第24話 医療ギルド告発事件

 医療ギルドの幹部には月に一度、提携する薬屋を視察する業務がある。

 薬師の資格を発行しているのが医療ギルドであるという性質上、薬師たちを統括すると同時に、薬の均一な品質管理も医療ギルドの役割だった。そういうこともあって、医療ギルド第七支部ゴドー・ロウウェルは今日、帝都新鋭の薬屋の視察を行っていた。


 エトワール薬店は帝都で新鋭の商会で、医療ギルドに多額の寄付をし、貴族たちと繋がりがあるという有力商会だ。医療ギルドとしても、今後まだまだ伸びしろのあるエトワール薬店とはぜひとも仲良くしておきたかった。エトワール薬店の商会長であるフェルディナンド・エトワールは豪華な応接室にゴドーを迎えた。


「ようこそロウウェル殿! 今日はどうぞよろしくお願いいたします」

「えぇ、こちらこそ」


 四十代を過ぎた頃だろうか。口元に髭が生えたフェルディナンドは新鋭の商会長らしくグレーの瞳に野心の炎を燃やしていて、中間管理職で何事もなく仕事を終えたいゴドーとしては、少々暑苦しいところがあった。


「いかがですか、我が商会の品数はなかなかのものでしょう? 探索者専門に取り扱っているだけあって、切り傷、擦過傷、火傷から凍傷、胃薬から魔獣用の毒薬まで、さまざまなものを取り揃えております。この数は中々帝都ではお目に掛かれないのではないでしょうか」

「そうですな。確かに」


 暑苦しいほどの日差しが窓から差し込み、ゴドーは額をハンカチで拭う。

 フェルディナンドはそんなこちらの様子にも気付かず、机に重い袋を置いた。

 じゃらり、と金属と金属が掠れる音がする。


「本日はお疲れでしょう。こちら、お気持ちですが」

「いやいや、そういうわけには」

「何の何の! ゴドー殿には今後もお世話になるのですからな。ほんの気持ちですよ」

「……そういうことなら」


 要は金をやるから便宜を図ってくれという打診だ。

 医療ギルドに卸す薬の量を増やしたり、薬屋を紹介する時に優先的に紹介状を書いたりする。そうすることで薬屋は売り上げを伸ばし、医療ギルドは便利に使える商会を増やせる。


(仕方ない。私は中間管理職だからな。いつも上の無茶ばかり聞いてるんだ、これくらい許されて当然だ)


 今日はエトワール薬店が販売している薬が販売基準を満たしているかの確認と、不当な価格競争が行われていないかをチェックし、半刻ほど店を視察したらギルドに帰還し、報告書を作るだけの楽な作業だ。日々上層部と現場の間にもまれるゴドーとしては、ギルドから離れられてラッキーな休息日でもある。


「それではどうぞ、こちらへ。ゆっくりとご覧ください」

「えぇ、拝見させていただきます」


 エトワール薬店は平屋の建物で、入り口と出口が東西に分けられている。

 ダンジョンへ行く探索者が西からやってきて東から出て行く、動線がしっかりとした店だった。


 入り口が一つしかない薬店では客を待たせてる間に探索者同士の依頼の争奪戦が負けたりすることがあるらしいので、これは探索者たちにとってありがたい仕組みだろう。


「探索者専門に絞って売っているのも良い効果が出ているようですな」

「えぇ、ありがたいことです」


 西から来た客が棚から薬を取って買っていくところを見る。

 時刻は一の鐘を過ぎたばかりだが、新鋭の商会ということだけあり、なかなかの客入りだった。ゴトーが眺めていると、後ろからやってきた部下が書類を手渡して耳打ちする。


(……不合格です。いかがされますか?)


 手渡された書類に描かれているのは薬の分析結果だ。

 明らかに通常よりも薬効が低くなるように設定されている。

 この分だと見かけは効いているように見えるが、数日後に傷口が開くだろう。


(不純物……いや、水を入れてかさまししてるのか)


「ゴトー殿、いかがされました?」


 エトワール会長が人のいい顔で口元を緩める。

 便宜を図れと、先ほどアレはこういうことだ。

 金貨の重みを確かめたゴトーは書類に『合格』のサインをして部下に返した。


「何の問題もない。このまま進めたまえ」

「……ですが、これは違法で」

「まぁまぁ、いいじゃないか。君も職を失いたくはないだろう?」

「…………」


 従わなければクビにするぞ、と脅すと、部下は何か言いたげに引き下がった。

 あぁ、これでいい。

 自分は中間管理職。上層部の目の届かないところでくらい、好き放題にやりたい。


「いやいや、あなたも悪い人ですな、エトワール会長」

「はて、何のことですかな?」


 ふふふ。ははは。とゴドーは会長と笑みを交わした。

 さて、今回の仕事はもう終わったことだし、そろそろ帰ろう。

 探索者たちが動き出す時間とあって、店も大賑わいだ、邪魔になってはいけない。ゴドーが暇を告げようと口を開いたその時だった。


「……行こうぜ。な」

「いや、でもよ……」


 店の前に並ぶ、見るかに低級冒険者とといった装備の者達の声が聞こえた。

 ボロボロの革鎧、錆の入った剣を持つ男たちが何やら話し合っている。

 それだけならゴドーも気に留めなかったのだが……。


「だから、ラピス薬店のほうが絶対いいって!」


 その言葉が聞こえてきた為、ゴドーはその場にとどまった。


(ラピス薬店……ツァーリ公爵令嬢の店か!)


 彼女が乗り込んできた時のことは今でも思い出せる。

 現代薬学の母、シルヴィア・ツァーリの薫陶を受けた愛娘。


 ラピスの出した論文は現代薬学の水準を大きく引き上げた。

 アヴァロン帝国のみならず、これまでの薬学では外的治療……つまりは起こった病気に対してのみ作用する薬しか作れなかったのだが、彼女と彼女の母が共同で発表した研究は、外的治療のみならず、内的治療にまで薬が作用するというもの。つまり病人の体機能を活性化させ、病人そのものを減らすというものだった。


(あんな薬屋が世に出たら医療ギルドの売り上げは大きく下がる。だから上層部は強硬に認可を下ろさなかった)


 だからこそあの時、ゴドーは違法であることを強調して止めたのだが……。


「ラピス薬店って……最近噂は聞くけどさぁ。高いんだろ? 値段が倍くらい違うじゃん」

「いや、そうなんだけどよ。費用対効果が高いのは間違いなくあっちだよ。確かにエトワールの薬は安いけどさ……その分、全然治りが悪いんだよ。後でぶり返したり、気分悪くなるし……あっちはちょっと高いけど、気分は良くなるわ、身体から力が湧いてきて、なんか元気になるっつーか? とにかく買うならあっちだよ。俺、あっちに通い始めてから等級上がったもん」

「マジかよ。まぁ確かにここの薬は不味いよなぁ」


 熱心な信者が友人を説得し始め、それは行列に並ぶ他の客にまで伝染を始める。

 まずい、とゴドーが思った時にはもはや手遅れだった。


「薬なんてどこも同じだって思ってたけど、違うのか」

「でも、あそこって毒薬を売ってるって噂の闇医者でしょ? 大丈夫なのかしら」

「ギルドの認可も受けてないらしいな」

(そ、そうだ。ギルドの認可を受けていないんだぞ!)


 ゴドーは今にも飛び出して止めてやりたい気分だった。

 ことは、エトワール薬店だけの話ではない。

 あちらの薬が広まってしまえば、医療ギルドの権威は失墜してしまう。


(もっと言ってやれ。認可を受けていない違法薬物など買うなと!)


 だがゴドーの期待とは裏腹に、探索者は鼻で嗤った。


「馬鹿お前、ギルドが俺らを守ってくれたことがあったかよ?」

「それは……」


 行列に並ぶみんなが顔を見合わせた。


「ないな」

「ないない。むしろ貧乏人は人扱いしないまである」

「怪我してどうぞって感じだよな。病気や怪我は、そのまま医療ギルドの収入に繋がるわけだしさ。その分、あっちの店主は人情味がある。口は悪いし、怖いけど」

「そうそう口は悪いけど、それが癖になるっつーかさ」

「おっかない番犬もいるしな。手が出せないところがまたいいって言うか」

「なんだかんだで世話焼いてくれんだよな。優しさが分かりずれーけど」


 一度転がりだした世論はそうして決定する。


「次の方、どうぞ!」


 入り口で客を整理していた店員の言葉に、続く探索者は居なかった。

 白けた顔でエトワール薬店を見た探索者たちは次々と顔を見合わせて頷き合う。


「あっち行くか」

「だな。行くべ行くべ」

「え」


 一瞬だった。探索者たちは潮が引くように散っていった。

 行列が出来ていた店は今、人っ子一人いなくなった。


「は……?」


 エトワール会長は何が起こったのか分からない様子。

 

「な、なぜ……」

(不味いな)


 恐れていた事態が起こった、とゴドーはほぞを噛む。

 ラピス・ツァーリの薬学技術は群を抜いている。

 だからこそ医療ギルドは彼女の店が流行らないように噂を流し続けていた。


 しかし、彼女はいかなる方法か、冒険者たちの心を掴み、ライバル店から客を奪い取って見せた。こちらの薬が劣化品に見えても仕方ない現状、彼女に対抗するのは難しい。


「どうなっている! なぜうちの薬が売れないんだ!」

「それが、どうやらラピス薬店が客を盗っているみたいで……」

「ラピスぅ……? あぁ、ロマの馬鹿が取り込み損ねた令嬢か! くそ、こんなことならもっと好条件で契約して、奴の薬が毒であると証明しておけば……」


 店内が騒然とし始めたその時だった。


「──全員、そこを動くな!」

「!?」


 甲冑をつけた騎士たちが、強引に店内に踏み込んできた。

 騎士の数は五人、そのうち一人は黒髪赤目だ。

 伝説のツァーリの遺伝子を持つ男が剣を抜き、周囲を睥睨する。


「な、なんだ貴様らは!」

「王都騎士団だ。この店には故意に薬の薬効成分を薄めて売っていると、内部から通報があった」

「……私です。私が通報しました」

「は?」


 名乗り出たのはゴドーの部下である男だった。

 先ほど「違法です」と進言した男は哀れむようにゴドーを見る。


「私たちはギルド職員である前に薬師です。これ以上、あなた方の暴虐は見過ごせません。以前からこの店のことは聞いていたので、騎士団に情報を流しました」

「貴様……!」

「大人しくしろ。内部告発者に暴力を加えた場合、禁固二十年は免れないぞ」

「ぐ……」


 ゴドーが黙ると、エトワール会長は焦ったように言った。


「ご、誤解だ! 聞いてくれ。うちはそんな」

「黙れ。この店には違法薬物を取り扱った疑いもかけられている」

「……っ、デタラメを」

「イッサヒルの花……と言えばわかるか?」


 エトワールの反応は劇的だった。

 見る見るうちに顔を蒼褪めさせ、滂沱の冷や汗を流しながら彼は俯く。


「そ、それは」

(イッサヒルの花……確か危険植物に指定されていたあの……)


 ゴドーは慌てて見の保身を図ろうとしたが、


「待て、待ってくれ! そこまでは私も知らない!」

「そこまで? なら、薬の濃度を薄めていたことは知っていたということか?」

「そ、それは……」


 墓穴を掘り、黒髪赤目の騎士に睨まれて黙り込む。

 曇天の下、煌めく赤き眼光は伝説にたがわぬツァーリの威光だ。


「エトワール商会会長ならびに従業員、そして医療ギルド第七地区支部長ゴドー・ロウウェル。貴様を薬品取り扱い法違反で逮捕する」


 公爵家後継者の言葉に、誰も逆らうことなど出来なかった。





 護送車の扉を閉めたテオドールはそっと息をつく。

 以前から部下が調べていた案件がまさか妹絡みになるとは。

 芋づる式に逮捕者が出てくるから忙しすぎて笑えない。


「今回は貸しにしとくぞ、ラピス……まぁお前に助けられたところもあるんだけどさ」


 人知れず呟き、南西の方向を見る。

 住宅街がひしめくその向こうに、彼の妹がいるはずだった。


(……一回、会っとくか。顔も見たいし)


 そう思ったが、


「隊長! 出発しますよ!」

「……分かった。今行く」


 部下に呼びかけられ、テオドールは視線を外し、踵を返した。


(ま、いいか。元気だろうし。それにしても……あいつ、薬屋を始めてからどれだけの悪党を告発すれば気が済むんだ……俺が関わっていることに気付いてるだろうに……あーやっぱ一言言いに行くんだった。今度会ったら頬をつねってやる)


 そんなことを思いながら、地竜を走らせるのだった。


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