入寮祭と、恋しぐれ:そのよん


  *


「この炎は対魔の火。退魔の刀を鍛える為の炎だ。魔だけを祓い、焼き尽くす──浄化の炎なんだ」


 ナユタが笑いながら空間を舐めるように炎を迸らせる。棒状に伸びた蒼白い火は飛び込んで来る瘴気の矢を焼き、焦がし、蒸発させてゆく。怨嗟の集合体である黒い瘴気の化け物が炎に怯えたじろぐ様が窺え、ナユタは更に一歩炎を近付ける。


 ボトリ、ボトリと火種が落ちる程の炎の量に、唸りながらも化け物は近付けない。飛ばされる瘴気の矢は彼らの集合体の一部であり、つまりは彼らは身体を削って攻撃を続けているのだ。じりじりと文字通り身が削られてゆく構図に、化け物は為す術無く炎に照らされている。


「どうしようかな、どうするのがいいのかな。流石に大きすぎて一撃では無理かな。ねえ、どうする? このままだとジリ貧だし、いっそ正面からやってみる? 僕もさ、まどろっこしいのは苦手なんだよ」


 ゴゥッと燃える炎の音に負けじと、笑顔のままでナユタが叫ぶ。その言葉を捉えたのか、返事は無かったが怪物はその姿を変え始めた。無作為に広がり撒き散らしていた不定型の瘴気が徐々に集まり始め、大きな影を形作ってゆく。


「ゴ、グ、グアアアアッ!」


「それが君の望む決闘の姿なんだね。いいよ、僕も全力で相手するよ」


 影が凝り咆哮を上げるそれは、立ち上がった巨大な熊の形を成していた。しかし噴き上げる瘴気の炎はたてがみの如く首回りを彩り、腕は太く長く巨大な丸太めきながら蛇らしき触手が纏わり付く。爪は刀のように伸び鋭さを増し、そして全身は甲冑じみた分厚い装甲に覆われていた。


 恐ろしい姿はまさに怪物で、核となっているであろう成瀬という寮生の面影は残されてはいない。彼はきっとこの兵器の中で嘆きながら黒い涙を流し続けているのだ、どうしてこんな姿になっているのか自身でも解らぬままに。


「成瀬君、僕が焼き尽くすから。汚い思いも罪も後悔も塗り固めた嘘も全部、焼き尽くしてあげるから」


 叫んでナユタはトリガーを強く握る。更に激しく噴き出す炎にコントロールを失わないよう、全身に力を込める。


 両者の距離は十メートル。まだ日没には早い筈だが空は暗く曇り、群青に染まる雲から落とされた影に林は鬱蒼と蒼い。そして蒼白い炎が周囲を照らし、この結界の中の小さな世界を蒼白と濃紺と黒のみで塗り潰す。


 幻想的とも呼べる光景の中、白銀の浄衣を纏うナユタの肌は一層白く、そして眼鏡は強く光を反射し輝いた。その唇の形は笑みに歪み、炎の生む熱風ではためく袖はきらきらと繊細な蝶もかくやと銀糸を煌めかせる。


 相対するあやかしの黒の色はより深く、全てを飲み込む純黒を更に凝り固まらせて己を鎧う。その姿は自らの心を護る盾であり矛であり、或いは自らをも飲み込むブラックホールめいてもいた。


 咆哮が再度高らかに上げられた。その声は空気を震わせ地面を響かせ、しかしナユタは怯む事は無い。白き術者は手の内から生み出した火焔の剣で空を薙ぎ、だん、とその足を大きく踏み締める。


「──高天原に神留まり坐す、アメノミカゲノミコトよ聞こし召せ。我、アラタの名を継ぎし者。アラタ・ナユタの名をもって、アメノミカゲのミコトよ、その神力を、その破魔の力を貸し与え給えと、かしこみかしこみもうもうす……ッ!」


 一瞬で空気が張り詰める。強い気が満ちる。ナユタの全身が淡く輝き、そして炎はより一層強く、そして美しく燃え上がる。


 ──『アメノミカゲノミコト』。ナユタが加護を受ける神、神力の源だ。ナユタの産まれた神社で代々祀られる鍜治の神で、アメノマヒトツノカミの別名とも言われている。


 ナユタは今、目の前の強大な敵を討ち倒すべく、その神力の片鱗をその身に宿したのだ。神気を帯びた瞳が輝きを秘め、正面から黒きあやかしを見据える。


 あやかしは一瞬その神気にあてられたじろいだものの、ぶるり身を震わせて怯えを断ち切った。負けじと黒い炎を湧き上がらせる。


「ガアアアアアアアッ!」


 雄叫びを上げ、怪物が動いた。地響きを立てて巨体が迫る。全てを飲み込まんとする漆黒を棚引かせ、振り上げられた巨大な腕が、刀のような長く鋭い爪が、ナユタを襲う。


 ナユタは力を込めて炎を振り上げた。漆黒の刀と炎の剣がぶつかり、音として認識出来ない震えが結界の中に響き渡り反響し、蒼の中に溶けてゆく。


 蒼白い炎は黒を溶かし、刀めいた爪が、太く長い腕が、伝う炎で燃え焦がされ徐々に消えてゆく。霧散してゆく右腕が痛むのか、怪物は強く唸りぶるり震えるとその巨体を仰け反らせた。


 ナユタは槍を突き立てるように炎を怪物の右肩目掛けて吹き付けた。半ばまで形を失っていた右腕が、肩から引き千切られるが如くぼたりと落ち、転がる上腕はそのまま燃えて霧散する。肩に燃え移った火に溶かされて怪物の身体は悶え、苦しみの咆哮を轟かせる。


「ウゴアアアアアッ!」


 怪物の瞳が怒りに紅く染まった。左腕が下から掬い上げるように伸ばされ、解けた触手が束となってナユタの狩衣の袖に絡み付いた。


 触手めいた蛇はその数を増し、一匹一匹が漆黒の炎となってその牙を白銀の袖に突き立てる。加護の力で直ぐに溶ける蛇は消えても尚次々と取りすがり、やがて増す数に祓いが追い付かず、ナユタの身体は黒い蛇達に覆われ始める。


「──っ、あ、ぐ……」


 浸食する痛みに呻き、ナユタは思わずトリガーを持つ手を緩めた。炎が弱まり、体勢が乱れる。怪物が、それを見過ごす筈は無かった。


「しまっ──」


 一気に伸びた蛇に絡まれ、ナユタの自由が奪われる。右の袖は巻き付いた蛇で締め上げられて黒く染まり、肩を越えて首や胴体にもその黒は浸食して行く。


 もはや右半身は殆ど動かせず、喉に絡みついたとぐろが苦しくて息が荒くなる。辛うじて神力の残り香が護ってくれてはいるものの、その効力が切れるのも時間の問題だ。


 宙に吊られ、爪先が地面から離れるにつれ呼吸がより苦しくなる。辛うじて左手で握ったままの火炎放射器はちろちろと頼りなく、そして怪物はナユタの身体に牙を突き立てるべくその顎を大きく開いた。


 瞬間、怪物の巨大な牙が、ナユタの左肩を貫いた。


 魂を傷付けられる純粋な痛みと、身体の内側から浸食されるおぞましさにナユタは唇を噛んだ。口の端から一筋流れる血の色だけが、この世界で鮮やかだった。


 食まれる度、締め上げられる度に、流れ込んでくる感情がナユタの心を灼く。それは嫉妬、寂しさ、怒り、悲しみ、羨望、渇き、憎悪、──そのどれもが特別ではなく、ゆえにナユタは笑った。やはり君も同じだったのかと、笑ったのだ。


「ねえ、成瀬君、聞こえるかい。ねえ、僕も君と同じだ。同じなんだよ。分かるかな。僕は別にリードなんて出来ていない。僕も君と同じ位置に立ってるだけなんだ」


 荒い息を零しながらもナユタは微笑み、噛み付くままの怪物を、抱き締めた。


「聞こえてないだろうから。──助けてあげるよ、燃やしてあげる。なあに、怖がる事は無いさ。僕も一緒だからね」


 そしてナユタはトリガーを引いた。


 巨大な火柱が上がる。怪物が絶叫した。燃える、灼ける、焦がされる身体。


 ナユタは離さない。火柱の中心で自らも燃え焼かれながら、怪物を抱いたまま彼は笑っていた。


 高らかに、笑っていた。


 *


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