十話
「それでも俺は
『いや、別に』
って答えた。お袋に食欲がないところを見せたくなかった俺は、無理矢理朝飯を胃に詰め込んだ。そして、こう思うんだ。何とか飯は食えた、ってね。何度この台詞を心の中で呟いたことか。
多分、飯を食わないとどんどん痩せていってしまうという不安感から、少しでも安心感を勝ち取るための台詞だったんだ。離れにくい不安感を少しでも取り除くためのね」
彼は、今度は大きく深呼吸をした。そして、私に微笑みかけると、
「俺、おかしいでしょ?」
と、こう訊くのだった。それに対し私は、
「ううん。おかしくない」
と、きっぱりと伝えた。おかしくない、というこの言葉は私に限ったことかも知れないけれど。
「ふふふ。でも、少し変わってるわ」
そして私は、この様に付け加えておいた。
「だよね」
苦笑いを浮かべながら、彼は、再び前を向く。
「朝飯の後ね、俺は思い切ってお袋に話してみることにしたんだ。この一連の不安について。軽くね。その時、お袋は俺の隣の部屋にある鏡台で、化粧をしてた。北大の女の子のことは口にしない。
ただ、二週間前くらいに、バイトで受験生を持つことへのプレッシャーで不安になって眠れなくなったことがあり、その日から心の調子がちょっと悪い。こんな感じの伝え方。鏡に映るお袋に向かって俺は言ったよ。
息子の異変に何かしら気づいていたとは言え、お袋も少し驚いたのかも知れない。お袋の反応はこうだった。
『あんた、気をつけないとヒロコちゃんみたいになっちゃうんだからね』
と、後ろに居る俺に半分だけ振り返って言ってきたんだ。俺の家の近所に、子供の頃よく遊んでもらってたお姉ちゃんが居てね。その人が、会社で男の上司にいじめられたと言うか、いつも強く言われてたみたいで。精神的に参ってしまって、会社を休みがちになってしまったらしいんだ。
多分、俺がそのヒロコさんみたいになってしまうんじゃないかって。そう思って一瞬不安になったんじゃないかな」
彼は、しばらく口を閉ざした。意識的に、沈黙の間を設けているように私は感じた。
「ここで俺は若干の焦燥感に包まれた。その時のお袋の言葉にね。て言うか、気をつけろって言われても、どうすりゃ良いんだよって思った。勇気を出して打ち明けてはみたけど、結局、俺の不安感を増幅させるだけだった。こういう時は息子を安心させる言葉を投げかけるもんだろ、って正直思った。より不安にさせる様なこと言ってどうすんだよ、ってね」
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