学院新生活1

 コギの町を出発して二週間が経過し、ハルメール王国第三の都市であるサンヴェロナに到着した。

 荷物と一緒に街の中心にある噴水広場に下してもらい、世話になった商隊の隊長にお礼として追加の運賃を支払った。

「はあーっ……これが白の都サンヴェロナかあ……」

 白の都という呼び名の通り、サンヴェロナの建物のほとんどが、白を基調とした外壁をしている。ちょっとした建造物にも美しい装飾が施されており、街全体がまるで彫刻作品かのように輝いて見える。

 内陸都市のコギの町には無かった海も砂浜も、街のすぐ横に延々と広がっている。

「何より人がいっぱいいる……」

 噴水広場ではレレのような旅人らしき装いの人もいれば、出店でアクセサリーを売る者、芸を披露している者、デートを楽しむ者、家族で食事を楽しむ者、噴水の前に腰かけて本を読む者……この広場だけで、コギの町の全住民よりも人がいるのではないかと錯覚するほど、様々な人でごった返している。

 また行き交う人の肌の色、目の色、髪の毛の色……それらは人間種だけでも多彩で、更には獣人種や精霊種などの亜人種も大勢いる。

 レレと同種のウェアキャットはまだ見かけていないが、これだけの亜人種が多くいる街であれば、いずれ出会う事もあるだろう。

(ちょっと街を探索してみたいけど……)

 自分が腰かけている箱に目を落とす。薬の調合用の道具や素材も全て持ってきたため、一人で持って歩ける荷物の量に収める事が出来なかった。

(残念だけど、迎えが来るまではここで待機かな)

 シモンからの手紙には寮の場所は書かれておらず、この広場に案内の人が来てくれる事になっていた。

 そのため、その案内人が来るまでは、大人しく荷物と一緒に待つしかないのだ。

 やる事もないので、ぼうっと座ったまま街を観察する。

 建物も人も植物も、全てがレレにとっては珍しいが、特に目を引くのが食べ物だった。

 名前の知らない食材と、嗅いだことのない香りの調味料が、見た事も無い料理になって、次々と皿に盛り付けられていく。

 ウェアキャットの人一倍優れた嗅覚が、その香りを嫌というほどレレに堪能させてくれる。

 ぐう、とお腹が鳴る。

 道中の街でも初体験の料理を散々堪能してきたが、今朝は出発の際に色々と慌ただしく、満足に食事を取らずに今に至る。

 食事を提供する屋台やお店を眺めていると、とある出店が目に留まった。

(も、もしかしてあれって……アイスクリームというものでは……!?)

 店主が金属の器から、大きなスプーンのような器具で丸く掬った白いものを、小さなカップによそって客に渡している。

 風の噂で聞いたところによると、冷たく、驚くほど甘く、都会では大流行しているものらしい。

(私が都会っ子になるためには、あれを食べないと駄目な気がする……!)

 こうなると、いよいよ案内人の到着が待ち遠しい。

 その気持ちが抑えきれず、つい口に出てしまう。

「まだかなー……」

「おい」

「どわああああっ!?」

 後ろから急に声をかけられて、驚きのあまりひっくり返りそうになる。

 毛が逆立ってぼさぼさの状態のまま振り返ると、そこには若干引き気味のベルが立っていた。

「何て声を出しているんだ、お前は……」

「あれ、ベルだ! 久しぶりー!」

 箱から立ち上がって、改めてベルの方へ向き直す。

「お前、鼻が効くって言ってなかったか? ここまで近付いて気が付けない程度なのか……?」

「い、いやあ……別物ものに意識を集中していたからね」

「別のもの……?」

「なんでもなーい」

 正直に言っても、食い意地が張っているとか、そういう風に馬鹿にされるに決まっている。

「そんな事より!」

「……何だよ」

「横の綺麗な大人のお姉さんはどなたですか!」

 ベルの横に立っている女性は、さらさらとしたプラチナブロンドの美しい髪を、肩の高さでゆるく束ねており、髪と同じ色の長いまつ毛はまるで人形のようだ。翡翠色の瞳はまるで本物の宝石のような輝きを放っている。

 本来なら美男美女の完璧な組み合わせと言いたいところだが、相変わらず目つきが悪いせいか、ベルでさえ見劣りしてしまう。

 レレが見惚れていると、女性が一歩前に出て丁寧に一礼をした。

「話は聞いています、貴女がレレさんですね。私はモニカ・ロラ・ド・サン=ジョルジュといいます。気軽にモニカと呼んで頂ければ嬉しいです」

 モニカは一礼の後に、握手のためにレレへ手を差し出した。

 モニカの声も所作も、一つ一つが美しく丁寧で、目の前で挨拶をされただけで眩しさを感じてしまう程だった。

 レレは彼女の手を取って、ぎこちなく礼を返した。

「レ、レレ・ルゥルゥです.....あの…….髪も肌も、本当にお奇麗ですね!」

「ふふ、ありがとうございます。レレさんの髪もとても綺麗ですよ」

「そ、そうですか……? 癖っ毛だし、毛先が緑色だったりして、自分はあんまり好きじゃないです。それに……」

 レレはコギの町にいた頃の習慣を一つ辞めた。

 それは、外では常にフード付きの外套を着て、ウェアキャットの身体的特徴を隠す事。

 この街では聞いていた通り、多くの亜人種が暮らしており、この耳や尻尾を見て指を指してくるような人は圧倒的に少ないようだ。

 しかし、いつかベルが言っていた通り、両者の間に壁が完全に無いという訳では無い事を、既に感じ取っている。

 レレの反応から察したのか、モニカは優しく微笑んだ。

「大丈夫。私はそんな事で差別するようなくだらない人達とは違うわ。むしろその耳はとっても可愛らしいじゃない」

「モニカ先輩……」

 美人で優しい、レレにとって理想の女性像であるモニカに耳を褒められて、照れる──というよりはデレデレになっている。

「……なあ、そろそろいいか」

 女性二人の空気に若干の居ずらさを感じたベルが、本題に戻そうと会話を遮った。

「ごめんごめん、ええっと……ベルがここにいるのは寮まで荷物運びを手伝ってくれるため、で良いんだよね?」

「そうだ。お前、寮はおろか学園の場所も知らないだろう」

「そうなんだよね。なので、道案内もよろしく!」

「ああ。荷物はこれで全部か?」

 足元に積んである箱をベルが指さす。

「うん、ごめんね、ちょっと多かったかな……?」

「いや、想定よりも少ないな。これなら大丈夫そうですよね、モニカ先輩」

「ええ、そうね。この量ならどちらか一人で大丈夫だったかもしれないわね」

 レレとしてはかなりの荷物量だと思っていたのだが、二人の反応は真逆のものだった。

(二人共良い所の生まれみたいだし、荷物量が凄い事になっているのは想像出来るかも……。衣服だけで私の荷物全部より量があってもおかしくないよね……)

 若干引き気味のレレの様子を見て、二人は不思議そうに顔を見合わせた。

「じゃあ、そこに停めている馬車に乗せるぞ」

「ん、了解」

 三人であっという間に荷物を積み込み終え、馬車に乗って出発となった。

 露店で何か買ってから発ちたかったが、迎えに来てもらった二人の時間を奪うのも申し訳が無いので、今は我慢する事にした。

(また後で来れば良いだけだしね)

 サンヴェロナまでの旅路とは異なり、幌のない馬車の荷台は開放的で心地良い。

 荷物に背を預けて、波が寄せては返す様をぼうっと眺めるだけでも、異国情緒を楽しめる。

「海が珍しいですか?」

「はい、故郷の近くには無かったので……。景色だけじゃなくて、音や香りも全部違って、随分と遠くに来たんだなって……」

 たったの二週間前まで暮らしていた故郷の景色が、既に懐かしく感じてしまう。

 ホームシックと言う程では無いが、こんな調子でこの先大丈夫なのかと勝手に一人で不安になってしまう。

 そんなレレの気持ちを察してか、モニカはレレの手を取って優しく微笑む。

「暖かくなったら皆で遊びに来ましょうか。これからしばらく暮らしていく地域なのに、知らない事ばかりなんて勿体無いですもの」

「わっ! ぜひお願いします!」

 ちなみに、レレの「青春を満喫するためにやりたい事百選」に、海で遊ぶ事がしっかりとランクインしているため、モニカの誘いは非常にありがたい。

「ベル君も行きましょうね」

「えっ……俺もですか……」

 モニカの誘いに対して、ベルが心底嫌そうな顔で二人の方を見た。

「良いじゃん! 美女二人と海なんて幸せ者じゃん」

「美女が……二人……?」

 眉間に皺を寄せて、真面目に悩んでいるような顔をするベルの脳天に、良い角度の手刀が落とされる。

「いってえ! お前なあ……!」

「ふんっ!」

 毛を逆立てて怒ったレレは、足を崩して胡坐をかき、尻尾を馬車の床板にばしばしと叩きつけている。

「ベル君、女性を怒らせるような言動は感心しませんよ」

「……はい、すみませんでした」

「ちょっと、私に謝ってよ!」

 モニカには素直に頭を下げて謝罪するベルに、レレはまたイライラしてくるが、すぐに膨らんだ尻尾は萎んでいった。

「はあー……やめたやめた。折角の一日目に怒ってばっかりじゃ勿体無いや」

 何か別に話題は無いかと探していると、モニカにまだ聞きたい話がある事を思い出した。

「モニカ先輩って、何でシモン先生の研究室に入ったんですか?」

 そう問いかけられたモニカは何の事かとぽかんとした後、「違うの」と笑って否定した。

「私はシモン先生の研究室の所属じゃないの」

「え、えっと……じゃあ、何で今日は手伝いに来てくれたんですか? ベルと仲が良いからとかですか?」

「ベル君とは確かに昔から面識はあるけれど、今日ここに来た直接の理由では無いわ」

 モニカはレレの方に寄ると、その手を取って真剣な眼差しでこう告げた。

「レレさんがこの研究室に入るのを阻止するために来たの」

「へっ……?」

 モニカの顔は、冗談を言っている様子は無かった。

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