(幕間) 少女 〇三

 ——薄暗くジメジメした洞窟のそこには複数の人影があった。


「おまえ、なんであのめすころした! たべれないのころすいけない」

 辿々しい大陸共通語で言い争いをしている複数の人影……だがその姿はまるで人とはかけ離れた姿をした怪物である。

 背中には蝙蝠のような羽が生えており、所々に穴が空いている見窄らしいものであり、暗褐色の肌はカサカサとした乾いた色をしている。

 毛の類は生えておらずギョロリとした金色の瞳は猫科の猛獣にも似た色を帯びている……つるりとした頭には二本の角のように見える突起が瘤のように生えていて、口元には鋭い歯が伸びていた。

 その怪物は混沌の眷属でありながら最下級の階位として知られる妖魔族に属するグレムリンが、その洞窟の中で言い争いをしている。

「ひめいあげそうになった! ころさないとばれる、よくない!」


「ころすともっとやっかい! どうする!」

 三体のグレムリン達は口々にお互いを罵り合っている……ユルは慎重に気配を隠しながらその様子を眺めているが、確かに彼らの足跡があそこに残っていたように、怪物達の足はまるで蜥蜴のような形状をしているのがそこからでもわかるが、ただ不思議だ……とユルは考えていた。

 グレムリンは元々非常に臆病な生物としても知られ、姿を見られないように密やかに行動することを好んでいる。

 都市部まで出てくることは珍しいが、ない訳ではないとはいえ人を積極的に襲うような勇気は持ち合わせていないはずだ。

 すると親玉がいるな……とユルは考えてそのまま様子を伺うことにする……他に敵対するものがいたとしたら今グレムリンを襲うことは相手に逃走の時間を与えてしまうことになるからだ。

「おかしらにそうだんしろ!」


「おかしらもどってきてない! どこいく!」


「……五月蝿いねえ、アンタ達の声が洞窟中に響いているよ」

 いきなりその場に凄まじい魔力が一瞬膨れ上がったかと思うと、空間を割って一人の女性が姿を表す……ツンとした混沌の薬物の匂いが一気に広がりユルは思わず悲鳴をあげそうになるがなんとか口を前足で押さえる。

 そこに現れたのは透き通るような白い肌をもつ美しい女性……歳の頃は妙齢であり、ユルからすると判別が難しいがおそらくシャルロッタの母親であるラーナと同程度の女性のように見えた。

 黒髪は腰のあたりまで伸ばされ、こまめに手入れされているのか洞窟の中に生えているヒカリゴケの淡い光に照らされて輝くような艶が美しい。

 不気味なのはその美しさは右半分だけであり、残りの半身は肉が醜く削げ落ちた白骨が露出している姿……通常の人間がその状態で生きているわけがない、明らかにその姿は不死者アンデッドのそれである。

「ったく……薬をキメて気持ちよく寝てる時になんなんだ、何があった」


「おかしら! こいつひところした! ころすないわれてたのに」


「……あ? どこで殺したんだ? 誰を」


「うらろじ……したいかたずけるじかんない、なにかきてた」

 不死者アンデッドの女性は白骨化した左手を顎にやると少し考え込むような仕草を見せる……榛色の淡い瞳は両目とも存在しているが、眼窩の露出した左側でギョロギョロと動く瞳が不気味に感じる。

 そしてその女性は何かに気がついたかのようにハッとした表情を浮かべると、ユルが潜伏している方向へとその瞳を向ける。

 ユルは探るような瞳の動きから、気配を消しているはずの自分の位置がすでに把握され始めていると感じ、隠れ続けることを諦め、影の中から姿を現した。

「……これはこれは……幻獣ガルムがお出ましたぁ……」


「貴女達は何者ですか? エスタデルに相応しくない存在に思えますが」

 唸り声を上げながら姿を現したユルの姿に心底驚いたのだろう、グレムリン達は飛び上がるような仕草を見せ、怯えた表情を浮かべながらその女性の背後へと隠れてしまう。

 不死者アンデッドの女性は半分だけ残った美しい唇をニヤリと歪める……彼女の着用しているローブは仕立ての良い白い神官服であり、その姿だけでも高位の不死者アンデッドであることは明白であった。

「ああ、名乗らずにすまないね……アタシはサビーネ、見てわかる通り不死の王ノーライフキングさ」


「我はこの地を治めるインテリペリ辺境伯が令嬢シャルロッタ様と契約する……ユルだ」

 不死の王ノーライフキング……オズボーン王と同じく超高位不死者アンデッドか、とユルは内心困惑する。

 このレベルの存在がほいほい都市部に出てきているというのは正直いえば恐ろしい話なのだ……そして目の前のサビーネと名乗る不死の王ノーライフキングはオズボーン王ほどの脅威ではないように感じるが、それでも戦闘ともなれば凄まじい能力を発揮するに違いない。

 ユルの名乗りを聞いてサビーネはふぅん? と感心したように微笑を浮かべる……値踏みをされている、とユルは感じた。

 明らかにこちらの能力を指し測っているかのような視線にユルは少し不快感を覚えて唸りを上げた。

「……エスタデル近郊にこのような混沌の眷属、そして不死者アンデッドがいるなど思わなかったが、それでも我が契約者の名の下に忠告する、命が惜しければ去れ」


「クハハハッ! そりゃ出来ないねえ、前金で色々貰っちまってんのさ」


「……下衆が、端金で存在を抹消されるのを良しとするか?」


「さあ? アンタのご主人様が来るならいざ知らず、ガルムごときに命令される筋合いなんかないね」

 サビーネの漆黒の魔力が膨れ上がる……生と死ライフアンドデスを極めた不死の王ノーライフキングの魔力は暗く冷たい風となって吹き荒れる。

 ユルはその身に込める魔力を解放し、その身から炎の嵐を巻き起こすとその炎は周囲の壁を明るく照らしていくが、それを見たグレムリン達は悲鳴をあげた。

 サビーネの魔力とユルの放つ魔力が衝突し、ちょうど中間地点でせめぎ合う……シャルロッタとの契約によりユルの魔力は底上げされていて、以前よりもはるかに強大になっている。

「……それでも同じくらいか……さすが不死の王ノーライフキング……だが! 火球ファイアーボールッ!」


「ケハハッ! 稲妻ライトニングボルトッ!」

 ユルの口から吐き出された火球ファイアーボールと、サビーネの指先から放たれた稲妻ライトニングボルトが空中で衝突すると、轟音と共に爆発を起こして四散する。

 サビーネが放った稲妻ライトニングボルトは指先から放つ高圧電流で相手の肉体を焼き焦がす危険極まりない魔法の一つだ。

 シャルロッタは好みではないようでほとんど使ったことがないが、インテリペリ辺境伯家に属している魔法使いの一人が使用しているところを見せてくれたことがあり、ユルは先ほどの放たれた稲妻ライトニングボルトが熟練の魔法使いを遥かに凌駕したものであることに内心驚きを隠せない。

「……やるじゃん、ガルムがそこまで強いとか反則でしょ」


「こちらの魔法に合わせて初速の速い攻撃を……」

 ユルは無詠唱で火球ファイアーボールを放ったが、それを見てから稲妻ライトニングボルトを選択していることからサビーネの反応と思考速度は尋常のものではない。

 彼女の背後に隠れていたグレムリン達は悲鳴をあげてそのまま逃走を始める……まずい、とユルはそちらに狙いを定めて再び魔法の準備に入る。

 だが……一瞬気が逸れたことに気がついたサビーネは、ほぼ無音でユルとの間合いを詰めると白骨化した左手に恐ろしいまでの魔力を込めてほぼ零距離で魔法を撃ち放った。

「どこ見てんのさ! 魔力の衝撃マインドブラスト!」


「キャインッ!」

 ユルの肉体に凄まじい衝撃が加わる……不可視の衝撃波が巨体を大きく跳ね飛ばすと、洞窟の壁に叩きつけられた彼は悲鳴をあげて地面へとうずくまる。

 ケタケタと笑いながら逃げ出していくグレムリン達を見たサビーネは、ゆっくりと地面へとうずくまるユルの元へと音もなく歩いていく。

 本来不死の王ノーライフキングなどの不死者アンデッドは肉体に血が通っていないこともあって動きは緩慢になる、というのが定説だ。

 だが……先ほどの動きはユルを持ってしても反応が遅れたくらいの高速移動だった……痛みを堪えながらゆっくりと立ち上がる彼を見て、サビーネはニヤリと笑う。

「ほぉ? 随分と頑張るねえ……」


「……混沌の眷属に膝を屈するわけにはいかない……」


「そーかい、なら死ぬしかないねえ?」

 サビーネは歪んだ笑みを浮かべつつ手中に凄まじい魔力を集中させていく……ユルはそれを見ながらも己の中に眠る炎の魔力を集中させていった。

 シャルロッタという契約者を得たことにより、ユルはその魔力の増加だけでなく、新しい能力をいくつも手に入れている。

 勝つにはこれしか……ユルはその口内に凄まじい紅の魔力を集中させていくと、それを見たサビーネの表情がギョッとしたものに変わった。

 キュイイイイイン! という甲高い音を立てて魔力が集約するとともに洞窟内を真紅に染めていく。

「……まだ使ったことはなかったが仕方ない」


「ちょ……おま……こんな場所でそんな魔力を使ったら……や、止め……!」


「恨むなよ?! 紅の爆光クリムゾンノートッ!」

 ユルの口から放たれた超高温の爆炎が洞窟内にいた全ての存在を一瞬にして焼き尽くす……本来開けた場所で放つ紅の爆光クリムゾンノートは広範囲に広がっていくが、洞窟内の入り組んだ地形はその拡散を阻み、壁や地面に沿ってあらゆる場所を焼き尽くし、消滅させていく。

 逃げ出していたグレムリンも、驚愕した表情を浮かべていたサビーネすら、数千度の業火により一瞬で灰となり、消滅させられていった。

 莫大な魔力を放ったユルは遠くなる意識の中で、それまで隠されていた自分自身の中にあるいくつもの力に驚きつつも、満足感を得て眠りについていく……契約者であるシャルロッタの笑顔を思い浮かべながら。




 ——とある衛兵の話によると、エスタデル近郊にある新区画の中心にあった枯れ井戸から突如爆炎が吹き出したという。

 炎は井戸の中に残っていた全てを焼き尽くし、わずかに残っていた水を蒸発させるという事故を巻き起こした。

 井戸から吹き上がった炎は何軒かの家屋に飛び火し、大きな火事となったが衛兵隊や住民達の必死の消化活動中に降った突然の豪雨により延焼を免れたという。

 そして……豪雨の最中、インテリペリ辺境伯家のシェフの記録によると、その日用意されていたガルム用のおやつが半分に減らされたという記録だけが残されている。

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