鏡の誓い~盾で守る己の心~

水涸 木犀

一、椎名 沙良

「沙良ちゃん、次どこ行くんだっけ?」

「このまま宿に直帰」

「えーそうだっけ、早すぎじゃない?」

「まだ部屋の鍵開いてないかもね」

 同じ班の女子たちと話しながら、椎名 沙良は心の中で何度もため息をついていた。


 この校外学習は、精神的に疲れる。せっかく有名な観光地に来ているというのに、行く前から全く楽しめる気がしていなかった。


 班のメンバーと仲が悪いわけではない。ただ、彼らとコミュニケーションを取ることに嫌気がさしているだけだ。いじめられているのに、どうでも良さそうにして解決しようとしない“ともだち”も、特に論理的な根拠無く人をいじめる男子たちも。こんな低レベルなことばかりで毎日の時間を埋める彼らと話すのが、不快で仕方ない。


 だが、一番不快なのはそのような空間にいて平然としているように見せかけている、自分自身だ。今すぐに、「勝手にすれば」と言い捨ててどこかに消えてしまえればどんなに楽だろうか。そう思いつつも、椎名は班のメンバーの会話を適当にこなしていた。


 そんなときだった。車通りの少ない道路の真ん中に、一人の少年が現れたのは。


 “現れた”というのが正しい言い方かどうかはわからない。彼はずっとそこにいて、椎名が気付いたのがついさっきだった、というだけかもしれない。ただ、間違いなくいえることはひとつ。彼が、普通の人ではないということだ。


 明るい金髪がまず目に飛び込んでくる。こげ茶色のマントを身に着け、左腰には大きな剣を帯びている。その時点で明らかに、ただの日本人ではない。それに何となくだが、まとっている雰囲気が他の人と違うような気がした。ごちゃごちゃした醜い感情とは無縁の世界にいるかのような、静かな雰囲気。椎名は、班のメンバーと歩調を合わせて歩きながらも、目をつむって立っている、その少年から目が離せなかった。


 そう遠くない所から車の走る音が聞こえる。もうすぐ、少年の所まで車が来るだろう。このとき椎名には根拠なき確信があった。少年が、車が目の前まで来ても動こうとしないだろうということを。


 何故そう思ったのかはわからない。だが、その確信は、考えるよりも先に椎名の足を動かした。


「危ない!」


 そう叫んで少年のことを突き飛ばそうとしたとき、椎名は死ぬかもしれないな、と思った。そこまで運動神経が良い方ではないので、人をひとり突き飛ばしながら自分も車をかわすなどという器用な芸当ができる自信は全くない。そんな諦めに似た気持ちは、全く予想しなかった形で裏切られた。


 突き出した腕は少年を突き飛ばすこと無く、逆に彼に掴まれていた。そして、彼はそのまま走り出したのだ。椎名はその手を振り払うこともできず、そのまま走る、走る。周囲の風景は虹色になり、もはやどこを走っているのかすらわからない。少年がこちらを見ると、少し笑った。そのとき初めて、椎名は彼の顔を正面から見た。吸い寄せられるような青い瞳がきらきら輝く。


「大丈夫だよ」


 見知らぬ人に手を引かれ、見知らぬところを走っている今の状態が大丈夫じゃない。しかし、椎名はそう言われてむしろ安心した。


 ――これで、あの面倒な人たちと話さなくて済む――


 恐怖よりもその思いの方が、強かったのだ。

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