三、ソウヤ

 ヒウチは、深く座り直してから静かに話しはじめた。


「私が君の名前を聞いてこちらの人間でないとわかったのは、君のいる世界とこちらを行き来する事例を耳にしたことがあるからだ。伝聞に過ぎないが、私は多少そちらの世界のことを知っている。

 元々この世界の人間は皆、君の世界から大昔にやってきた人間の子孫だといわれている。だが君の世界とは交流が乏しいから、こちらの世界は人の多様性も乏しいし、生活も少し違うらしい。私たちは自分の身を護るために、『盾』をつくることができるんだ。恐らくこれは……君たちの世界には無かったんじゃないか」

 そういって彼は、胸元に手を当てて扉の方を見つめた。すると、目の前に黄緑色の薄い円盤のようなものが浮かび上がった。


「こういうものを、見たことがあるか?」

「い、いいえ」

 椎名が慌ててそう答えると、ヒウチは円盤から目線を外す……と同時に円盤は砕けて消えた。

「この世界の人間は、こうした『盾』を全員がつくることができる。自衛のためにね。だから、私たちは自らを『盾者たてしゃ』という。それでもいさかいが起きることがあるから、より強い『盾』を操れる人がそれを戒める。それが私のような、『守護者』と呼ばれる人々だ」

 椎名はその言葉を聞いて納得した。さっき「守護者」の意味を聞かれた時の模範解答は強い盾者とか、そんな感じのことだったのか。


「まだわからないことや不安なことは多いと思うが……ひとまず、私はこの辺りの地域の守護者だから、君が危害を加えられることはない。そこは、安心してもらって問題ない」

 椎名は、曖昧に頷きながら頭を整理した。とりあえず、自分は所謂いわゆる「異世界」に来たのだということと、運良く地域のリーダー的な人に助けられた、ということだけは把握した。


「あの、それで、わたしはここで何をすればいいのでしょうか」

 必要最低限と思われることがらまで理解したところで問いかけると、ヒウチはじっと椎名を見つめた。

「……驚いたな。この世界の詳しい説明を求める前に、君自身の身の振り方を問う、か。しかし大事な質問であることはたしかだ」

 そういって、ヒウチは座り直した。


「君が向こうの世界の人間、ということならば、是非手伝って欲しいことがある。ただし、その前に君がこちらに来たきっかけ……あの少年がなぜ、君をこちらの世界に連れてきたのかを知る必要がある。だから、今は少年がここに戻ってくるのを待っている。彼が戻ってくるまでは、君も私もここで待機だ」

「手伝って欲しいこと、ですか」

「ああ。ある書籍の翻訳を手伝って欲しいんだ。こちらの世界は話し言葉はあるが、書き言葉は限られている。君が住む世界にあって、こちらの世界に無い書き言葉があるんだ。それを君に読んでほしい」


「あの、わたしと一緒に居た、あの剣を持った人は」

『僕のことは、名前で呼んでほしいな』

 椎名が質問を重ねたとき突然、部屋の中に強い風が吹いた。部屋全体に、あどけない少年の声が響く。ヒウチは半分腰を浮かせた体勢で、固まった。

『ごめんね、ヒウチ。僕に自由に喋らせて。そっちに行くけど、今盾は出せないようにしてるから』

 ヒウチは動きを止めたのではなく、動けなくなったのだ。椎名もそうなのだろうかと手を挙げると、普通に上下に動く。少年のくすくす笑いの声が響いた。

『シーナは動けるよ。僕も今そっちに行くね』

 もう一度強い風が吹き、がたん! と窓枠が揺れる音がした。窓を見るとそこにあったはずの雨戸が無くなり、金髪青眼の、あの時車道に立っていた少年が腰掛けていた。


「名前で呼んでほしいって言っても、わたしはあなたの名前を知らない」

 椎名の呼びかけに少年はそうだね、と頷いた。

『うん。僕の名前はソウヤ。それだけ知っておいてくれたらいいよ。ヒウチも、余計なことは言わなくていいから』

 あどけないようでいて、偉い人と思しきヒウチにばっさりと告げるソウヤにひやひやするが、それより椎名には訊かないといけないことがある。


「ソウヤ。どうしてわたしをこの世界に、この場所に誘導したの」

『シーナ、僕はシーナに教えてほしいことがたくさんあるんだ。だから、これからも、シーナのところに来るね。僕の家に連れて行くわけにはいかないから、ヒウチのところにいるといいよ。ヒウチは強い守護者だから大丈夫』

 ソウヤはそれだけ言うと、未だ身体を動かせないヒウチに向き直った。

『そういうことだから。シーナを護ってね、ヒウチ。この剣は持っていくね』

 ひょいと屋内に入ってきたソウヤは柱に立てかけられた剣を腰に差し、あっという間に窓の縁に戻っていった。

『じゃあ、またね』


 瞬きをするといつの間にか窓は元に戻され、強く吹いていた風も止んでいた。何度か瞬きを繰り返していると、身体を真っすぐに戻したヒウチがぼそっと呟いた。

「ソウヤの力が、強くなっている」

「あの、今のでソウヤが私のところに来た理由はわかった、んでしょうか」

 椎名には、一瞬すぎでよくわからなかった。恐る恐る見上げると、ヒウチは厳しい表情のままいや、と呟いた。

「彼は、ソウヤは“教えてほしいことがある”、と言っていたな。詳細は、はぐらかされてしまったが。……彼はいつもそうなんだ。言いたいことだけ言って、こちらの問いかけには答えてくれない」

「そうなんでしょうか」

 椎名は自分でそう言ってから、驚いた。「いつも」の彼など知らないのに、とっさに反論の言葉が出たことに。先ほどの会話で、自分をここに連れてきた明確な理由はわからなかった。でも、ヒウチの言い方には納得がいかなかった。


「はぐらかすことからも、意味は読みとれます。あの人は、きっと『今の状況』に満足してないんです。だから、『今の状況』をつくっているあなたの言葉に、まっすぐ答えてくれないのではないでしょうか」


 ——じぶんが言葉をはぐらかすのは、そういうときだから——


「それは、」

 何かいいかけたヒウチの言葉を塞ぎ、椎名は話し続ける。

「わたしは、あの人から見て『今の状況』をつくった人ではないのでしょう。だから、ここに連れてきた。そう思います。……わたしは、ソウヤと話します。そうしたら、きっと『今』が変わる。そんな気がするんです」

「君も、」

 そう言いかけたヒウチは、もう一度口を開く。

「一旦ここで暮らす。そしてソウヤと話す。君の意思は、それでいいんだね」

 その問いに、椎名は頷く。

「であれば、わたしが勤める中央府で過ごすといい。中央府に着いたら、ここの生活の話をしよう」

 そう言って立ち上がるヒウチに合わせ、椎名もようやくベッドから抜け出す。

「こちらへ」

 ヒウチが開けた扉から、椎名は新しい世界への、意志を持った一歩を踏み出した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る