一話④
ドサリ、と朝日が照らし出す部屋で、翼人の少女が寝台から転がり落ちる。気持ちよさそうな寝顔で、よだれを垂らしていたのだが、不機嫌そうな表情で周りを確認している。
「いったぁ…」
追い打ちとばかりに積み上げていた本の塔が崩れ、
昨日、中途半端に乾かした髪はあちこちが跳ね上がっており、鳥の巣のような、いや芸術的な形となっている。
「ふぁ…んんっ」
大きなあくびをし体を伸ばした後に、一日の予定を組み立てているようだ。
(先ずは洗濯物を洗濯屋に持っていかないと。それから…今日は朝市の日だっけ、じゃあ朝市で朝食を買って午前中に本を片付けるかな。午後は予定は後で考えればいいかなー)
予定が決まれば動くのみ、寝間着から街着に着替え、寝癖の塊を手櫛で
そこら中に転がっている衣服を拾い集めて籠に押し込み、銭入れを衣嚢に突っ込めば準備は万端。元気よく朝の街へと繰り出すのであった。
―――
近所の洗濯屋には、溜め込んだ洗濯物の山に呆れられ、少々のお叱りを頂いた。心付けを添えることで、快く洗濯を請け負ってもらい素楽は今、朝市にいた。
何日かに一度、松野の街の大広場にて商人以外でも店を出せる楽市が開かれる。朝から開かれる市、もしくは朝一番で場所取りをしなくちゃならない市、ということで人々は朝市と呼んでいる。
多い品物は春の野菜類だが、飲食物を提供する屋台、装飾品や工芸品の露店、土産物なども並んでいる。
人波をかき分けて歩みをすすめていると、読売が声高らかに瓦版を売り歩いてもいるようだ。素楽は読売に小銅貨二枚を渡して、内容をななめ読みにしていく。
見出しには『
中には商隊と鷲啼以北の農村が被害を受けたという、素楽の知らなかった情報も書かれている。
チラリと周りの人々の顔色を窺ってみれば、不安の色が濃いように見える。賊が現れるなどというのはここ数年なかったので、余計に不安なのだろう。
(組合に顔だして依頼の確認だけしとこっかなー。後は登城した方がいいかな、有事ってことになると思うし)
一八歳までは冒険者としてある程度の自由を約束されている彼女だが、有事の際は戻ってこいと言付けられている。
(必要なら出頭命令が届くだろうし、あたしはあたしで動いておこうかな)
読み終えた瓦版を丸めて屑籠に放り捨てる。
しばらく朝市を見て回った素楽の腕には、肉や野菜、芋といった雑多な食材で彩られた串焼きの紙包みが抱えられている。
串焼き屋台の店主が気前よくおまけをくれたのでほくほく顔だ。兎角愛らしい少女然とした容姿をしている故に、わりかしよくあることで得なものだと素楽は考える。
丁度今も揚げ饅頭の屋台で一つおまけされている。
「ありがとーね、小父さん」
ひらひらと手を振って素楽は人混みに紛れる。
手元にある串焼きから、美味し気な匂いが鼻をくすぐる度に、早く食べたい衝動に駆られるので、そろそろ帰路につこうかという時、一つの露店を見つける。
朝市でも特別珍しい古本の露店だ。店主は偏屈そうにも見える老人だが、よくよくみれば読みふけっている古本は流行り小説で、髭に隠れた口端は上向いている。
足を停めて素楽が品揃えを確認すると、店主側も気がついたようなのだが一瞥だけして視線を小説へと戻していった。容姿的に冷やかしと思われたのだろう。
並んでいる古本で多いものは小説類だろう、特に歴史小説と推理小説がお気に入りのようだ。
素楽の好みは学術書と図鑑類なので、興味が唆られる品はないのだろう。表題を見る目が滑っている。
そんな古本群の中に一冊だけ異質な物を見つける。
(これ何語だろう?ギジェン語でもショルツ語でもない。海の向こうにある国々かな?)
「この本って何語で書かれているかわかりますか?」
店主は素楽の指差す本をみて、首を横に振る。どうやら彼にもわからないらしい。
「どこで手に入れたかってわかります?」
銭入れから中銅貨を一枚取り出して渡す。情報料だ。
髭をさすりながら入手経歴を思い出しているようだ。何度も難しい表情を見せていたので、直近のものでないことを窺える。しばし考えた後、店主はしゃがれ声でおぼろげな経緯を話す。
彼は松野から南に位置する青沢の街で古本屋を営んでいるとのことで、今日は足を伸ばして朝市に店を開きに来たと。見慣れない言語の古本は、彼が店を開いた翌々日、今から大体四五年前に仕入れた代物で、無口な
当初は喜んで買い取ったのだが、今まで売れ残り続けた古本なのだと。物好きな蒐集家に商談を持ちかけたこともあったのだが、食指が伸びる相手がいなかったらしい。
本自体は好きなのだろう手入れは怠っておらず、数十年前の代物にしては質がいい。
そんな曰くのありそうな本に、なぜか素楽は興味が湧いてしょうがなかった。
「中身を見ても?」
どうぞ勝手に、といわんばかりの仕草で彼は手元の小説へと視線を戻す。
パラパラと頁を捲って見れば、内容はすべて文字で書かれているもので、図解や挿絵のようなものはない。文字以外があるのであれば、取り付く島もあるのだが、全文文字となっては解読は難しいだろう。
(ギジェンやショルツ系の文字じゃなくて、桧井や八耀の文字に近いのかな。でもわかる文字はないなー。……ん?よくみると違う文字もある?複数の言語で書かれている?知ってる言語ではないし、全く見慣れない形だ)
「これっていくらで売ってもらえますか?」
素楽は多分に興味をもった古本を購入しようと、店主に値段を尋ねる。まさか購入したいなどといいだすとは、これ微塵も思っていなかったようで、少々驚いたような表情を見せる。
世に二つとない本である。値が張るようならば一旦家に戻って、春に貯えた金子を使おうとまで考えていた。
銀二十、とだけいった店主はじっと素楽を見据える。払えるのかとでも言いたげな挑戦的な瞳でだ。
銀貨二十枚とはすなわち金貨一枚である。市井で使う分には金貨など使い勝手が悪いので、もっぱら銀貨での取引が多くなる。
本一冊に金貨が一枚、それが高いかといえば高い方に分類されるだろう。百年も二百年も前ならばいざしらず、今現在であれば書物の値段はそう高くない。
「銀二十ね。ちょっとまって」
即断即決。考える間すら見せる様子もなく、彼女は銭入れから銀貨を二十枚取り出して店主へと手渡す。
銀貨を受け取った彼は、長年手元にあった古本に若干の思い入れがあったのかなかったのか、チラリと一瞥だけして手元の小説へと視線を戻したのであった。
―――
朝市を出た素楽は串焼きを食みながら組合へと向かっていた。
帰るついでに掲示板の様子だけ確認しに行くようだ。
(わぁ、すごい大盛況ぶりだねー)
中に入るまでもなく中の熱気が伝わってくるような、そんな雰囲気を組合の建物から感じることができる。
なにせ、ひっきりなしに冒険者らが出入りしているのだから。彼らは声を張りながら慌ただしく、あちらこちらに向かっている。
「おや、赤羽じゃあないですかい。見た限り今日は休みじゃ?」
尖った長い耳をした男が素楽に話しかける。彼は長命の率いる傭兵団の団員で、
この耳の長い種族は
「休みだねー。でもほら、賊が出たってことだから依頼だけでも見てこうかなって」
「なるほど、そういうことで。まあ、だいたいは想像通りと思ってもらっていいですぜ。お上の方でデカく冒険者の募集がありましてね、金子と武功を稼ごうって腕に実力のある冒険者は、大はしゃぎしてるんでさ。ウチもその一つですがね」
「それじゃ傭兵団は、これから染田の街か上川の村あたりにでも行くの?」
「だいたいはそんなところですねえ。一応は小鳥の村って案も出ているところでさ、向かいながら決めるかって話を終えたところですね。ところで鷲啼の情報を持ってきたのは、どこぞの
「…確かな情報じゃない、というかある程度推測が入っていいなら、独り言が零れちゃうかもねー」
駆け出しの頃に大分世話になったということで、素楽は無償で協力する。
カシワが怪我をしていた場所と雪丸の進行方向の推測から、ある程度の襲撃範囲を告げる。城に送った書簡の内容だ。
「賊の規模も大きいことだし、旧上川の廃村辺りを根城にしているかもね。あくまであたしの推測だけどね」
そうあくまで推測。そしてこれは考え事が口に出てしまっただけなのだ。
「おやおや、風の囁きが通り過ぎていってしまいましたねえ」
聡耳の方も何も聞かなかったと嘯く。
「そんなことはさておき、何か困ったことがあったらお手伝いするんで、どっちのあんたでも気軽に声をかけてくださいな。あたしらはあんたの味方ですぜ」
彼はそっと人混みに消えてゆく。口ぶりから素楽が、誰の子だということを知っているのだろう。そもそも家名を名乗っていないだけで、本名なのだから隠す気すらないのだが。
掲示板の状態を知るという目的は達成されたので、素知らぬ表情で帰路につく。
―――
共同住宅の郵便受けと掲示板を確認していると、一室から元気な男児が飛び出してくる。
「あっ!素楽じゃん!最近全然見なかったな!」
やや生意気そうな表情の彼らだが、素楽を見かければ子犬のように駆け寄ってくる。
「おはようございます」、はい
「そうだった、おはようございます!」
「よろしい。春は採取依頼が多かったから、たんまりと稼ぎにいってたんだよー。圭太はこれから手習い所に?」
「おうよ!勉強頑張って城で働くんだぜ、かっこいいだろ!」
名は
この歳から城仕えを考えるとは、なかなかに堅実思考なお子様だ。
彼が勉学を怠らなければ、数年後にはこの共同住宅ではなく城で素楽と顔を合わせることになるのだろう。
「かっこいいねー。ちょっと口開けて」
あー、と開け放たれた口に、冷めた揚げ饅頭を一つ放り込む。
「勉強するなら甘いものがほしいでしょ。それじゃ頑張ってねー」
口をもごもごさせながら礼を言う圭太に手を振って、素楽は階段を登り自室に戻る。
歩きながら朝餉を終えているので、これからやることは散らかった本の片付けである。
ゴミ屋敷、というほどの惨状ではないのだが、やはりそこらに本の山、本の塔が出来上がっているのは不便というもので。
窓を開けて換気を行いつつ、散らかった本を系統ごとにまとめていく。
一番多いのは図鑑類だろうか。見れば同じような図鑑もあるのだが、著者や刊行年が違うものを並べていく。植物、動物、魔物、鉱石宝石、星座など節操のない蒐集っぷりだ。
次に多いのは実用書や専門書といった類だろう。こちらは本当に雑多で、彼女が暇つぶしに目を通しているものが多く、途中で読み辞めることも珍しくない。栞のようなものが半端な場所に刺さっているのは、読み終えていないものだ。
残りは小説類。しかしこちらはあまり数が多くない。英雄譚や冒険譚といったものと、幻想譚くらいであろうか。彼女の趣味ではない一群だ。
この系統からわかることは、素楽にとって読書というのは知識を得るための手段でしかないということだろう。趣味、と呼ぶにはいささか味気ないものだ。
そんなこんなで、時一つも片付けに注力していれば、見れるくらいの部屋にはなるもので。満足気な表情を浮かべる素楽である。
もうじき正午という時頃、この部屋に住んでいる住人が目を覚ます。
どこにいるかといえば、窓際に置かれた棚、その中段の鉢植えに埋まっている。
土から飛び出した葉を揺らしながら、本体たる根を見せる。ふっくらとした太い主根には目と口に見える部位があり、素楽を見つけるとピッと声を上げる。
お化け人参とよばれる植物、のようななにかで、学者の間では未だに意見がまとまっていないらしい。彼らは動物のように動き回る植物で、鳴き声を上げて仲間内で意思疎通を行うのだが、どうやって発声しているのかすら不明なのだと。
そんなお化け人参なのだが、彼は昨年の夏に山中で干からびているのを素楽に発見されて、鉢植えに植えて水を掛けていた復活したのだ。
名前はニンジン。飼い主の名付けの才が疑われる。
水を掛ければ満足したのか、土の中に隠れていった。
朝市で購入した古本を眺めながら時を過ごせば、日は暮れてゆく。
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