第二五八話 シャルロッタ 一六歳 弑逆 〇八

 ——インテリペリ辺境伯領外縁部にある小さな国境沿いの村ゼレタは今炎に包まれていた。


「ヒャッハー! イングウェイ王国の人間は皆殺しだぜ! 犯せ! 殺せッ!」

 マカパイン王国突撃隊に所属するサイモン・レパードは、目の前で怯え動けなくなっている村人に斧を振るうと威嚇するように吠えた。

 血飛沫を上げながら倒れ伏す村人の死体を蹴り飛ばすと、トレードマークになっている見事なモヒカンヘアーを誇示するかのように頭を振る……この行動に何か意味があるのかどうかわからないが、それでも異様な風体の兵士が凶暴な笑みを浮かべながら迫る姿は狂気を感じさせる。

 サイモンのように他の兵士たちも男性には武器を振るい、女性を捕らえるとその場に押し倒して衣服を引きちぎると、悲鳴をあげる女性へと覆いかぶさる……マカパイン王国の兵士達がこのような蛮行に及んでいるのには両国が抱える歴史的な遺恨に端を発している。


「奪われた土地を取り戻せッ!」

 現在インテリペリ辺境伯家が治める領地には元々両国の緩衝地帯である魔物の生息地が広がっていたのだが、初代インテリペリ辺境伯が開拓を行い現在の基礎を作った。

 ただ、この行動はマカパイン王国には何一つ伝えられず、気がついたときには辺境伯領は大きく広がり、独自の発展を遂げていた。

 目の前の土地が豊かになっていくことを見て嫉妬を覚えないものなどいるだろうか? ましてやそれが国であれば尚更で、マカパイン王国はこの豊かな土地を自らのものとしたいと考えた。

 こうしてマカパイン王国はインテリペリ辺境伯領へと侵攻を開始するのだが……残念ながらインテリペリ辺境伯家は精強だった。


「ヒャッハー! 汚ねえ汚物は消毒してやるぜえッ!」

 一〇数回の侵攻は全てマカパイン王国軍の手痛い敗北で終わる……時には領都エスタデル近郊まで攻め寄せたこともあったが、結果的にそれはイングウェイ王国の猛反撃を受ける結果となり、先代バニー・マカパイン老王の時代を最後に王国はそれ以上の手出しを控えてきた。

 だが……トニー・シュラプネル・マカパイン三世の即位によりその方針は覆り、何度も斥候部隊を侵入させたマカパイン王国軍はついにインテリペリ辺境伯領の併合を目指し動き出したのだ。

 辺境伯軍が第一王子派との戦闘に掛かり切りになっている今こそ、辺境伯領を切り取るチャンスだと判断したのだ。

 ただ誰も理解していなかったが、そう国王が判断するきっかけになったのは何者かの入れ知恵があったということは想像に難くない。

 普段は静かで笑い声が絶えないはずのゼレタ村は今炎と悲鳴と、絶望だけが支配しているかのように思えた……村人達は必死に逃げ惑うが村を包囲したマカパイン王国軍は一人一人老若男女問わず、まるで家畜を屠殺するかのような執拗さで殺戮を繰りかえしていた。

「サイモン、この辺りはあらかた殺し終わったぜ」


「ああ、こっちもガキを殺してやったぜ、臓物はそこらに投げちまったよ」

 血まみれの顔でニヤニヤと笑うサイモンと共に、狂気に満ちた表情を浮かべる兵士たち……それは血に酔った男達の狂気が結実した瞬間でもあった。

 兵士の中にはそういった殺戮に参加せず、村人を捕らえるだけのものもいる……だがそれは少数に限られており、マカパイン王国軍兵士の大半が殺戮という美酒に酔っている。

 だが……一瞬だけだが季節外れの凄まじい突風が村の中を駆け抜け、彼らは思わず巻き上がった砂埃に咳き込んだ。

 なんだこの風は……例年この季節は辺境伯領に吹くような風ではなかったはずだ……その場にいた全員が咳き込んでいると砂を踏み締めるようなジャリ……と言う音が聞こえ、兵士たちはその音の方向へと視線を向けた。


「……女……?」

 そこに立っていたのは仕立ての良い衣服の上から銀色の胴当てキュイラスを着込んだ女性だった……銀色の長い髪が炎に照らされて赤黒く光っている。

 エメラルドグリーンの瞳にはそこ知れぬ怒りと、そして深く深くどこまでも深い深淵をたたえたような色が光っている。

 凄まじく整った顔には目の前で起きている殺戮に対する怒りが浮かんでいるが、それでもその美貌は人の目を惹きつけてやまない魅力を感じる。

 兵士たちはその奇妙な女性……身につけている衣装から貴族であることは理解したが、兵士の一人がイングウェイ王国の人間だと分かったのか、女性へと近づいていく。

「おい、てめえ……イングウェイの雌豚だな? いい体してんじゃねえかよ」


「……一つ聞きますけども」


「あ?」


因果応報インスタントカルマって知ってらっしゃる?」


「は? い、いんすと?」

 女性の肩に触れようとした兵士の腕を取ると彼女がそのままぐい、と軽く捻り上げただけでメキョメキョメキョッ! という鈍い音を立てて兵士の腕があらぬ方向へと捻じ曲がった。

 悲鳴をあげる間もなく兵士をまるでゴミでも投げ捨てるかのように片手で投げ捨てると、悶絶したままの兵士は崩れた瓦礫に叩きつけられて、グェッ! という悲鳴と共に動かなくなる。

 目の前に現れた女性が敵だ、と脳が理解するよりも早くその女性は前に出る……一瞬で目の前に現れた女性の拳が、切り落とした男性の首をこれみよがしに腰に下げていた兵士の腹部に撃ち込まれる。

 ズドンッ! という凄まじい音と共に兵士の体がくの字に曲がる……凄まじい衝撃が体内にあった空気を全て吐き出させたのか、悶絶した兵士はゆっくりと地面へと倒れる。

「て、敵だ……ッ! 殺せ!」


「敵だ、じゃねえーんだよ」


「ひ、ヒイイッ!」

 次の兵士が反応する間もなく拳が顔面に叩きつけられる……潰れた鼻から血液が吹き出すと共にその隣にいた兵士の腹部に女性の前蹴りが叩き込まれると、兵士はそのまま数メートル空中を飛んで元は住居だった壁に叩きつけられた。

 次の兵士が隙だらけに見える女性へと剣を振るうが、その攻撃を避けることもしなかった女性の体に刃先がぶつかると鋼鉄に衝突したかのようにガキャーン! という甲高い音があたりに響く。

 肉を切り裂くはずの剣が女性のわずか数ミリメートルの位置で微動だにしていないことがわかると、兵士たちの顔に恐怖の色が浮かぶ。

 事も無げに女性は手の甲で剣を払うと、その兵士の腹部に反応すら許さない速度の鉄拳を叩き込む……ドムッ! という鈍い音と共に兵士はその場で吐瀉物を撒き散らしながら意識を失って倒れた。

「……よくもまあ、こんなことをしてくれたわね」


「て、テメエ……何者だ!?」


「ああ、名乗ってなかったわね……わたくしシャルロッタ・インテリペリと申しますわ」

 シャルロッタと名乗った女性は見事な美しさのカーテシーを披露してみせた……これほどの美しい所作は平民などでは行えないであろう。

 兵士たちはその名前に聞き覚えがある……イングウェイ王国が誇る絶世の美女、辺境の翡翠姫アルキオネの異名を持つインテリペリ辺境伯家の令嬢シャルロッタ・インテリペリ。

 確かに目の前に立つ女性は銀色の髪、そしてエメラルドグリーンの瞳……見ただけで見惚れてしまうような美貌は噂に違わぬ美しさだった。

 震えながら兵士たちはどうするか必死に考える……逃げ出すか、戦うか……先ほどまでの動きを見るに、シャルロッタの戦闘能力は凄まじいレベルに達している。

 しかし……女だ……兵士たちの思考が戦闘モードへと切り替わる……彼らは一呼吸を置いて一斉にシャルロッタへと飛びかかった

「……やっちまえっ! 死体にしてからお前の※※※※ピー※※※※ポーを叩き込んでやるぜっ!」


「ま、お下品……殿方っていやねえ……」

 シャルロッタは少し嫌そうな顔をしてからその美しい指をパチン! と鳴らす……それだけだ、たったそれだけの行動で飛びかかったはずの兵士たちは物理の法則を完全に無視するかのように吹き飛ばされ、大きく宙を舞った。

 何が起こったかわからないまま、兵士たちは地面へと叩きつけられ悶絶する……輪に加わらなかったサイモンは斧を片手に持ったまま先ほど起きた光景を思い返していた。

 シャルロッタが指を鳴らしたと同時に、飛びかかった兵士に向かって見えない何かが飛んだのだ……彼にはそう見えた。

 魔力だろうか? 確か女神の司祭達が使う魔法の一つに衝撃波を飛ばして相手を気絶させる魔力の衝撃マインドブラストと呼ばれる魔法が存在しているが、それに似たものだろうか?

「ま、魔法を使うのか……格闘戦だけでなく……」


「何でも出来ますわよ? そうじゃなきゃ世界を救うなんてできないですからね」


「は? 世界を救う?」


「こっちの話ですわ……それと貴方、人を殺した罪悪感が全くない悪人ですわね?」

 エメラルドグリーンの瞳に凄まじい殺気が宿る……先ほどまでの兵士たちに向けられた視線とは違う、サイモンはその視線を受けて古い記憶を思い出した。

 彼が昔狩りをしていたときに似たような視線を向けられたことがある……こちらを全力で殺しにかかる魔獣の目、それは確か狂乱したグリフィンだったが必死の死闘と仲間の手助けによって窮地を脱したのだが、そのグリフィンの目はサイモンを殺すためだけに凄まじい殺気を放っていた。

 本気の殺意……しかも生物としての格が違う存在に向けられる憎悪の視線に気絶しそうなくらいの絶望を感じつつも鍛えられた兵士としての本能が、彼の体を動かし武器を振り上げて一歩だけ前にでた。

「う、うおおおおおっ!」


「……遅いわ」

 武器を振り下ろす間もなくシャルロッタの拳が目の前に迫る。

 その拳を見つめつつサイモンの目にはある一つの事実が浮かび上がる……「死」……この拳を避けなければ絶対的な死が待っていることは明白だ。

 抗えぬ死……彼の脳裏に凄まじい勢いで過去の記憶が呼び起こされる……それは人間が死の間際に見ると言われる走馬灯のようなものだろうか?

 記憶が次々と遡っていく、初めて人を殺した時の恐怖、厳しい訓練を乗り越えるために一緒に頑張った古い友人、友人の死……初めて愛した女性の顔。

 そして最も古い記憶、懐かしい優しい笑顔を思い出したサイモンはその人に向かって言葉を発すると同時に、視界が一気に漆黒に染まる……意識が、心が、何も考えられなくなる自分の黒い視界の中で必死に記憶の中の優しい笑顔へと手を伸ばしながらサイモンは意識を手放していった。


「……母ちゃん……俺……国のために戦っていたはずなのに……どこで間違え……」

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