学院新生活8
アルファの森を出ると、四人はそのまま一緒にシモン研の学生室に直行していた。
「というわけで、ベルの送別会を開催します」
レレは微塵も悲しくなさそうな表情で、流れてもいない涙を拭う素振りをしている。
どこから用意したのか、ベルには「本日の主役」と書かれたタスキがかけられている。その主役に発言権はないようだ。
「もうどうでもいいから、早くこの茶番を終わらせてくれ……」
彼は最近になってようやく、この手合いには何を言っても無駄である事を学んだ。今もただ流れに身を任せている。
「では、今晩のお供はこちらです!」
レレが奥から取り出してきたのは燻製チーズとウィスキーの瓶。グラスはしっかりと四人分用意している。
「えっ、えっ、私も参加ですか……!?」
当然のように巻き込まれたオーフェリアの肩をベルが優しく叩く。
ベルの瞳は「逃がさない」と静かに、それでいて強く彼女に語りかけている。
「え、えええーー……!?」
オーフェリアは呆然としたまま椅子へと座らされる。
一方クレアは自慢のピンクブロンドを指先でいじりながら、研究室の中を怪訝そうに見回している。
「まだそこまで遅い時間じゃないのに、全員帰宅済なの?」
クレアの言う通り研究室の中は静まり返っており、四人以外に誰かがいる気配は無い。
「んー、シモン先生は分からないけれど、私はそもそもベル以外の人を見かけたことが無いよ」
「はあ!?」
「ええっ!?」
レレの口から語られた衝撃の事実に、クレアとオーフェリアの二人は同時に声を上げた。
「新入生二人しかいない研究室って、どうなってんのよ……」
普通の研究室であれば、全ての課程の学生をあわせると少なくとも十数人は所属している事が多い。
そもそも新入生が入るこの時期には、上級生から歓迎の催しや、研究の手解きがあるのが普通ではないだろうか。
「一応補足すると、例の男を含めて上級生は二名だけ在籍している。俺はその内一人に入学前に会った事がある」
「ふ、二人ですか……」
「ゼロの方がまだ納得出来るんだけど……今年新設の研究室だから、とかね。一体何があったのよ、ここに……」
顔が引き攣っている二人の前に、レレはウィスキーを注いだグラスを差し出す。
「今はそんな事はどうでもいい! ここに何のために集まったのかお忘れですか! そう! このお酒を飲むためです!」
天高く掲げられた酒瓶が、ランプに照らされてきらりと輝いた。
「もはや俺の送別会という建前もなくなったか」
ウィスキーが自分のグラスに注がれていく様子を気にも留めずに、ベルがぼそりと呟いた。
「もしかしていっつもこんな感じ?」
「入学してから毎晩だ」
「……さっきはパーティーへの誘いだったけど、研究室もうちに移ったらどう? 先生に口添えしても良いわよ」
クレアは先ほどと違って、本気の心配からベルを誘った。
しかしベルは研究室の酷さには同意して苦笑いをしつつも、その首を横に振った。
「こんな環境だが、どうしてもやりたい事があるんだ」
「ふうん……?」
「はーい! 話の続きは乾杯の後にしましょう!」
レレの強引な乾杯でベルの送別会(仮)は幕を開けた。今夜も第四研究棟の奥は騒がしい。「なぜか」シモン研の周りだけ空き部屋が多く、多少騒ぐ程度ではクレームがくることもない。
「あ、あの……水割りにしたいです」
「あ、ごめんね。はいお水!」
あまり強い酒が得意ではないオーフェリアは、ウィスキーを三倍程度まで薄めてちびちびと口をつけている。
魔力量が少ない一方で、昔から魔法の精密な制御に長けていたベルは、魔法で丸氷を作り出している。
クレアは最初は全く乗り気では無かったが、ウィスキーボトルのラベルを見て態度を一変させた。
「なんでこんなレア物があるのよ! 実家の仕事でも数回しか見かけた事が無いんだけど……!」
「故郷からサンヴェロナに移動する時にお世話になった商隊の隊長さんと仲良くなって、開封済みだけど選別にって頂いちゃったんだ」
「いや、そんな気軽に貰えるレベルの物じゃないわよこれは……!」
「そ、そうなの……?」
「何も知らずに貰ったってわけ……!? 無知って怖いわ……」
「あはは、褒めてる?」
「そうね、褒めているわ」
既に興味は酒にしか無いようで、クレアは適当な返事をしながら酒を堪能し始めた。
ちなみに、レレはこの酒の価値を知っている。そのうえで、あえて無知な振りをしている。
初対面で、仮にもベルを取り合う相手に、高価な物と知っていながらこの酒を提供するのはあまりに不自然だ。
そこで無知を装うことで、クレアは何の疑問も持たずに、気持ちよく飲みの席を楽しめる。
そして、クレアに酒を飲ませるという行為の先に、レレの真の目的がある──。
◇
気が付けば二時間は経過しており、夕食も取らずに少量のつまみだけで酒を飲み進めていた一同は、当然かなり酔いが回っていた。
オーフェリアは眠気と戦っており、時々頭がカクンと揺れては、その度に眼鏡がずり落ちている。このままではあと数回で床に落ちてしまいそうだ。
ベルは連日レレから酒に誘われている事で、彼女と飲む時の適切なペース感を把握したらしく、多少顔が赤らんでいるものの、特に具合が悪そうな様子などは無い。
そしてクレアは──
「ふふ、それでね、うちの犬のミルクちゃんはね」
「うんうん」
「もう本当に世界一可愛いの。おめめも、耳も、肉球も、ぜーんぶ愛らしくて愛らしくて──」
「うんうん」
素面の時とは正反対の、柔らかい笑顔と口調でひたすら喋り続けている。
向かいの席に座るレレはそれに対して、ただただ笑顔で相槌を打ち続けていた。
クレアという女は、酒に著しく酔うと普段からは想像できないほどに、穏やかで可愛らしい言動をするようになる。レレはこの事をオーフェリアから聞いて知っていた。
「ねえねえクレア。一つお願いがあるんだけど聞いてくれる?」
「なあに?」
「さっきアルファの森で、クレアのパーティーにベルを加入させたいって言っていたけれど、ちょっと考え直して欲しいんだ」
「どうして?」
クレアはきょとんと小首を傾げて、そう聞き返した。ここまでくると完全に別人格だ。
「ベルは今の私にとって唯一のパーティーメンバーだから、クレアの所に行っちゃうと、私が一人になって困っちゃうんだよね」
「一人は……嫌ね」
「うん。だから少なくとも私に新しいパーティーメンバーが出来るまでは、ベルと一緒にいさせて欲しいんだ。駄目かな?」
レレは机に両手をついて、天板にぶつけんばかりの勢いで頭を下げてお願いをした。
「わ、分かったから頭を上げて……!」
「じゃあ私と約束してくれる?」
「約束……?」
レレは顔を上げて、小指以外を握った右手を前に差し出した。
「私に新しい仲間ができるまでは、ベルをパーティーに勧誘する事は禁止。いいかな?」
クレアはこくりと頷いて、同じように右手を差し出してお互いの小指同士を握った。
指が結ばれた瞬間に、淡い光が一瞬二人の右手を包んだ。
それからしばらくして、クレアもついに眠気に勝てずにソファーで横になってしまった。
レレは一人、机の上の食器を片付けて、それらを持って水場の方に向かった。
そこには先客のベルがおり、ゴミをまとめて捨てる準備をしている。
「お疲れ様ー」
「寝ている二人はどうするつもりだ?」
「うーん、あのままでも良いんじゃないかな。場所はいくらでも余っているし」
先に眠りについていたオーフェリアもソファーに運ばれており、二人ともブランケットがかけられているので、風邪を引くことは無いだろう。
「で、何をしたんだ? どうせ薬の力だろうが……」
「まさか! 人を洗脳するような危険な薬を私が使うわけないでしょ!」
少し責めるような目をするベルに対して、レレは慌てて弁明する。
「違う、そうじゃない。流石にそんな事は分かっている。俺が言っているのは、未だにシラフ同然のお前の事だ」
「…………あは、バレた?」
「当たり前だ。毎晩お前の酒に付き合っているのは誰だと思っているんだ。自覚があるかは知らないが、お前はどちらかと言えば弱い方だからな」
「えへへ、当たり……」
レレはアルコールが体に吸収されないように、特製のマンドラゴラドリンクを予め飲んでいたのだ。
「自分は薬の力でシラフ同然。一方で酔っぱらった相手に「フィンの契約」で簡易契約を押し付ける……完全に犯罪者の手法だな」
「人聞きが悪いなあ! フィンの契約はそんなに万能なものじゃないって知っているでしょ! 相手が心から契約に同意しないと発動しないし、そもそも簡易的な契約だから効力だって微々たるものなんだからさ」
「フィンの契約」とはお互いに合意した契約を、小指の指切りを起点に発動する魔法だが、レレの言う通り手順が簡易的な分、強制力も効果時間も短い子供のお遊びのような契約魔法だ。
「まあ私がメンバーを見つけられるまで待ってもらうだけだから。ベルももう少しだけ辛抱してね」
「辛抱? 何の事だ?」
ベルは本気で何を言っているのか分からないといった様子だ。
「だからー、私以外の人とパーティーを組むの少しだけ待ってねって事だよー。そりゃあ、バランスの良い編成で採取に行きたい気持ちは分かるけど……」
もじもじとしているレレを見て合点がいったようで、ベルは思わず吹き出してしまった。
「な、なんだよー!?」
「いや、なんだって……そもそも俺は別のパーティに行くなんて一言も言っていないだろうが」
「えっ……えっ……!?」
「……くっ……ぶはっ! なんだよお前、俺が別の所に行くと思って焦っていたのか!」
どうしても笑い声が口からこぼれてしまう。我慢ができない。
「おい、笑うな!!」
「わはははははっ!! そうかそうか、一人になると寂しいもんな……! くっ……はははははははっ!!」
「笑うなーーっ!!!!」
初めて見る彼の大笑いがこんな形になるとは思いもしなかった。
ベルの発言の真意は分からないが、勝手に寂しがり認定をされて笑われるのは、不本意だし、何より恥ずかしい。
笑いが止まらない様子のベルの口を、レレは手で無理矢理塞ぎにかかる。
しばらくしてようやくベルは落ち着いて、笑い疲れたのか椅子に座って目尻の涙を拭った。
「はあ、はあ……悪い、笑いすぎた」
「フーーッ……!」
一息ついたベルとは対照的に、レレはまだ怒りと羞恥で顔が真っ赤になっている。威嚇の声を出しながらベルの方を睨んでいる。
「続きを聞いてくれ、良いな?」
「知らないっ!!」
レレは両耳を塞いでそっぽを向くが、確実に聞こえているのでベルは無視をして話を続けた。
「以前俺は、この研究室ぐらいしか受け入れてくれる先がないと話したが、それと同時に俺はやりたい事があって自分の意志でここを選んでいる」
レレの猫耳がピクリと動く。やはり聞こえている。
「そして、その目標のためにお前にも協力して欲しい。そのためにも、お前といる時間は可能な限り多くしたいぐらいで、俺のほうから離れるつもりは毛頭ない。むしろ俺がお前と一緒にいる事をお願いしたいぐらいなんだ。勿論、お前が他所に行きたいなら止めもしないが……」
さらに耳がピクピクと動く。
彼女の顔は先ほどと同様に紅潮しているが、表情からは怒りが消えているようだ。
「き、君さ……結構恥ずかしい事言っているからね……!?」
「そ、そうか?」
「そうだよ! ま、まあ、しばらくは別の所に行こうって訳じゃないなら、何でもいいけどさ……!」
「ああ、だから改めてよろしく頼む」
「う、うん……」
ベルから差し出された手を、少し恥ずかしい気持ちで握り返す。
恥ずかしさや安堵が入り混じって混乱しているのか、耳がしおれたように垂れている。
「……」
そんなレレの様子を、ベルが黙って見つめている。
「な、何かな……?」
「いや……俺が言えた事じゃないのは重々承知なんだが……」
何かを言いたげなので思わず問いかけてしまったが、それが良くなかった。
「お前って社交的なように見えて、実は人付き合い苦手だよな」
「うっさい!!」
今晩は随分と余計な事を言うこの男に、ついに怒りの雷が落ちた。
翌日、とある講義室には、二日酔いでしかめっ面の女性が二名、不機嫌そうに体のあちこちから電気が漏れ出している女性が一名、頬に平手打ちや引っ掻き傷が多数ある男性が一名。彼女達四人が座る席の近くだけが異様な雰囲気に包まれていた。
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