングしてもらい、配達の手配をして、用事は済んだ。礼として昼食をおごってもらうことになり、ルーベウスはライトテスと共に軽食屋を訪れる。


 店内はグレーと白で統一され、窓からさしこむ日の光と、間接照明とが絶妙にかみあって居心地が良い。人は少なく、若い女性店員が一人と、食後のコーヒーをたしなむ中年男性が一人、二人がいるだけだ。

 メニュー表の「怪鳥のプレーンオムレツセット」なるものにオススメのシールが張ってあったので、二人でそれを頼んだ。


「そういや、姪って言ってたけど、誰の子供だ? 姉貴か、それとも兄貴?」 

「実は弟だ。俺には兄弟が二人いてな。双子の男女なんだ。俺とは一歳差で、妹は独身だが、弟はもう結婚して働いている」

「弟は王城にいる?」

「いや。いたら、プレゼントは手渡ししていたさ」

「それもそうか」

「身内で、王城で働いているのは、俺の知る限り、俺だけだな」

「なんだ。てっきり、ィユアみたいに誰かいると思ってた。ライトはどうやって研究部に入ったんだ?」

「フランゼフ様からのスカウトだ。俺は十五歳の時、王城専属の警備員として就職したのだが――」

「早いな」

「本当は進学する予定だった。だが、父が不動産の投資事業に失敗してしまった。ヴァルハラードの侵略行為で投資先が戦場になり、価値が著しく下がってしまったのだ。借金で生活が立ち行かなくなり、長男の俺が働きに出ることになった」

「それは大変だったな」

「いやぁ、確かに大変なことも多かったが、警備員も悪くない。城下町と王城を行き来できるからな。それで、言研部(げんけんぶ)――古代言語研究部の友達ができて、勉強を教えてもらったりしていたんだ。これがなかなか楽しくて、暇を見つけては、あちらの研究部に入り浸るようになった」

「研究員じゃなくても出入りできるのか」

「言研部は緩いんだ。王城内にはいくつもの研究部があるが、警備レベルには段階がある。ちなみに、特殊魔法研究部は最高レベルの機密性だぞ」

「ああ、うん。俺らの研究部って、調べても出てこないし。身分証も二種類あるもんな」

 片方は『所属 特殊魔法研究部』と、正しい情報が書かれている。もう片方は『所属 国防復元部』と書かれている。どちらも本物として通用するが、通常は後者を使用する。

「そうして四年が経った時、フランゼフ様から、特殊魔法研究部へ入らないかと誘われた。警備の仕事は気に入っていたが、王族じきじきのお誘いだ、断るわけにいかないだろう」


 話が一段落ついた時、店員が頼んだメニューを持ってきた。メインはオムレツで、その大きさは、若い女性一人では食べきれないだろうと思えた。しかもサラダとパン、コーヒーが添えられている。

 いただきます、と早速スプーンで一口すくう。とろっとした優しい舌触り。卵本来の風味を活かした、まろやかな味だ。

(デカくてびっくりしたけど、美味しいじゃん。今度、イグを誘って来てみようかな。ディアナやティルはこの店には来られないし)

 そう思った直後、彼の兄になるべきは自分ではないという、苦い思いを再燃させる。


「なぁ、ライト」

 ルーベウスは一旦食べるのをやめ、思い切って彼を呼ぶ。

「一つ、頼みがあるんだが」

「何だ」

 てきぱきとオムレツを口に入れつつ、ライトテスは問い返してくる。

「イグのことだ。あいつは体質や能力が人とは違う。この先、悩むことや落ち込むことがたくさんあるはずだ。あいつを慰め、支え、まずい方向に走りかけたら矯正する、そういう人間が欠かせない。強くて、気がきいて、頭がよくて、あいつを引っ張っていける――兄貴分が必要なんだ。ライト。研究員である間だけでいい。あいつの兄貴になってやれないか」

「イグニスの兄はお前だろう」

 ライトテスはサラダにフォークを刺し、こちらを一瞥した。

「兄であることが辛いのか?」

「いいや。でも俺は、ただの身内くらいでちょうどいいと思う」

「本当にそうか? 立場を降りた自分を想像できるか? 喪失感や不安を感じないか?」

「それは俺の都合だろ。イグには関係ないことだ」

「だがずっと、二人で戦ってきたんじゃないのか」

「戦うって……実戦はあんまり経験ねぇよ。それに、もう必要ない。イグは絶対的な力を手にした。あと必要なのはブレーンだ。一人では、どうしたって思考も視野も限られるからな。だが、俺はイグほど頭が良くない。分かるだろ。俺が完成させられなかった魔法陣を、あいつは見事に完成させた。第一、俺は鈍いんだ。あいつが思いつめてることに気づけなかったし――」

 イグニディスを睨んだ時を思い出し、ルーベウスは震えた。あの時は、彼をヴァルハラードに見立てたが、イグニディス本人に対する気持ちも、いくらか含まれてしまった。だが、彼に嫉妬しているなんて、体裁が悪くてさすがに言えず、

「……何でもない」

 と、誤魔化した。だが。

「人間である以上、誰でも、近い相手には対抗心や妬みを持つ」

「なっ?!」

「その反応からすると、覚えがあるようだな。……おっと、怒るな。恥じる必要もない。大きい声では言えないが、かくいう俺も、弟達をやっかんだ事は何度もある」

 ライトテスは食べる手を止め、まっすぐこちらを見つめる。自然、ルーベウスは背筋を伸ばした。


「ルベス。お前は、イグニスを蹴落としたいと思うか? 自分の成功と引き換えに、あいつが社会的に失敗し、凋落することを望むか?」

「そんなわけあるか! 身内の不幸なんて、俺は絶対に望まない」

「ならば良い。無理に、他人に自分の座を渡す必要はない」

「でも」

「お前が何もかも解決する必要はない。たかが人間の分際で、人一人をまるごと支えようなど無理な話だ」

「でも、やらなきゃいけねぇだろ」

「複数人でやれば良いのだ。我々は親族のようなもの。至らないところは支えあおう。生憎、一度は失敗した。イグニスにとんでもないことをさせてしまった。だが、もう二度と失敗しない」

 誓うように、ライトテスは言い切った。

「兄になれなんて言われなくとも、俺は、イグニスのこともお前のことも、弟だと思っている。俺はイグニスの兄だ。だが、一番の兄は俺じゃない。ィユアでもない。ルベス、お前だ」

「俺で、いいのか?」

「もちろんだ。この世の人間の中で、お前が一番、イグニスを支えるにふさわしい。お前ほど、イグニスを気遣い、思いやり、親身に接せられる人間はいないのだから。……それとも、イグニスに言われたか? お前なんて兄じゃないと」

「それは、一度も言われたことねぇよ」

「ならば問題ない」

 一切の反論を許さないほど、きっちりとした断言だった。


「繰り返すぞ。お前一人でイグニスを支える必要はない。俺をはじめ、研究部の皆がついている」

「……ああ」

 返した言葉はごく短かったが、ルーベウスは、心がほぐれるのを感じていた。

(俺、イグのこと、分かっているようで分かってなくて。的はずれな言葉ばっかり言っちまうけど。それでも――)

 周りの人が手助けしてくれるなら、兄であってもいいのだろう。何よりライトテスは、自分が、イグニディスの兄に相応しいと見込んだ者。その人から太鼓判を押されたのだ。


「年少者を導くのは年長者の務めだ。ルベス、困ったことがあるのなら、俺でも、ィユアでも、フレデリカさんでも、誰かに相談するといい。決して一人で抱え込むなよ」

「ああ、分かったよ。俺はいい身内を持ったんだなぁ」

「ははっ、今頃気がついたか?」

 と、彼は冗談を飛ばした後で。

「お前はさっき、自分を鈍い奴だと言ったが、研究部にスカウトされた時点で、他の人間よりも頭一つ分抜き出ている。傲慢になってはいけないが、卑下するのも良くない。自信を持て」

「頑張ってみる」

 ルーベウスはスプーンを持ち直した。胸にずっと、思い石として固まっていた苦しみが、綺麗にほぐれているのが分かる。自分は未熟だ、だから周囲を協力しあおう。そうすれば大きな目標も達成できる。ヴァルハラードを倒すという、宿願を。

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