五話

 私たちの背後を、ジャージ姿の女の子が走り抜けて行った。中学生くらいの女の子だ。ペースがとても速い。陸上部の子かな、と私は勝手に想像した。


「それまでの俺は、自分の気持ちや感情を心の中に溜めこんでしまう人間だった。本心だったり、本当の素直な気持ちを人に話さない人間だった。両親には絶対に話したくないし、話さない。

 何でそういう風になったのか。実は俺自身もよく分からないんだ。振り返って考えてみても、ね。・・・まあ、尤もらしい理由を考えるとすれば、親には自分が何を考えているのか知られたくなかったし、他の人から意見を否定されて、自分が傷つくのを怖かったから、かも知れない。

 だから俺は、そういうスタンスで生きてきたせいか、友人に対する不満や悪口、陰口を言わないことにしてた」


 しばしの沈黙。

 でも、と私は口を開く。


「あたしは、あなたのそういうところ、好きよ」

彼の、人の陰口・悪口を言わないというスタンスについて、私は素直な気持ちを口にした。

「・・・」


 彼は、前を向いて微かに笑っただけだった。

「実はその事については、他の理由もあるんだけどね。それについては、また後で話すよ」


 そう言ってから、彼が不意に笑いだした。

 今度こそ私は、どうしたの? と訊いていた。


「人にここまで詳しく話すのは、始めてだなと思ってさ」

「そうなんだ」


 それから、私も前を向いた。



「俺はもう一度電話帳を開いてみた。ようやく一人、話せる人が見つかったよ。それは室長だった。きっかけとなったのは、例の生徒二人だったからね。一番話しやすい相手だと思った。勇気を出して室長の携帯に電話してみたんだ。

 でも、留守電だった。俺は何もメッセージを残さずに切ってしまった。正直もう、どうしようかと思ったよ。遂にじっとして居られなくなって、俺は部屋の中をグルグルと歩き回り出した。とにかく落ち着かなくて、気持ちがソワソワしてた。

 ところが、間もなく携帯が鳴った。室長が折り返し電話をかけてきてくれたんだ」


 彼が、再び一呼吸置く。


「全部正直に話したよ。受験生を受け持つのは、かなりのプレッシャーだ、って。特にあの二人の担当はきつい、って。そしたら室長は、だったら担当変えようか、と提案してくれた。結局、最後まで面倒見る、って言っちゃったけどね」


 昨年度、彼は、ハヤト君とサトコちゃんの二人をきちんと最後まで担当していた。


「人に話を聞いてもらうだけで、こんなにも気持ちが楽になるんだ。その時、俺は初めてそう思った。一つ学ばせてもらったよ」

「あたしもそう思うよ。話してしまった方が、全然楽。溜めこむのはよくない。だけど、パワーが要るよね。話を切り出す勇気を持つことへのパワーが」


 今の台詞は、半分は自分に言い聞かせるように喋っていた。私はふと前方を見つめる。先程、私たちを追い抜いて行った女の子は、もはや米粒ほどの大きさになっていた。

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