第2話 決別宣言

 

「やりすぎだ、ラピス」


 帝都の公爵家に帰って報告すると、お父様は言った。

 余計な使用人を排した執務室には私とお兄様とお父様しか居ない。

 グラスの氷がカランと落ちる音が響いた。


「一万歩譲って逃げ出すまでは良しとする。が、なぜ毒煙を蒔いて来たんだ。王家に攻撃を加えたら毒殺が冤罪だと分かっても不敬罪で処罰は免れんぞ」

「先に攻撃を仕掛けてきたのはあちらよ」


 紅茶の味が疲れた体に染み渡る。

 カップをソーサラーに置いた私は悪びれずに胸を張る。


「あのまま私が拘束されていたら牢屋にぶち込まれて毒殺されていたわ」

「いやラピス、さすがに王子もそこまでは……」


 眉目秀麗、長身のお兄様が口を挟んできた。


「甘いわね。角砂糖を十個ぶちこんだ砂糖水よりも甘いわよ、お兄様。甘いのはお顔だけにしてくれないかしら」


 ……まだ何も分かっていないって顔をしてるわね。


「いい? これは王家からツァーリに対する宣戦布告なの。あいつらは王家と同等の力を持つツァーリが鬱陶しいのよ! だから愚かなルアンまで取り込んで下らない茶番劇を演じたんだわ」

「お前は陛下もグルだというのか?」

「さぁ。そこまでは知らないけど、息子の暴走を止められなかった時点で同罪ね」

「お前な……」


 何よ。ポンコツと言わなかっただけ有難く思ってほしいわ。

 ルアンのことで気にしているであろうお父様に気を遣っても意味ないのよ。

 お兄様を一蹴して、私は「ふん」とそっぽ向いた。


「じゃあどうすればよかったの? 教えてくださいな」

「そこはまず誤解させたことを謝り、頭を下げつつだな……」

「私は何も悪いことをしてないのに、どうしてなんで頭を下げないといけないの?」

「それが世の中というものだ、ラピス」


 見計らったようにお父様が割り込んでムカッとした。

 まるで他人事みたいだわ。


「もっと上手く生きろ。ラピス。今の世の中、お前のような者は生きにくい」


 はぁ──……と特大のため息を吐かれた。

 いや、ため息を吐きたいのはこっちよ! どうして私の味方をしないわけ?

 なんだか余計にムカついてきたわ。

 私、間違ったこと言ってる? 言ってないわよね?


「私を陥れた奴らにへこへこ頭を下げてうまくやり過ごせって言うの?」

「ラピス」

「ツァーリの女は悪に屈しない! お母様なら──」

「シルヴィアの話はするな」


 有無を言わせないドスの効いた声に、思わず黙ってしまう。

 私は一呼吸置いてから口を開いた。


「ねぇ、もう気付いてるんでしょ。お父様、お母様の神秘病は──」

「世の中、まっすぐなだけでは守れないものもある。分かれ、ラピス」

「分かんないわよ! そんな意味のない規範より私を守れば!?」

「いい加減にしろ! いつまで聞き分けのない子供でいるつもりだ!」


 はぁあぁあああああああああああ?


「いい加減にするのはそっちでしょ! 娘が冤罪にかけられて何も思わないわけ!? 建国戦争で一万の軍勢を破ったツァーリの誇りはどこへやったの! 私と一緒にあいつらをぶちのめすくらい言いなさいよ、意気地なし! そんなだからルアンがお馬鹿に育ったんでしょう! 人に子供だなんだと言えるの!?」

「おい、ラピス。父上に対してお前な──」

「もういい!」


 机がひび割れるくらい強く叩いて立ち上がったお父様。

 お兄様はビクってしてたけど、私は負けじと睨み返す。

 ふん。そんな元気あるなら王子をぶちのめすくらい簡単に出来るでしょうに。


「ラピス。お前は勘当とする」

「……え?」


 私が何か言うより先にお兄様が顔色を変えた。


「父上! それはあまりにも──」


 ギロ、とお父様の人睨みで黙り込むお兄様。

 ……頼りないわねぇ。

 私を守るならちゃんと守ってほしいわ。


「今回の件、もはや我らでは庇いきれん」

「ふん。誤魔化さないで。庇う気がないの間違いでしょ」


 王家と同等の力を持つツァーリ公爵家が本気を出せば私が毒煙を蒔いたことくらいどうとでもなるはずだ。そりゃあちょっと手間かもしれないけど、元はと言えばラディンあの馬鹿が私を冤罪にかけたんだし、むしろ借りを作れるはず。それをしないのは……


「お父様、私のこと嫌いだものね」

「……あぁ、そうだ。お前の顔など見たくもない」


 お母様と顔が似ている私はお父様にとって見たくない傷そのものだ。

 私を見るたびにお母様のことを思い出して辛いんだろう。


 もう五年になるのに、まだ引きずってる、女々しいったらありゃしない。

 食事のたびに目を逸らされる私の身にもなって欲しいわ。


「修道院かしら。それとも田舎に隠居?」

「好きなところに行けばいい。お前はもう他人なのだから」

「あっそ。じゃあそうするわ」


 もう用は済んだ。二度と会うことはないかもしれない。

 とりあえず荷物をまとめなきゃ。こんな家、もううんざり!


「お、おい。ラピス、本気か!? 父上……あぁもう、この頑固親子が!」


 お兄様が喚きながら後を追いかけて来た。


「おいラピス。考え直せ。馬鹿な真似はやめろ」

「誰が馬鹿よ。お兄様のほうこそ筋肉より頭を鍛えたほうがいいんじゃなくて」

「誰が脳筋だ! お前は昔っから悪態ばかり上手くなって……!」


 お兄様は頭をがしがしと掻きむしった。そんなに掻いてたら剥げると思う。


「なぁ、ラピス。俺は騎士団の見習い時代に野外実習をしたから分かるんだが……ツァーリ家の外は悪意に満ちてる。温室育ちのお前がいきなり外に放り出されて生きていけるようなところじゃない。悪いことは言わないから考え直せ。一緒に父上に謝ってやるから、な?」

「謝ってどうなるの? 私が間違いでした守ってくださいって? もしお兄様の言う通りにしたとしても、待っているのは公爵家に都合のいい家との縁組みよ。私はツァーリの血を残すための道具子宮に成り下がるのはごめんだわ」


 私は今まではツァーリ家のために尽くしてきた。

 国王の腰痛を治したのも私だし、お母様と共同研究でいくつもの論文を発表した。現代薬学の母と言われるお母様の薫陶を受け、さまざまな薬を研究・開発してきたのだ。


 けど、もはや勘当された身。


 お父様の言う通りに王子と婚約した時点で恩は返したはずだ。

 これからは私の人生である。私の人生は私が決める。


「言っとくけど、援助も要らないから。出て行くときに竜車は借りるけど」

「……言っても聞かないやつだな、こりゃ」


 あら、ようやく分かってくれたの。

 十七年間も私の兄をやっている癖に理解が遅すぎるわね。


「あのな、ラピス。父上も俺もお前を愛して──」

「本当に愛してるなら王子のところに殴り込むくらいの気概は見せてほしいわ」

「……それが出来ないから父上も俺も困ってるんだ」

「意気地なし。そんなことも出来ない癖に愛を語らないで」


 愛だなんだのと語るならそれなりの行動を示してほしい。

 ほんと、口だけなら何とでも言えるもの。


 ラディンが病気になる前、何度私に愛を囁いたと思う?

 目覚めた途端にあの態度よ。口先だけで語る愛に意味なんてないわ。


「じゃあね、お兄様。ルアンの馬鹿をよろしく」

「お前の暴走に振り回されなくなるのは寂しいよ」

「私は別に寂しくないわ」


 私のつれない態度に、お兄様は困ったように肩を竦めた。



 ◆◇◆◇




「お嬢様、本当に出て行かれるのですか?」

「えぇ。あなたにも世話になったわね、キーラ」


 手早く荷物をまとめて馬車に積み込む。

 帝都のツァーリ公爵邸。真夜中の玄関である。

 私を見送りに来たのは側近侍女のキーラだけだ。まぁ真夜中だしね。


「何もこんなに急いで出発しなくても……」

「いつあいつらが来るか分からないもの。早ければ早いほうがいいわ」


 私だって出来ればゆっくり寝たいわよ。


「……わたしも付いていけたら」

「愚かね。給料も払えない元公爵令嬢に尽くすいわれはないわよ」

「ですが」

「じゃ、最後の頼みだけど。これの通りにしてくれる?」


 私はあらかじめしたためた手紙を渡した。

 手紙を読んだキーラは目を剥いて私を見る。


「お嬢様。これ本当に?」

「あくまで保険よ。ま、用心するに越したことはないでしょ」

「……かしこまりました」

「じゃあね。落ち着いたら連絡するわ」


 もちろん、キーラ個人に義理を立てるためで、公爵家に戻るつもりはない。

 ようやく公爵家の責務とやらから解放されたのだ。

 婚約破棄、大いに結構。

 元から王太子妃なんて堅苦しい仕事、私には似合わないと思っていたのよ。


 私は私の人生を思う存分生きる。


 ラピス・ツァーリの人生はここから始まるのよ!


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