第9話 天才令嬢のダメダメな食事
「買って来たぞ」
「ご苦労さま」
夕食を買って来たジャックが帰って来た。
私は読んでいた本を閉じて顔を上げる。
「これだけでよかったのか」
「えぇ、十分よ」
私が買いに行かせたのはライ麦パン、干し肉と牛乳、バターだ。
公爵家に居た時は自分が買い物に行くなんて考えたこともなかったけど、独り立ちしたらこういうのも自分でやらないといけないから面倒だなと思う。早くお金を稼いでキーラを呼ばないと。自分一人で家事も料理もするなんてぞっとしない話だわ。私、フラスコより重いものは持てないし。
「じゃ、二階まで運んでくれるかしら。ご飯にしましょう」
ジャックが意外そうに眉根を上げた。
「俺にもあるのか」
「住み込みなんだから当たり前じゃない。私、ペットには手厚くするタイプなの」
「……嬉しくて涙が出るぜ」
「ソファは汚さないでよね」
二階は完全に私のプライベートスペースだ。
本当は男を入れるのは嫌なんだけど、台所は二階にしかない。
「上がっていいわよ。光栄に思いなさい」
「邪魔する……ぞ」
ジャックが愕然と立ち尽くした。
いつまでも入ってこない下僕に私は怪訝に振り向く。
「何よ。さっさと入りなさい」
「いや、お前これ」
何、何なの。意味が分からなくて部屋の中を見回してみるけど、おかしなところは見当たらない。そりゃあ、ちょっとは昨日着た服や下着が干してあったり、読みかけの本は置きっぱなしにしてあったり、治験用の薬瓶は置いてあるけど……
「別に普通の部屋でしょ」
「いや汚部屋じゃねぇか!!」
「どこが?」
「全部だよこの馬鹿が!」
カチンと来た。
「……お前、今私に馬鹿って言った?」
「馬鹿に決まってんだろ馬鹿! 掃除も出来ねぇのかテメェは!」
「出来るわけないでしょ。全部キーラにやってもらってたもの」
「自慢げに胸を張るなこのお嬢様が!!」
「何よ。お前も公爵令息でしょ」
「俺は家事くらい出来る。おい、ここ片付けるぞ」
ジャックは私が返事をする前に動き出した。まぁ掃除が面倒くさいのは確かだったし、やってくれると言うなら任せよう。私だって出来ないことの一つや二つはあるのよ。ものの数分で散かっていたリビングは綺麗になった。ピカピカのリビングを見て思わず感動してしまう。
「へぇ……お前、意外とやるじゃない」
掃除が出来るって言葉は嘘じゃなかったのね。
目つきが悪くて人でも殺してそうな目をしてるのに意外すぎる。
「まだまだ拭き掃除が足りねぇが……後は明日やるか……」
「十分よ。ご褒美に干し肉を増やしてあげるわ。食事にしましょう」
ライ麦パンに、干し肉、牛乳、これが今晩の夕食である。
私が席に着くと、ジャックはまたしても固まった。
パンを食べようとしていた私は怪訝にジャックを見上げた。
「何、食べないの?」
「これが今晩の夕食か?」
「そうだけど……あ、忘れてた」
あれがなきゃやってられないわよね。よしと。
薬棚から一本の瓶を取り出し、きゅぽっと栓を抜いて二杯のコップに注いだ。
琥珀色の液体は私が調合したスペシャル栄養剤だ。
「お前にも分けてあげるわ。感謝しなさい」
「感謝しなさい……じゃねぇ────────!」
遠吠えをするような大声が響いた。
「これは食事じゃねぇだろ! ただの補給だ! んなこと続けてたら身体が馬鹿になんぞ、あぁ!?」
はぁあああああああああ?
「また馬鹿って言ったわね! いつまで
「いーや愚弄する! 愚弄するぜ!」
ジャックは机に手を突いて私の鼻先に指を突きつけてくる。
「掃除も料理も満足に出来ない奴をどうやって主人だと敬えってんだ! 平民でももっとマシに出来るわ! むしろ平民のほうが出来るわ! お嬢様育ちも大概にしろってんだ!」
「出来ないことは無理に改善せずにお金で解決する。それがツァーリの流儀よ!」
「正論だからタチが悪ぃんだよなぁ!」
「何よ。じゃあお前は出来るっての?」
「出来る」
へぇ、そこまで断言するならやってもらおうじゃない。
私が挑戦的にジャックを見上げると、こいつは腕まくりをして台所へ向かった。
そしてくるりと振り向き、何かを探すように視線を彷徨わせる。
「おい、エプロンどこだ」
「そんなものないわよ。料理する気なんてなかったし」
「おま……っ」
大体、エプロンがなくても汚さずに料理すればいいじゃない。
いちいち料理の時につけるのって非合理的なのよ。
調合の時はちゃんとつけるけど、アレは肌に触れたら危ない原液を使う時だし。
「もういい。ちょっと待ってろ」
「ちょっとってどのくらいよ」
「五分」
「計ってるから五分以内に終わらせなさい」
「へぇへぇ」
暇だからジャックの行動を観察する。きゃんきゃんうるさいワンコはまず牛乳をバッドに注ぎ、砂糖を入れた。均等に切ったバケットを牛乳に付け込んでいく。その手付きが意外と慣れていたから驚いた。この男、口だけじゃなく本当に料理が出来るらしい。またもや意外だわ。本当にどんな生活をしてきたのかしら。
ジャックはもう一つの鍋に牛乳を入れた。
そこに干し肉を投入し、塩と胡椒を入れ、パンの切れ端を投入する。
こういった調味料はお母様が生きていた頃だから、少なくとも十年以上前のものだけど……まぁ大丈夫でしょ。たぶん、きっと。おそらく。
ふわぁ……とバターの良い香りが鼻腔に届いた。
(お)
ちょっと食欲が刺激される。
食事は栄養剤で済ませようとした私だけど、自分で作るのが面倒くさいだけで食欲はある。
それこそ公爵家に来た頃は料理人の料理に毎日舌鼓を打っていたわけだし。
「出来たぞ」
かたり、とジャックが大皿とカップを持ってきた。
大皿にはさっき牛乳に漬けていたパンを焼いたもの。
二人分のカップの中に乳白色のスープがなみなみと揺れている。
「簡単だが、さっきのアレよりマシだろ」
「ふぅん。見た目はそこそこね」
私がじっと見ていると、ジャックが舌打ちした。
「何してる。熱いうちに食いやがれ」
「お前こそ何してるの。小皿に取り分けてよ」
「……ったく。このお嬢様が」
言えば素直にやってくれるあたり、聞き訳は良いらしい。
なかなか優秀なワンコである。きゃんきゃんうるさいのが難点だけど。
フォークでパンを抑えてから、私はキャラメル色に焼けたパンを口に入れた。
じゅわり。
「ん……!」
牛乳をたっぷり染み込ませたパンが口の中でほぐれた。
耳の硬いところはパリっと焼かれていて、甘さもちょうどいい。悔しいけどこれ、かなり美味しいかも。
「オイ、感想言えや。どうなんだ。お?」
スープに口をつける。牛乳と塩胡椒、あとは干し肉しか入っていないけど、干し肉が含んでいる栄養が牛乳に溶け込んでいるのが分かる。単に牛乳の味だけじゃなくて、干し肉の香ばしさも加わっているというか。甘くてしょっぱい。野性的な味で美味しい。総じて言えば──
「及第点ね。屋敷の料理人のほうが美味しいわ」
「当たり前ぇだろうが! これっぽっちの素材しかねぇんだぞ!」
「でも、こっちのほうが温かいわね」
そう言えば公爵家に居た時は薬の研究やあら何やらで忙しかったから、出来立ての料理をそのまま味わうということはなかったかもしれない。それに、何か知らないけど胸のあたりがポカポカするような、そんな不思議な感じはある。これ、なんだかったかしら。
「……そうだ。お母様と初めて作った薬の味に似てる」
「褒められてんのかよ」
「最上級の褒め言葉よ」
「……そうかよ」
ジャックは満更でもなさそうに食事を始める。
その仕草がやっぱり上品で、この男も公爵令息なんだなと思い出す。
不良じみた外見の癖に口うるさくて料理が上手くて掃除も出来て……本当、どんな生活をしてきたのやら。
気にはなるけど、そこまで踏み込むほど深い仲でもない。
フォークを進めながらちらりとジャックのほうを見て──
(……意外と拾い物だったかしら)
と、そんなことを思うのだった。
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