第8話 定食屋のラーメンに突っ込まれた指は出汁だから

 食堂にて、私は見知らぬ獣人に絡まれていた。


「だからさあ。喚びビトなら番になるの俺でも良くね?」

「いや、その……」


 目の前には恐らく犬系の獣人。黒いジャーマンシェパードを思わせる獣人だ。


 隅の方の席について食事を待っていたのだったが、突然声をかけられたのだ。目の前の席に堂々と座り込んで話しかけてきたと思ったら、自分の番にならないか? との話が始まってしまった。


 間に合っています。と拒否をしたものの、別に来たばかりなのだから心はまだ相手の獣人、ヒューノバーには向いて居ないだろう? との言葉にそうだが、と答え、なら自分でも構わないだろう。との話に至った。


「あの、でも、き、決まりなんですよね? 伝統制度みたいな……喚びビトがバディの獣人と夫婦になるのって……」

「俺心理潜航捜査班じゃあないけど、一応スフィアダイバーの素質あるしさあ。ねえ駄目?」

「わ、私が決められることではありませんので……なんとも」


 スフィアダイバー、恐らく心理潜航捜査官の別称だろう。この男が私にこだわる意味は恐らく名声が欲しいから。そんな相手と結ばれるとかたまったものではない。


 まだ気持ちを向けてくれていると思われるヒューノバーの方がましだ。


「お気持ちには応えられないです。申し訳ないですが」

「なんでだよ。あんな間抜けな虎よか俺の方がしっかりしてるっつうの」


 抜けているのは周知の事実らしい。ヒューノバー、あいつ、どんな行いをしたら間抜け虎とそしられるのだろうか。


 以前ヒューノバーと話し合った時に聞いたが、ヒューノバーは心理潜航捜査官としてはまだ新人らしく、今回私が喚ばれることになり、養成学校から警務局の心理潜航捜査班に配属が決まったそうだ。


 私を喚ぶのに数年準備期間もあり、配属され二年と聞いていたが、下働き中に何か問題でも起こしたのだろうか。


「あの本当にすんません。私はヒューノバー以外とは結婚とかする気は全く無いです」

「あんなののどこがいいんだか」


 ふう、と悩ましげに肘をついて顔に手を当てている目の前の犬獣人に、どうやって追い払うべきなのかと悩んでしまう。周りからもなんだか視線を感じる。身を小さくしていると、ちょっとあなた、と女性の声が聞こえた。


「あなたが喚びビトの番になれることは一生ないわ。あなた、養成学校でドベだったんでしょ? 配属先も違えばコネ入局の癖に思い上がりも甚だしいわね」

「ミスティさん……」


 声の主はミスティだった。片手に食事のトレイを持っている。そこ退いて欲しいのだけれど。と犬獣人を指差した。


「誰だよおまえ」

「グリエル総督の秘書官ですが? 告げ口されて居づらくなりたくないならさっさと退きなさいよ。喚びビトの監督義務は総督にあるのだから、問題が起これば直通で行くでしょうねえ?」

「ちっ」


 がた、と荒々しく席を立つと、犬獣人は去っていった。やれやれ、と口にしながら目の前の席にミスティが座った。


「あの、ありがとうございます」

「ここに居る限り、ああ言う輩は少なくないのだから、そういう時は指輪を見せなさい」

「指輪のこと、ご存知なんですか」

「ヒューノバーが浮かれて居たわよ。指輪贈って受け取ってもらえたって」

「この指輪って拒否権あったんですか? なんか捜査官の証だから着けていろって言われたんですけど」

「あなた口車に乗せられてるって自覚ないの? よっぽど平和な時代から喚ばれたのね」

「口車に乗せられていたのか……私」


 ミスティの話では、別に指輪で無くても良かったらしい。……この指輪、チェーンでも通して首にかけて服の中に隠そうかな。


「なんかバディの習いみたいな感じでヒューノバー語っていたんですけど、夫婦多いらしいと聞いたので、まあ違和感は無いかと納得したんですけど、不承不承に」

「指に嵌めた指輪、いちいち見せつけて欲しいんでしょうね。あいつ結構独占欲強いわね」

「知りたくなかったなあ」


 食事が出来たことを知らせられ一旦席を離れて食事を受け取り元の席へと戻った。今日の食事はなぜか存在していた味噌ラーメンだ。


 ミスティは既に食べ始めており、席についてからミスティに話を振る。


「ミスティさん、ヒューノバーと同期って言ってましたけれど、もしかして心理潜航捜査官の養成学校に行っていたんですか?」

「そうよ。でも私、バディ作れなかったから」

「……信頼関係、ですか」

「一応仮のバディを養成学校では組ませられるの。普通ならそのバディと卒業後も続けていくの。けどね」

「はい」

「あいつ、浮気しやがったのよ! で、心が離れて信頼関係以前の問題になった訳。それで腹が立ったし、無理矢理バディにスフィアダイブして中のあいつぶん殴って、道は断たれたって訳」

「うわあ……」

「才能あると学費もタダ。学べることは学べたし、心理潜航捜査官にこだわる理由もなかった。だから秘書官の応募見て応募したら受かった感じ」


 スフィアダイブ中に暴力働くのは犯罪にはならないのだろうか。と聞くと、一週間の停学処分は食らったが養成学校的にはどっちもどっちと言う結論に至ったらしく、これと言って社会的制裁は無かったらしい。


 しかし心理世界で相手側からの攻撃が一切無く、一方的に心理世界で暴力を振るうのはやはりよろしくは無いらしく、実地の捜査でやったなら解雇もあり得るそうだ。


 一応正当防衛としては抵抗する場合はありらしいが、心理世界で潜航対象者は本能剥き出しで襲ってくることもあるそうなので、結構殺伐とした仕事だな。と思うなど。


 そう思うと、訓練を積んでいるとしても平和な精神世界だったヒューノバーは、やはり穏やかな人物なのだろう。深層心理でのあのヒューノバーは正直もう出会いたくはないものだが。


「ヒューノバーって穏やかですよね。潜った時あんまりにも平和だったので、ギャップが起きないか今から心配になりますよ」

「そうねえ。あいつに潜ったことはないけれど、抜けてるし平和ボケした心理世界してそうよねえ」

「あれ? でも私を喚ぶってなった時に、ヒューノバーのバディってどうなったんですか?」

「ああ、あいつのバディが私のバディの浮気相手だったから、なんか振られたとかいつだったか聞いたわね。浮気された挙句振られたの可哀想だけれども、それでフリーになったし警務局に引き抜かれたし、あなたの番って言う名誉職になったし、ま? 結果的に良かったんじゃあないの?」

「……ヒューノバーも苦労してるんですねえ」


 ヒューノバーは私から見れば優良物件だろう。虎の顔は格好いいし、のんびりしたギャップも可愛らしいと感じるようになってきた。一応エリート職らしい心理潜航捜査官だ。案外モテていたのでは、と聞いてみると、あ〜、ね。とミスティから煮え切らない返事が返ってきた。


「あいつ確かに種族的に考えても良い物件だけどねえ。なんか、あんまりにも鈍いって聞いたことあるから、指輪の件とか案外意外なのよね〜」

「私が来ること前提で警務局に入ったのなら、相手を作ろうと思わなかっただけなのでは?」

「ちょっと遊ぶくらいなら良いと思わない? 喚ぶ前なら。でも誘い全部断ってるらしいって先輩職員複数人から聞いてたからねえ。余程あなたに期待していたか、はたまた別の理由があるのか」

「……不安になるようなこと言わないでください」


 ラーメンを箸で啜りながら、しばし無言が続く。特に気まずくもならないのはミスティがさっぱりしているからだろうか。ふと思い立ったことを聞いてみた。


「そう言えばなんですけど、心理潜航捜査班ってこの施設内にあるんですか?」

「ええ、あるけれど。ああ、顔合わせでもするの?」

「明日会うことになったんですが、どんな感じなんですか。雰囲気とか」

「まー……なんというか。陰気臭いわね」

「……ヒューノバー、よくそんな場所で病みませんね。明らかにタイプ違いそうですけど、根明と」

「心の中に入るって結構きつい場面もあるのよ。政治犯とか可愛いものよ。外の警察から協力要請あると、殺人の場面とか被害者がレイプされている場面とか、見たりするから」

「恐ろしいですね……」

「まあそれがあるから、プライベートは知らないけれど、職務中は結構どんよりしてるわねえ」


 心理潜航捜査班、結構癖が強いヒトが多そうだ。明日が憂鬱になりながら箸を動かそうとすると、ミスティがぽつりと呟く。


「ヒューノバー、やっぱりあなたに入れ込んでるんでしょうねえ」


 咀嚼しながら顔を上げ、飲み込んでから口を開いた。


「ヒューノバー、人間が好みだったりするんですかね」

「そう言う噂は無いと思うわよ。ただ、やっぱり期待はしていた分、愛情注ぎたいんじゃない?」

「え〜……私期待されるほどの人間でも無いんですが……かなり自堕落人間ですけど」


 ヒューノバーは現在の私に好意を寄せてくれてはいると感じはする。けれど、それが喚びビトだから。番になると決められていたから。という理由ならば正直少しばかり寂しさを覚える。本当の私自身を見てくれている訳では無いからだ。


「あなたにも思うところはあるでしょうけど、関係築くのはのんびりでも大丈夫よ。誰だって最初は初対面。そこから少しずつ知っていけば良い」

「……本当の私、知ってもらえるんですかね」

「大丈夫よ。あいつみたいにのんびり牛歩でもね。じゃ、私食べ終わったから。じゃあねえ〜番ちゃん!」


 ミスティは席を立ってトレイを持つと去って行った。あの人小馬鹿にはするが、助けてくれたし悪いヒトでは無いだろう。


「味噌ラーメン美味いなあ〜」


 ミスティの優しさに、なんとなく実家近くの口が多く気のいいおばちゃんがやっている定食屋を思い出した。

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