第二六三話 シャルロッタ 一六歳 竜人 〇三

 ——深く息を吸い込み、そしてゆっくりと吐き出す……頭の中が少しだけ覚めたような気がする。


「……思ったよりも厄介な相手に成長してるわね」

 わたくしは深呼吸を行いつつ少しだけ冷静になった頭で対峙するリーヒを見つめる……自身ありげに笑っているけど先ほどからずっと体内で治癒魔法をぶん回しているのがわかる。

 まあそりゃそうだろうな……わたくしの魔力をのせた拳をまともに食らってダメージを受けないなんてことはない、おそらく想像を絶する痛みと戦いながらの戦闘だろう。

 いや、元は巨大な肉体を持つレッドドラゴンなんだから痛覚に相当する器官がそういった感覚を遮断することもできる可能性があるな。

 うまく魔力の色が読み取れない……炎の魔力ってのはわかるんだけど、最近激しい戦いが多くて疲れてるからなあ……じっとわたくしが彼女を見ていると、リーヒはクハッ! と笑ってから話しかけてきた。

「……ウハハッ! なんだ随分とじっとみて……さては我の強さに驚いてるな?」


「予想よりは上ね、でもその程度じゃ勝てるわけないわよ」


「自信ありげじゃのう?」


「お互い様でしょ」

 短いやり取りの間でも油断なくこちらとの距離を測っているリーヒ……何をする気だ? そもそもあの強力な竜の爪を使ったこじ開け程度でしかこちらの結界を破壊できない以上、どこかで同じ攻撃を繰り出してくるはずだが。

 手札を整理する必要があるか……リーヒの攻撃は口から吐き出す強力な炎の息ブレス、炎系の強力な攻撃魔法、治癒魔法、そしてあの爪と超高速移動を可能とする身体能力。

 炎の息ブレスはドラゴンなら当たり前に持つ能力であり、人間の肉体なんぞ瞬時に灰にするだけの威力がある……まあ防御結界の魔力を厚くすれば対処可能だ。

 炎系の強力な攻撃魔法はユルよりも高度なものを使用できるだろう……というのもわたくしはリヒコドラクの扱える魔法を聞いたことないし、知る気もなかった。

 だからまあわたくしほどではないだろうが、それなりに強力なものを使用できると想定する。


 治癒魔法はかなり強力だが、魔力の消費は大きくあまり多用しすぎるとリヒコドラクといえども魔力切れに陥る……だからある程度は生命力を犠牲にしてでも耐える方向に映るのではないだろうか?

 先ほどの一撃で内蔵の一部が損傷したのかもしれない……だから魔法を使わざるを得なかったと考えれば合点はいく。

 一番厄介なのは爪と目で追っては間に合わないほどの高速機動能力……だが、魔力を追っていればなんとかなるレベル、はっきりいって現状判明している手札だけで見たらわたくしに負ける要素は見当たらない。

 だが……わたくしの直感が告げている、リヒコドラクは何かをまだ隠し持っている、と。

「手札だけ見たらわたくしに勝てないでしょ? 降参したら?」


「何を馬鹿な……強者と戦い勝つのが面白いのではないか、手札を見た? お前の目は節穴じゃのう?」


「……そう」

 何か隠してるのは確実だな……随分と正直なドラゴンだことで。

 まあそういう嘘をつかずに真っ直ぐに物事にあたる性格は嫌いじゃないんだけどな……そもそもまさか立ち向かってくるなんて思わないじゃないか。

 正直いえばこんなことしてる暇はないのだ……彼らにはマカパイン王国の軍勢を引き連れて素直に国に戻ってもらわないと困る。

 だが、現実はそう素直に進まない……ああ厄介だ、厄介すぎてイライラする。

 わたくしの表情に不快の色が浮かんだのを感じたのか、リーヒが嬉しそうに笑みを浮かべるとわたくしに向かって指を突きつけて叫んだ。

「我が見たかったのはそういう表情よシャルロッタ……我の屈辱の何万分の一でも思い知らせなければ気が済まない」


「……ええ、怒ってるわよ? 思い通りにならないことばかりだからね」


「何を恵まれた貴族がよくもそんなセリフを」


「貴族だから恵まれてる? そんなの知りもしない人の戯言だわ」


「我は見たぞ、マカパイン王国に蔓延る蛆虫のような貴族の横暴と、それに虐げられる狂った光景をな」

 リーヒはそれまでの表情から変わってひどく冷静な顔でわたくしをじっと見つめる……マカパイン王国の貴族だけじゃないけど、この世界は圧倒的に貴族社会に属する人たちの権力が強い。

 インテリペリ辺境伯家も貴族としてはかなり高位に位置する家柄だし、民衆から見たら為政者、さらには支配者として雲の上の存在だということも理解はしている。

 学園で初めてできた同年代の友人……ターヤ・メイヘムからも一度言われたっけ……『シャルは平民のことを本当は理解していない』と。

 わたくしは軽くため息をつくと、軽く首を振ってから身構える、おしゃべりをしたいわけじゃない……あくまでもここは殴り合いでカタをつけるのだ。

「狂ってる? 当たり前でしょ……この世界はどこまでもおかしいわよ」


「ウハハハッ! いいぞ、感情が次第に滲み出ておる……お前もちゃんと人間じゃのう?」

 揺さぶる気だったのか? リーヒは嬉しそうに笑うと少し腰を落とした姿勢で身構える……まるで獰猛な野獣が今にも飛びかかろうと言わんばかりの姿勢だ。

 次の瞬間、わたくしたちはほぼ同時に地面を蹴って前に出る……お互いの右拳同士が空中で炸裂し、凄まじく重い打撃音が空気を震わせる。

 こちらは手加減をしている拳だがリーヒはかなり全力に近い攻撃だろう……それでも打ち合った拳はわたくしが無傷であるにも関わらず、彼女の拳は軽くひしゃげあらぬ方向へと指が向いて血が吹き出す。

 だが……リーヒの表情には笑みが浮かんだまま、なんてことはないかのように左拳を振り抜く……それに合わせるようにわたくしも左拳を突き出すが、同じように打撃音と共に彼女の拳が破壊される。

「……何考えてんだ……?!」


「う、ウハハハッ! 治癒魔法をかけるまでもないわッ!」

 リーヒは一瞬だけ顔を顰めたが、すぐに連続で拳を放ってくる……マジかよこいつ……! わたくしも合わせるように拳を突き出していくが、その度にリーヒの拳がグシャリと嫌な音を立て始めた。

 どういう戦法だ……!? わたくしが困惑気味に突き出す拳にも彼女の血液が付着し始める……次第に困惑と動揺で後ろに下がり始めたわたくしを見てリーヒはさらに凶暴な笑みを浮かべてから超至近距離で炎の息ブレスを放った。

 一瞬で視界が炎に包まれる……その炎は直接わたくしの肉体を焼き焦がすことなく、結界に阻まれるが……あまりに近い距離で放たれた炎に反射的に腕で顔を庇ってしまう。

 その瞬間リーヒの力強い叫び声が放たれると同時に、何かが空気を切り裂いてこちらへと飛んでくる音が聞こえた。

「……ティーチ! 我がパートナーよ……やれえっ!」




「……あわわ……これはもう人間が介入できるものでは……」

 ティーチ・ホロバイネン……マカパイン王国が誇る竜殺しは天幕の中に退避しながら、目の前で繰り広げられる銀色の戦乙女と竜人の戦闘を見つめていた。

 シャルロッタ・インテリペリに斥候としての任務中に出会ってしまったのが運の尽き……そう思ってここ数年はおとなしく仮初の英雄としての生活を享受してきた。

 自分自身が生まれた国を裏切っているという自責の念はあるものの、彼女は大した情報を求めるわけでもなく、王国で起きている出来事を定期的に送ればそれで満足してくれていた。

 さらに……彼の出世を助けるために、いやそれだけじゃないのだろうが、彼の補佐にとリーヒ・コルドラク……あの時二人へと襲いかかったレッドドラゴンをつけてきた。

『……いつかあの高慢ちきな令嬢に吠えづらかかせてやるわ』


『ダメだよ、いつどこで彼女が聞いてるかわからないじゃないか』


『聞いてるわけなかろう? 大丈夫じゃ』

 最初は色眼鏡で見ていたティーチだったが、側に仕えてくれたリーヒは良きパートナーであり、同じシャルロッタ被害者の会仲間としてお互いにシンパシーを感じていくようになった。

 相手がレッドドラゴン……本来は恐ろしい大空の支配者である魔獣であるにも関わらず、古くから生きているために物知りで、意外なほどお節介な一面を持ち合わせていることに好感を覚えるようになったのはいつからだろうか?

 その中で二人がよく話し合ったのは、もしシャルロッタと戦うことがあった場合にはどうすれば勝てるのだろうか? ということ。

『あれだけの戦闘狂が無傷ってのはおかしいよね』


『ああ……魔力の底がしれん……防御魔法を常に展開しているのかもな』


『人間業じゃないね……』

 リーヒの予想通り、シャルロッタは薄く防御魔法を展開し続けておりそれによって肉体へと干渉する攻撃を防いでいるのが分かった。

 この世界にも防御魔法は存在しており、魔法に対する防御に使用されるが魔力の消費が激しく常時展開などすれば数分で魔力切れを起こすような代物だ。

 だからこそ至近距離の攻撃に対しては詠唱が間に合わず、魔法使いが接近戦において戦士には立ち向かえないことの証左になるわけだが。

 だが……魔力で防御魔法を展開しているのであれば一つだけ対応策があった。

『……魔力消失を起こす秘薬か……』


『一瞬だがな、昔我を襲ってきた冒険者が使っておった』

 ティーチは短弓ショートボウにつがえた矢の先についている筒を見つめる……魔力消失の秘薬、これは以前「赤竜の息吹」も使っていた魔力を消失させる秘薬が入った筒。

 過去にあった戦争の産物であり、魔法使いを確実に殺すために開発された強力な兵器でもあるこの秘薬は、オズボーン王国で開発され、多くの魔法使いの命を奪ったことでも知られている。

 マカパイン王国にも輸入され、ティーチのように斥候部隊にいる兵士たちが安全に逃げるために使用する秘密兵器と言っても良い。

 ティーチは一度深呼吸をして気持ちを落ち着けると、戦い始めた二人に向かって狙いを定めると力強く矢を放った。


「……俺は一度でいいから強者に勝ちたい……! それがシャルロッタごしゅじん様を殺すことになっても……だから届けっ!」

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