白い蛾《が》が残したもの
※ 作中に、昆虫や
* * *
秋の終わり頃、マンションの駐輪場の壁に大きな白い
私がいつも自転車を止める位置から見て、右の少し斜め上。二台分隣の自転車の前あたりだ。
私の手のひらをちょうど二つ合わせたような、巨大な蛾だった。種類までは分からない。
ただ、大きすぎて気持ち悪いと思った。
蝶は、平気だ。けれど、蛾は怖い。
同じ容姿なのに、何がそんなに違うのかと思うが、生理的に怖いのだから仕方ない。
私は、朝の通勤前にジャケットの襟を寒さで立てたまま身震いした。
そして、それが私に気が付いて飛びかかってこないことを祈りつつ、そっと自転車を動かし逃げるように会社へ向かった。
その日の夕方。晩秋は、日暮れが早く帰宅時には駐輪場は真っ暗だった。パチッと照明をつけると、壁にはまだ蛾がいた。
それは、朝から微動だにした様子はない。
壁の飾りか、あるいは縫い留められたようにオフホワイトの壁の一部のように存在していた。
(どこかに飛んで行ってくれていたらよかったのに……)
そう思いながら、一瞥して自転車を停めた。
けれど、何日経ってもその真っ白な大きな白い蛾は、駐輪場の壁に居座り続けた。
たぶん、マンションの駐輪場はトンネル状になっているため、雨風をしのげるよい場所なのだろう。
蛾は、越冬するのだろうか?
蝶は、種類によっては越冬するものがあると聞くが、ここはなんだかんだ言って東北の隅だ。それなりに雪が降る。
ゴキブリすらあまり見かけることはない。
そう、ゴキブリすら越冬は難しい土地だと言える。
蛾が越冬するのは不可能だろう。
かといって、毎朝毎朝、巨大な蛾を見て憂鬱な気持ちで一日をスタートするのは気分が良くない。
(管理人さんに言って、排除してもらおうかな……?)
しかし、言うのはためらわれた。
うちのマンションの管理人さんは、私の母と同じ年齢ほどの細身のおばあさんだった。何度か話したことがあるが、手芸と花が好きな上品な女性だ。
毎日、玄関や階段を掃き掃除して綺麗にしてくれている。
そのついでに、蛾の退治を頼んでもいいものだろうか?
屈強な男の人やゴキブリもスリッパで叩き潰すようなおじさんならお願いしただろう。
どう考えても蛾の始末など娘ほどの私の方がやらなければいけないことのように思えて、頼むことは出来なかった。
*
けれど、私はその蛾を追い払うことも殺すこともできなかった。
傍観するより他なかった。
いつも履いているスニーカーを脱いで、壁をバンと叩いて、ずるっとするだけですべて終わると分かっている。分かっているが、その単純で明白で、数秒で終わる行為がどうしてもできなかった。
その手ごたえを想像して抵抗があったのもある。
ただ、それだけでもなかった。
虫が怖いのだ。
子供の頃は、虫が怖いと思ったことはなかった。
小学校の庭園の石をひっくり返してコオロギを捕まえてどれが一番飛ぶかを競ったり、土手でショウリョウバッタを捕まえては変な汁を吐くのを見てもケラケラしてた。
トンボも麦わら帽子にくっつけたり、クヌギの木を蹴ってクワガタを獲った。子供の頃の私にとっては、カブトムシよりもミヤマクワガタが一番カッコいい昆虫だった。
自由研究もセミの抜け殻を集めて、食品トレイに虫ピンで提出したこともある。
まったくもって、昆虫に対する抵抗感はなかったのに、どこを境に昆虫嫌いになってしまったのか自分でも覚えてはいない。
なにかラインがあったとするなら、『女児』から『少女』になったタイミングなのかもしれない。
男子に紛れて外遊びをしていたのが、気がつけば女子とつるみ少女漫画をたしなみ、手芸やお菓子作りをするようになった。
それまでとうって変わって、女子の中の女子というような模範的な少女になったのは、恋をしたわけでも何でもない。女子という集団の中にいるための協調性だとも言えるし、単に少女漫画や小説の世界に傾倒しただけとも言える。
同時に、昆虫はおもちゃではないと成長と共に理解したのだろう。
それまでも、命を悪戯にうばったことはなかったが、昆虫は脆く儚い。
捕まえたときに不可抗力で足がもげたり、狭い場所に一か所に入れると虫同士で傷つけあって命を失うこともある。
経験的にそれが分かると、自分がやっていることの重大さを理解する。
私が遊びでやっていたことが、昆虫の命を奪う行為になる。そういうことが分かってしまうと、もう同じことは出来なくなる。
そう、自分の力加減ひとつで奪える命があるという事実自体が怖いのだ。
そして、それに近づきたくないがゆえに嫌悪の対象としてしまう。私は、たぶんそうやって虫嫌いになってしまった。
*
白い蛾を見つけて一週間以上経過した。
12月のはじめに、初雪が降った。
気がつけば、蛾はどこにもいなかった。
死体すら見かけなかった。
木枯らしに吹かれて、どこかに飛ばされてしまったのかもしれない。
けれど、白い大きな蛾がいた壁に枯れ葉のような茶色いものが付着していた。
たぶん、あの蛾の卵なのだろう。
(これこそ、今度こそ仕留めないと春になったなら毛虫がわらわらと出て来て、えらいことになるのではないか?)
私は、最悪のことを想定し片方のスニーカーに手をかけた。
けれど、あの蛾が残したものだと思うと自分では手を下すことができなかった。
今度こそ管理人さんに言おう。大きな蛾よりはまだましだ。
(まだましなのに、どうして私がやらないのか?)
やはり自分は卑怯者のような気がした。
そうして、その冬もずっとその壁の枯れ葉状の卵を見守ることになった。
自分で始末もできず、管理人さんにも言えず。ただ、どうなるか見ているだけでいると、罪悪感や無力感にさいなまれる。
そうして一カ月もすると、今度はその気持ちは憤りに変わった。
(どうして、私がこんなに心を痛めないといけないのか? 他にもっと、この仕事をなさなければいけないひとがいるのではないか?)
蛾の卵は、私の自転車の目の前の壁にあるわけではない。
2台ほど、隣のマウンテンバイクの目の前にあるのだ。
どうみても、男物のデザインの自転車だ。
白い蛾がいたときでさえ、その自転車は同じ場所にあった。
別に、サドルにほこりがたまっているわけでもない。
放置自転車ではない。乗っている証拠だ。
だとしたら、私のようにその人はすべてを見ていたはずだ。
蛾やその卵を退治する責任は私よりその自転車の主の方にあるのではないか?
そうして私は、蛾の卵の処分をマウンテンバイクの主に責任転嫁した。
これだけ考えても、できないことがこの先にもできる気がしなかったからだ。
つまり、蛾の卵を処理することをあきらめた瞬間だった。
*
深い雪が降った日もあったが、だんだんと寒さは緩んできた。
にもかかわらず蛾の卵は、同じ場所にあり続けた。
変化があった。
わずかだが、枯れ葉だった卵が膨らんできたのだ。
私は、それに気づいてしまい背筋がザワザワした。
本能的に、まずいと感じたからだ。
春はもうすぐおとずれる。そうすれば、これは孵化するだろう。
そこには、何があらわれるのか?
怖い。どう考えても怖い。
でも、もう4カ月も見守ってしまった。
(……見たい)
そう、何が出て来るのか見てみたい気もした。
自分にそんなグロテスクな願望があるのかと、空恐ろしい気持ちにもなったが費やした時間の結果を求めるのは、人間ならではの欲望なのかもしれない。
私は怖い気持ち8割、見たい気持ち2割くらいを抱えたまま春を迎えた。
*
今年の桜は、例年に比べて2週間も早く開花した。
一週間前まで雪が降ってたと言うのに、 ポンと開花の音が聞こえるかのように、桜は次々に咲き始めた。
通勤路の桜が満開になり、気持ちよく通勤していたが、ある朝私は悲鳴を上げた。
いや、金切り声を上げられるような女子力はなく、実際には「ひっ!」と息をのむ声なき声だった。
盛大な悲鳴は心の中だけにとどまった。
例の蛾の卵が孵化したのだ。
枯れ葉のようだった卵は、無数のゴマのようなぶつぶつで覆われていた。
本能的な嫌悪感で私の肌も泡立つ。
こういうのは、集合体恐怖症というのだろうか? それともこの百もいそうな蛾の幼虫がすべて毛虫に成長したらと想像してなのかはわからない。
ただただ、もう怖くてその場を逃げだすしかなかった。
仕事をして帰宅すると、駐輪場の黒いぶつぶつは、壁をわずかに這い扇状にひろがりつつあった。
(誰か、本当に誰かつぶすか殺虫剤をまいてください!!)
私は、この期に及んでまだ他人任せだった。
もう、こうなっては手の施しようがない。
そして、さすがに白い壁に黒いものなら私以外にも気が付くはずだと思った。
その期待は何度裏切られたことだろう。
今回も例外ではなかった。
翌日、黒い点はさらに広がった。
日の当たる方へ向かい進んでいるようにも見える。
私は、自分の自転車にその蛾の幼虫がついていないことを確認し、出勤するのが日課となった。
日に日に、黒い点は駐輪場の壁に広がった。
しかし、それは拡散したことで目立たなくなり、やがて私の目に映らなくなった。
蛾の幼虫は、温かい植え込みにでも逃げおおせたのだろう。
駐輪場から姿を消した。
完敗だった。
私には、何もできなかった。
私は、一匹の白い蛾に勝てなかった。
その卵にも、幼虫にも勝てなかった。
この四カ月、怖いとも気持ち悪いとも、嫌悪も感じた。
何も対処できなかったことを情けなくも感じ、無力感も感じた。
誰も、助けてくれないことに誰も退治してくれないことにいら立ちも感じた。
たがが、一匹の蛾がいただけなのに感情を振り回された。
私は、跡形もなく消えた白い蛾にも、その幼虫たちにも感嘆を禁じ得なかった。
私は、昆虫は儚くて
そうではない。したたかで強いのだ。
私の力でどうこうできる存在ではなかった。
今朝、何もなくなった駐輪場の壁を見ながら思う。
私は、虫よりも弱い。情けないほど弱い。
けれど、弱い弱いと思っていた虫は本当は強かった。
大人になってなお、蛾に気付きを与えられるとは思わなかったが、悪い気はしなかった。
桜が散り、新緑が芽生え始めた。
願わくば、この若芽を食べて蛾の幼虫が成長して戻って来ませんように……。
お わ り
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(短編エッセイの再収録です)
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