説得

 イグニディスが思った通り、ルーベウスは自室にいた。倒れたようにベッドにうつ伏せになっていたが、近づくと、むくりと体を起こしてきた。

「痛みはないか? 血は出てないか?」

 開口一番、何を言うかと思えば人の心配である。矢継ぎ早の気遣いに対し、イグニディスは「平気だよ」と答え、ベッドの縁に腰かけた。

「フレデリカ様から聞いたよ。兄さん、護衛として選ばれたんだって?」

「まぁな」

「返事は保留にしているんだよね」

「そうだ」

「ガルド領には、行きたくない?」

「行きたい、行きたくないで言ったら後者だな。領主は嫌いだし、ましてガルドの領主なんて。あいつは」

 ルーベウスは一瞬震えた。

「俺の父親と言われている男だぞ。だけど、俺の母親とディアナの母親を殺害した。そんな奴、顔も見たくない」

「本当に、それだけが原因で拒否してるの? 嫌いなだけ?」

「理由は他にもある。お前と完全に別行動になっちまう。追跡機を組み込まれたばかりだし、心配な時期だってのに」

「それは、理由の一つではあるのだろうけど、本当の理由はまた別だよね?」

 イグニディスは、極力静かな口調で問う。

「……」

 ルーベウスは答えない。ただ落ち着きをなくしていた。動きはないが、雰囲気で分かる。


 しばらく沈黙が続いた。急かさず、焦らず、イグニディスはじっと待つ。誰でも、本音を出すには勇気が要るし、時間も必要だ。


 時計の秒針が動く音だけが室内を渡る。空気は静かで、少し重かった。



 いくら経っただろうか。静寂を打破するように、はぁ、とルーベウスはため息をついた。

「フレデリカさんに、ルドレフとの関係を知られたくねぇんだよ。フレデリカさんは、優しくて頭が良くて、俺……尊敬してるんだ。だから――」

 ルーベウスは途中で口をつぐんでしまった。だがイグニディスは、彼が言わんとしていることを理解した。ルドレフは、会談でどんな態度を取るか分からない。紳士的な対応をしてくれればいいが、そうでない可能性もある。

「俺は、フレデリカさんをルドレフに会わせたくない。だが今回の任務、フレデリカさん以上の適任はいないだろう。彼女がガルド領に行くのは仕方ない。ただ、俺はその場に居合わせたくねぇんだ。俺がいなければ、フレデリカさんは、俺とルドレフの関係に気づかないと思う。でも俺がその場にいたら、彼女は気がついてしまうかもしれない。確率は低いが、ゼロじゃないだろ」

「……そうだね」

「それに、ルドレフが横柄な態度を取った場合でも、俺はあくまでフレデリカさんの護衛だから、相手を諫めることができない。もちろん、危害を及ぼされれば手を出すが、そうでなければ身動きが取れない。あと――」

 ルーベウスは声に出さず、唇の動きだけで告げた。怖い、と。

(そうだよね。実父がどんな人が、ずっと、知らずに過ごしてきたんだから)

 一方的に実父を憎み続ける方が、気楽に違いない。


「情けないのは分かってるさ」

 彼は膝を抱えてうなだれてしまう。

「ごめんな」

「いや」

 短く返事をしつつ、イグニディスは、身を切られるように思う。

(ルーは、本当は、自分のこんな姿、僕には見せたくないだろうね)

 けれども、妬みからくる自己嫌悪に悩むよりは、今のほうが建設的だ。なぜなら――

「だが、いつまでもこうしちゃいられねぇな」

 なぜなら、情けなさを自覚した後は、奮起できるから。ルーベウスはそういうタイプの人間だ。

「せっかくフランゼフ様に選んで下さったんだ。勤めは果たさなきゃいけねぇな。それに、考えようによっては、護衛を担えるのは幸運なことだ。尊敬する人の安全を、この手で維持できるんだから」

「そうだよ!」

 イグニディスは力強く頷いた。

「まぁその間、お前の傍からは離れることになるんで、それは本当に気がかりなんだが」

「城の外には出ないんだし、怪我もかなり良くなってきた。もう何も心配ないよ。僕のことは気にしないで。フランゼフ様に、務めを果たしますって電話するんだ」

 イグニディスは立ち上がり、机の上から携帯電話を取って、ルーベウスに手渡した。もうこの場で返事をさせる。というのも、せっかくやる気になっても、時間が経つとまた悩み、落ち込んで、やめたいと思う可能性が高いから。だがフランゼフと約束してしまえば、もう、滅多なことでは引くことができない。

(行っておいで、ルー。そして、ルドレフがどういう人か、その目で確かめておいで)

 幸い、ルドレフには悪い噂があまりない。善人ではないにせよ、ルーベウスの思うような、悪人ではないかもしれない。そうであってほしい。

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