自由な空、故郷の空
「――数世紀前、時代の天才発明家がとあるメモ書きを遺しました。そこには、当の天才発明家自身も発明できなかった物、あるいはあえて発明しなかった物のアイデアがいくつも記されていました」
天気は快晴。
論文研究の発表会は、野外の円形劇場で行われた。
半円の舞台を中心に、放射線状に席が取り囲む。石造りの席は段々になっており、外側に行くほど高い。この円形劇場は、舞台から声がよく通り、登壇している者の姿がすべての席からよく見える。
式典や講演にうってつけなので、入学式もここで行われたが、普段の授業ではこのように発表や討論の場として使用されている。
今日は私たちのクラスが、班ごとの課題の発表のために貸し切っていた。
各班の工夫はさまざまだった。図表を描いた紙を掲げたり、劇仕立てで生徒同士の対話形式にしたり、音楽についての論文を説明するために実際に楽器を持ってきて鳴らした班もあった。
それぞれの発表を興味深く聞いているうちに、ついに私たちβ班の順番がくじ引きで回ってきた。
「そのアイデアのうちの一つが、空を飛ぶための装置です。これを仮に、飛行する機械、ということで〝飛行機〟と呼びます。
……空の高みを自在に飛びたいという人間の夢は、太古の昔から現代まで受け継がれてきましたが、未だ飛行機を完成させられた者は存在しません。件の天才発明家ですら、そのアイデアを実現した痕跡はないとされています」
発表の原稿を読んでいるのは私だ。事前に、誰が登壇して原稿を読むかの話し合いがあったが、レアは「無理無理むりむり」とかわいそうなくらい青くなって首を振り、マルクは「やってもいいけど、オレ説明の内容ぜんぜん理解できてないぜ!」と実に不安になることを言ってくれた。
適任者は明らかにカミルだったが、非常に渋い顔でしばらく悩んでいた彼は、最終的に私に託した。
「何かあった時のために、円形劇場の方に足が速くて力のあるアルバがいた方がいいから」という理由だったが、その表情には「アルバに任せるのも不安」という葛藤が現れていた。
また、「おれはまだこの発表の仕方に納得していないぞ」とも、無言の全身が語っていた。
「アカデミー・ブーランジェの機関紙にある最新の論文では、この飛行機の新たな設計案が発表されました。
従来の飛行機のイメージは、翼となるような装置を両脇につけて羽ばたかせ、鳥のように浮き上がることを目的とするものでした。しかし、この最新の論文では、あえて翼を羽ばたかせることなく、むしろ風を受けるよう布を船の帆のように固定し、風に乗ることで滑空を――」
「あ、あのー」
席から手が挙がる。質疑応答の時間は発表の後にも設けられているが、あまりに気になる点があれば、発表中でも聞き手の生徒たちは質問できることになっている。
私は冷や汗を隠し、いたって落ち着いた態度を心がけて「はい、何でしょう」と質問者に向いた。
手を挙げていたのはオーギュスト・ロベールだった。彼は遠目にも分かるくらい困惑した様子で、こちらを見つめていた。
「発表の内容とは直接関係のない質問になるんですけど……」
「どうぞ、かまいませんよ」
「なぜ、β班の発表なのにアルバ・ルチア―ナ君しかいないんですか?」
オーギュストの質問を起点に、ざわめきが波紋のように円形の席を広がっていく。どうやら他の生徒たちも同じことを疑問に思っていたらしい。
そう。班の発表なのにも関わらず、今この舞台には、私ひとりだけが立っているのである。
私はにこにこ笑って答えないことで、質問をやり過ごそうとする。最前列からこちらを不安げに見守っているエレオノーラ先生は、生徒の発表には極力干渉しない方針だ。なので先生ですら、私たちがこれからやろうとしていることを知らない。
「発表の続きで、その質問にお答えすることができると思います。今しばらくご清聴を」
「強気ねえ」
今度は別の席から、男子生徒の声が聴こえる。ジュリアン・ラ=フラシアンだ。彼は面白がるように、舞台の私を見下ろして言った。
「聞いている限り、発表の内容もだいぶ尖ってない? 飛行機なんて可能なの?」
「理論上は、百トンもの重さの鉄の塊も、空を飛ぶことは出来る、ということらしいですが……」
「それって実現するのは数百年後の話じゃない? 理論上の計算を言われても、専門家ならすごさが伝わるんでしょうけど、アタシたちは素人の学生よ。お互いの班の発表を評価しなきゃいけないのに、発表者がひとりで内容が先鋭的となると、判断が難しいわ」
ジュリアンのずけずけとした指摘は、的を射ているだけに耳が痛い。しかし、私はコホンとわざとらしく咳払いし、余裕の演説者として振る舞う。
「皆さん、もう少しだけご辛抱ください。風が吹けば、私たちのやりたいことが分かっていただけます」
「風?」
誰かが呟いたところで、ちょうど大きな風が来た。
冷たい秋の風だ。クラスメートたちは一斉に制服の上着を羽織り直す。
その時、彼らの上に陰が落ちた。
鳥のような陰だった。だがそれは、鳥にしてはあまりにも大きく、骨格も生物にしてはやたらと角ばっているようで――。
クラスメートたちは空を見上げた。そして、あんぐりと口を開いた。
私も同じく空を見上げ、ガッツポーズして叫んだ。
「成功だ!」
空を人が飛んでいる。
骨組みに布張りをした、巨大な鳥の翼のような装置からぶら下がって、ひとりの女子生徒が学園の空を優雅に滑っていた。
「すごい! すごいぞ!」
興奮のあまり、私は舞台を降りてその影を追いかけに行く。まあ、誰も咎める者はいないからいいだろう。みんな空飛ぶ謎の女子生徒に釘付けだ。
ふいに、突風が吹いて、装置が大きくバランスを崩した。風を受けられなくなった布はしぼみ、骨組みの重さで地面に落ちていく。搭乗する女子生徒とともに。
危ない! 私は装置の落下予測地点まで走った。空中で装置はいくつかの部品に分解されてばらばらになり、女子生徒だけが放り出される。
間一髪、私は女子生徒の下に滑り込み、全身で彼女を受け止めた。衝撃で身体がみしみしと鳴るが、半魔ならこれくらい何でもない。
壊れてしまった装置――私たちの作った〝飛行機〟の残滓が宙を舞っているのを見上げて、女子生徒は呟いた。
「……人手があると、こんな物も作れるのですね」
潰されている私の上から退いて、彼女――ワンダ・モルゼゴヴナは、私に手を差し伸べた。ありがたくその手を取って立ち上がる。
「私の夢は」
いきなり、ワンダが芯のある声で宣言した。
「故郷に帰って、故郷の空を飛ぶことです。金の大地、碧の海、満天の星……モルゼ王国の空を自由に泳ぐことです」
ワンダはまるで、その空の景色を実際に見たかのように、懐かしそうに語った。
「私が元王女であることで、その夢が叶わないというのであれば――」
強い風が彼女の長い銀髪をかき乱す。碧い瞳が光を宿して、その隙間から覗いていた。
「――この夢を叶えられるような環境に、周りを変えてやるのみです」
私は目を見開いて、そして共犯者の笑みを彼女に向けた。
喧騒が近付いてくる。円形劇場からざわざわと様子を見にやって来るクラスメートたちと、飛行機の補強作業をぎりぎりまで手伝っていたカミルが「やっぱ壊れてんじゃねえか!」と怒り散らしながら、遠くからレアとマルクと共に駆けてくるのが見える。
間もなく、彼らに私たちは取り囲まれるだろう。その前に伝えておこうと、ワンダに改めて私から右手を出して、握手を求めた。
「共に頑張ろう。ホームシック仲間のワンダ」
ワンダはやはり無表情の涼しい顔で、私の手を握り返してきた。
「辛いですね。帰りたい
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