古よりとこしえの花束を

九条朱雀

序幕

 いつからだったろう。生きることを諦めていたのは。

 貧困に苦しみ、天災に脅え、明日の光を拝むことすら保証されなかった生活に未練などなかったが、あの日、自身に向けられた村の人間の顔が忘れらぬまま気がつけば飢えも感じぬ人では無い身体へと変わり果てていた。

 生贄など有ってないようなものだ。そこに神はいないし、それはただの口減らしだ。

 人は何かを信じて縋らなければ生きていけなかった。

 桜の花が嫌いだった。

 脳裏にこびり付いて離れない、あれは桜の舞う季節だった。

 故に桜は自身にとって忌まわしさの権化であった。

 あれほど苦しんだ飢えも、悲しみも、少しの喜びすら無い世界では息が詰まるようだった。

 確かにそこに存在しているはずなのに、何も感じない無の感覚が悍ましく、孤独と虚しさに生を実感できなかった。そもそも、とうの昔に人間であった自身は死んでいたのだ。

 何のために人間ではなくなってまで存在しているのだろう。自嘲しようにも笑い方すら忘れていたことにもまた、何も感じなかった。


 残雪が融け始め生き物が次第に目覚める頃、幾度目かの桜の季節がやってきた。あれから幾ら刻が過ぎたのか、もう長い間目にしなかった人間が現れた。

 錆浅葱色の布を身に纏った桜の似合う儚げで美しい少年だ。

 彼は言った。「あなたが山のかみさまですか」と。

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