第51話 佐郷信之

「本当に久しぶりだなぁ。元気してた?」


 人気の少ない階段の踊り場にて、佐郷が口角を上げる。

 最後に見た表情と重なる笑み。何度も見たはずの笑顔が、今は鳥肌を禁じ得ないほどにおぞましく見える。


 笑顔を浮かべられるわけがない。佐郷は、俺が暴露した音声データによって居場所を失った。請希高校の校舎にいられなくなって、逃げるように東京を出て行く羽目になった。原因になった俺を恨んで然るべきだろう。


 にもかかわらず、眼前の悪魔からは憤怒の情がうかがえない。猫を被っていた時と変わらない、一見して友好的に見える笑顔を浮かべている。感情と表情を完全にコントロールしている証拠だ。その機械的な無機質さにぞっとする。


「ちなみに俺は大変だったぜ。お前のせいで悪評広まっててさ、まともな学校で俺を受け入れてくれる所なかったんだよー。入れたのはドが付くくらいの底辺高でさ、転入するなりいじめられちまったんだよなー。嫉妬っての? 田舎者特有のコンプレックス丸出しでさ、醜いったらありゃしねーの」


 言葉がぺらぺらと重ねられる。虫が飛び回る、若い女性がいない。聞いてもいないことを延々と語り続ける。


 これは聞き流していい。佐郷が喋る間は、思考に費やせる貴重な時間だ。佐郷はここに何しに来た? 俺はどうするべきだ? 目的を推測して為すべきことを思考する。


「でな、不良グループのナンバー2が下克上狙ってたわけ。俺ピンと来てさ、お前をトップの座に就かせてやるって話をもちかけたわけよ。説得には苦労したぜー。コツコツ信頼を積み重ねて俺の頭脳を認めさせてさ、ボス猿をめてトップの座から引きずり落としてやった。あの絶望した顔と言ったらおもしれーのなんの! 暴力以外何もねえから、お山の大将やってないと精神保てなかったんだろうな。そんでな、先日そいつ屋上から飛び降りてドムッて――」

「佐郷」

 

 言葉を被せて黙らせた。眼前の顔からすっと笑みが抜ける。


「何だよ。俺まだ話してる最中だぜ?」

「興味ないんだよ。人が聞いてもいないことをぺらぺら喋るな。それよりここに何しに来た? この校舎は君の居るべき場所じゃないぞ」


 佐郷が頭の後ろで両手を組む。


「固いこと言うなよー俺はお客様だぜ? もう少し歓迎の意を示してくれてもいいと思うんだがなぁ」

「よく俺の前でそれが言えたな。君が俺達に何をしたか、忘れたとは言わせないぞ」

「それはこっちの台詞だっつの。俺はてっきり、お前も請希高校を去ったと思ってたんだぜ? それがまさか、ネタキャラの地位を獲得してまで居座ってたとはなぁ。何だっけ、愛故に? 物は言いようだよなー。実際はやられたから俺にやり返しただけってのに、恋愛が絡むとどいつもこいつも話を美化しやがる。あーあ、世の中バカが多すぎて嫌になるぜ。高らかに叫びてーよ、こいつは人を赦せないだけのクソ雑魚でーす! ってな」

「そんなつまらないことを是正しに来たのか?」

 

 佐郷が肩を震わせる。

 失笑だった。


「まさかぁ。そんなクソつまんねーことするほど俺も暇じゃねえって。何つーか、あれだ。元生徒として? 通ってた学校の文化祭が気になっただけ」

「とぼけるなよ。君がそういう殊勝しゅしょうな奴じゃないことは分かってるんだ」


 俺はそっと右脚を引いて半身を下げ、手をポケットに近付ける。

 録音アプリはまだアンインストールしていない。会話を誘導して佐郷に目的を吐かせて、それをネタにして警備員に締め出してもらう。この状況を脱するにはそれしかない。


「録音したって無駄だぜ? 人に聞かれてまずいこと話すつもりねーから」


 俺は手を止める。かろうじて変な声を抑えた。

 憎たらしい顔がニヤッと笑む。


「ばれないと思ったか? いや、そもそもばれるばれないの話じゃねーよ。考えてもみろ、俺はお前の卑劣な録音でこうなったんだぜ? コスプレ喫茶で見かけてから、ずっとお前の手を警戒してたんだ。同じてつを踏む気はねーよ」


 佐郷が愉快気に身を震わせる。踊り場に哄笑こうしょうを響かせた。一般客の視線が俺達に殺到し、佐郷が自身の口元に両手を当てる。


「おっと目立っちまった。久々に請希高校の校舎に来たからテンション上がっちまった。でもお前も悪いからな? 時と場所を選ばずに敵意丸出しでくっから、俺もついイラッとしちまったんだよー」

「本当によく喋るな」

「駄目駄目、そういうのがよくないっつってんの。もっと穏やかにいこーぜおい。せっかくの文化祭、くだらないトラブルで台無しにしたくねーだろ?」


 俺は奥歯を噛み締める。地頭のいいこいつのことだ、全部分かっていてこの態度を取っているのだろう。


 祭の雰囲気を壊すのに暴力はいらない。それこそ一組の教室でやったように、偶然を装った嫌がらせをするだけで効果はてきめんだ。叩き出されるラインをわきまえて、あちこちで小細工をして回るのが目に見えている。

 佐郷が満足げにフンと鼻を鳴らす。


「話は変わるけどさー、お前コスプレ喫茶で奈霧にセクハラぶっこいてたよな。どうだった? 胸、柔らかかった?」

「その手はもう食わない。仲を裂こうとしても無駄だ」

「つれねえなぁ。男子高校生たるもの、もっとガツガツしてていいと思うがねぇ。んじゃ俺の金瀬は? 別のクラスでもさすがに名前くらい聞いたことあんだろ。おっぱい大きくなってた?」

「いい加減にしろ! 君は女性をそういう風にしか見れないのか⁉」

「そういう風にって、嫌ねぇ何考えてんの! 市ヶ谷君やーらしーっ!」


 わざとなのだろう、佐郷が大きな声を張り上げる。周囲でくすくす笑いが上がり、意図せず眉間にしわが寄る。


「ん、怒った?」

「怒ったじゃない、とっくに怒っているんだ」

「じゃあやれよ」


 金髪に飾られた顔から表情が消える。目に見えた挑発だ。俺は黙して時が過ぎるのを待つ。

 舌を打つ音が響いた。


「シケてやがんなぁ。お前クソつまんねーからそろそろ行くわ。あ、そういやお前のクラス、体育館使って演劇すんだってな」

「だったら何だ」

「そう怖い顔すんなって。楽しみにしてるってことを伝えたかっただけさぁ」


 佐郷が歩み寄り、俺の肩をポンと叩く。


「ま、そういうわけだから俺もに行くわ……お前も楽しみにしてろよな」


 耳元で凄まれて息を呑む。

 佐郷がほくそ笑んで下り階段に靴裏を乗せる。俺は一人踊り場に佇み、憎たらしいその背中が見えなくなるまでにらみ付けた。


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