第49話
ワレスは一人きりになってしまった。
おれはいつから夢を見ていたんだ? どうやったら、この夢からさめられるんだ?
立ちつくしていると、どこからか歌が聞こえてきた。とても美しい、泣きたくなるような切ない声。
(呼んでいる)
その歌声はワレスを呼んでいた。声の聞こえるほうへ歩いていく。ふいにおぼえのある地すべりの感覚が襲ってきた。つるんと蟻地獄の底を通り、気がつくと別の夢のなかに立っていた。
着飾った人々が花盛りの庭をそぞろ歩く。数多の宝石をきらめかせる貴婦人。すきのない豪奢な衣服の貴公子。礼式用の宝剣をさげた騎士。それらをとりまく詩人や芸術家。庭の一画には大理石のあずまやが築かれ、人気俳優がお芝居をしている。
あきらかに貴族の園遊会だ。それも、金がありあまってしかたのない貴族。
「ワレスさん。よかった。やっと会えた」
見たところ知った顔はないと思っていたが、背後から声がかかる。ふりかえると、銀糸の刺繍の衣装に、大粒のダイヤモンドの指輪や護符石の首飾り。真珠を縫いつけた飾り帯。すっかり貴族のいでたちのロンドだ。ワレスが知っているころより、だいぶ若いらしく、髪もまだ淡いプラチナブロンドだ。
(ふうん。毒を飲む前は、ほんとにブロンドだったのか。今じゃ白髪だが、嘘じゃなかったんだな)
じろじろ見ていると、
「あなたが司書の私を消してしまったからですよ。しかたがないので、もっと以前の私を登場させるよりなかった」
たしかに、表情はロンドというより、グレウスだ。
「さっきの歌は、じゃあ、おまえか?」
「セイレーンの歌声にこばめる人はいませんからね。あなたのほうから来てもらうには、もっとも効率的だった。ずいぶん探したんですよ」
「おれはいつから夢魔にあやつられていたんだ?」
「おぼえていないんですか? 二人であなたの夢のなかへ入って、夢魔の世界へ突入したのはいいけど、そこであなたを夢魔にさらわれてしまったんです」
「そうか。じゃあ、わりと最近まで、ちゃんと現実だったんだな」
夢魔をひっぱりだして封印するあたりから夢だったのだ。あのとき、夢魔の束縛から逃れ、覚醒したと思っていた。しかし、それじたいがワレスを油断させ、夢世界にとらえておく夢魔の罠だった。あまりにも現実的で最初は夢だと気づかなかった。もし、ワレスをひきとめようとして、ハシェドにあんなことをさせなければ、もっとうまくいっていた。ワレスの願望を利用したのだろうが、あれはいささか、やりすぎだった。
「では、ヤツの本体を探すのか?」
「とにかく、いったん、めざめましょう。あなたがここに囚われてから、現実世界ては三日が経過しています。あなたの体力がもちません」
「三日? そんなに? おれにはあれから半日しかたっていない気がするが」
「夢の世界には時間が存在しませんからね。あるのは時間の観念だけだ」
話す二人のまわりに、ときおり人がやってきては、あいさつをする。お招きありがとうございますとか、ご機嫌いかが、などと。
「華やかな夢だな」
「ここは厳密には夢ではありません。あなたを呼びこむために作ったイメージです。まあこのくらいのときなら、あなたに見られても恥ずかしくないですし。ほら、あそこにいるのが、私の妻と子どもたちです」
アトラーが結婚していると聞いたときより驚愕した。
「おまえ……結婚していたのか」
おとなしそうな少女と幼い双子がお芝居を見ている。
「したというか、むりやりさせられたというか……いいじゃありませんか。帰りましょうよ。過去を見ていてもつらくなるばかりだ」
ワレスも夢を見ることに疲れていた。幸福な夢もあったが……。
「じゃあ、翔びますから、しっかりつかまってください」
言いながら、ロンドは園遊会の人々を名残りおしげにながめた。とくに長らく見つめていた若い男は、ロンドの死んだ恋人だろうか?
ロンドにつかまると、体がかるくなった。夢の世界をのぼっていく浮遊感。
つらくて、でもどこか愛しい夢たちに、ワレスは別れを告げた。
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