悪魔

 穴に蹴り落とされたザミテスは先客がいることに驚き、それが自分の息子であることに気がつくと更に驚愕の声を上げた。


「てめえのバカ息子は俺がぶっ殺しておいてやったぜ。ついでに色ボケ女房も向こうで待ってるから今頃仲良くやってるだろうよ」

「貴様、一体何故、そこまで……」


 穴の中から上を見上げると、ティロがレリミアの上半身をザミテスに覗かせた。


「少なくとも、俺はリニアのほうは直接手を出してないぜ。奴が勝手に目の前で死んだだけだ。ノチアは前からよく『殺せるものなら殺してみろ』って言ってたからな、要望に応えてやった。アイツらは自業自得だ」

「だからと言って、リニアもノチアも関係ないだろう! 何を考えているんだ!?」


 混乱したザミテスは穴の上に向かって叫んだ。


「関係ない? てめえの胸に手を置いてよく考えてみろ……おっと、その手を折るのを忘れていたな。埋めることに気を取られすぎた」


 穴の上でティロが嘲笑った。穴に突き落とされそうになっているレリミアは何とかティロを止める方法がないかと必死で考えた。


「ねえ、お願いだからこれ以上酷いことをしないで……」

「先に酷いことをしてきたのはそっちだ。俺は奴らに左腕を折られた。代わりにお前の腕を折ってやろうか?」


 ティロがレリミアの左腕を掴んだ。レリミアは恐怖で叫びそうになる気持ちを抑えて、焦る頭でティロに話しかけた。


「腕を折られた、ってじゃあどうやって剣を持っていたの!?」

「もう16年も前の話だ、とっくに腕は治ってるよ。しばらく片腕になったのは辛かったし、今でも時々痛むことがある。それに、一度折られた痛みの記憶は永遠に消えるものじゃない。そんなこともわからない馬鹿娘とは、やっぱりあの男の子供なんだな」


 憎悪と殺意を隠さないティロの悪意に、レリミアは負けないよう言い返した。


「それじゃあ、そんなことで私たちはあなたに殺されなきゃいけないって言うの!?」

「そんなこと、だって!? そんなわけないだろう!」


 本当に折られるのではないかと言うほど、ティロは強くレリミアの左腕を握りしめた。


「だったら教えてよ! 一体父様はあなたに何をしたの!?」

「うるさい! それ以上騒ぐと、本当に腕を折るぞ」


 レリミアはティロが自分で何をされたかを語りたくないことに気がついた。今彼を揺さぶるにはそこを尋ねる以外、レリミアに出来ることがなかった。


「ねえ、あなたは一体他に何をされたの!?」


 ティロが答えることはなかった。その代わりにしばらく考え込んでからレリミアの腕から手を離し、後ろ手の戒めをナイフで切った。そして、レリミアの手に自身の持っていたナイフを握らせた。


「それは君の好きに使うといい。もちろん今から穴に降りていってそのゴミカスの息の根を止めてもいいし、これから一人で山を下りるために護身用として持っているのもいい。もし僕に使いたいって言うなら、先にそう言ってくれ。用事を全部済ませたら、約束通り大人しく殺されてやるよ」


 レリミアはナイフとティロと穴の中のザミテスをそれぞれ見つめた。


「君には全部話すと言ったね。この男に殺された僕がその後どうなったか想像できるかい? 土の下で生きていた僕がどんな思いで穴から這い出したと思う? そして自分を殺した男の下で言いなりにならなきゃいけない屈辱、君にわかるかい?」


 ティロの口調は穏やかであったが、その感情は怒りに満ちていた。


「君もたくさんクライオで経験しただろう? とんでもなく惨めで、辛くて、何度死のうと思ったかわからない。そんな思いを僕は16年抱えてきた。自分で死ぬこともできないで、感情を必死に殺して、誰にも気付かれないように、ずっと生きていた。言えるわけがないだろう、上司に昔殺されただなんて誰が信じるんだ。その上司に、姉を殺されて、頭下げて生きていかなきゃいけないなんて、しかも家族と仲良くしろだって? ふざけるな、誰が俺をこんな風にしたと思ってるんだ」


 レリミアは屋敷に通っていたティロを思い出した。そしてクライオに連れて行かれてティロから受けた屈辱的な日々も思い出した。その両方が未だに彼女の中で一致しなかった。


「姉さんは、15歳だった。今の君と同じ年だ。僕らは誰にも助けられず、埋められて無かったことにされた。今でも姉さんは埋まったままだ。そして僕も、まだうまく呼吸ができない。未だに土の下にいるんじゃないかって思うこともある。結局自分は自分で救うことしかできないんだ。さあ、どうする?」


 ティロはナイフを手に立ちすくむレリミアを前に、両手を広げて見せた。


「私、私は……」


 レリミアはナイフを迷わずティロに向けた。


「あんたの言うことなんか信じるわけないでしょ、この悪魔!」

「そうだレリミア、そんな奴の言うことを信じるな!」


 穴の中からザミテスの声が聞こえた。レリミアはティロに斬りかかったが、すぐにその腕はティロに掴まれた。


「それが、君の答えなんだね」

「そうよ、父様がそんなことするはずないじゃないの!」


 レリミアは何とかティロに傷を付けようとするが、ナイフを持つ手を捻り上げられてレリミアは小さく呻いた。


「なんで、なんでそんなに酷いことをするの!? どうして母様と兄様を殺して、父様も殺そうとしているの!? 私たちがあなたに何をしたって言うの!? 例え父様を殺したいとしても、私たちは関係ないでしょ!」

「さっき話しただろう、君の父親は僕の姉を殺したんだ」


 ティロの顔と声から一切の表情が消えていた。


「言いがかりはやめて!」

「言いがかり、言いがかりね……言いがかりで僕がわざわざこんなことまですると思うかい?」

「そんなの知らないわよ! だって、私、あなたのことなんてよく知らないもの! 調子に乗らないでよ、予備隊出身のキアン姓のくせに!」


 その言葉が出た瞬間、ティロの全身から殺意が溢れ出した。


「言っただろ、俺は死んだ人間だ。ティロ・キアンなんて奴は存在しない」


 ティロの声に一段と憎悪が滲み出たが、レリミアは後には退くことができなかった。


「そうよ、じゃあ誰なのよ、あんた一体何者なの!?」


 握られたレリミアの腕に一段と力が込められた。


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