第5話

 複数の大学を連携した研究。打合せには、遠隔の会議システムが使われている。東大の最先端の研究所と、連携している複数の地方大学との間で。研究に従事しているある地方大学の助教が報告をしていた。


「伊野先生、数日前から研究用に癌化させたマウスが変なんですが」

「変? どういう意味ですか?」

「いなくなったというか、消えたというか、変わったというか?」

「もっと正確に伝えてください」

「死にかけて動けなくなっていたはずのマウスが、どこにもいないのです」

「よく確認して下さい。紛失もミスも大問題につながります。研究倫理講習でさんざん言われたでしょう」

「そうなんですが、癌で死にかけのマウスが数日で完全に回復するってあるんでしょうか?」

「何を馬鹿なことを言っているんですか。そんなことがあるはずもないでしょう。もちろん、そういう奇跡の薬を開発できれば素晴らしいとは思いますが。もっと、地に足を付けて研究しなければなりません」

「でも、間違ってなければこいつのはずなんですが。数日前は歩くこともできなかったマウスが、今目の前で元気に走り回っています。というか、他のどのマウスよりも元気なんですよ。まるで若返ったみたいに?」

「ほかのマウスと間違ってるんじゃないですか。検体番号のラベルは確認しましたか? あるいは記載ミスもないか、もう一度よく確認して!」

「はい。もう一度確認してみます。ただ、どう見てもこいつなんだが、おかしいなぁ…」



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 あれから、俺は飯田サキと頻繁に連絡を取り合っている。ただの明るく真面目な看護師かと思っていた第一印象が今では懐かしい。こいつはとんだ食わせ物だ。とは言え、この異常な企みを進めるうえでは最高のパートナーでもある。俺にとっては、秘密が見つかったのが彼女たちで本当に運がよかったというべきだろう。リリは寡黙な研究者といった体だが、こちらも情報漏洩の危険性が低い。


 一方で、連絡していた悪友の刈谷ともメールでの連絡がついた。ただ、この急展開に際してはっきりした相談ができずにいた。さすがにこのプロジェクトに巻き込むわけにもいかず、中途半端な言い訳に終始している。勘のいい刈谷だから、何かあると気づいたかもしれないが、距離があることに加えてあまりに突飛な俺の置かれた状況を理解できるとは考えられない。ただ、俺としては将来的な保険の意味でつながりは保っておきたい。


 すぐに新しい携帯も手に入れ、そういう意味でも表面的には日常を回復している。前の携帯情報を失くしてクラウドデータしか復元できていないが、不便がある訳ではない。奪われた携帯はもう接続を切ったし、警察からもその後特段の連絡もなく事件はすっかり風化しつつある。

 毎週土日には、宗教施設を用いて高梨リリによる儀式という名の実験が行われているらしい。宗教儀式では、もちろん本名は出していないんだろうが、調べればわかるはずである。ただ、普通に考えれば宗教家の巫女と病院の研修医ではかけ離れすぎていて、両者が同じとは容易に結びつくとは思えない。

 俺はと言えば、事前に血液をサキを通じて渡しているだけで、儀式には一切タッチしていない。サキの勧めもあり、基本的にリリと俺のつながりを断ち切っており、接点は存在しないことになっている。


 実際はリリの実験結果は、儀式によるものも儀式以外も含めてサキを通じて聞いている。そこで新たに分かったことがいくつかある。例えば、簡単なところでは俺の血の効果は人だけではなく様々な動物でも確認できた。ただ、昆虫には効かなかったこと。すべてを網羅できているわけではないが、おおむね哺乳類や鳥類など恒温動物に及んでいる感じのようだ。ところが、なぜか植物には多くはないもののある程度の効果が見られたらしい。これは俺も試して、確認している。血を土に混ぜると元気になった感じがしている。ただ、即効性がある訳ではないのでやや微妙。すなわち、哺乳類ほど顕著ではないということ。そもそも、動物と植物に関しどのように比較すべきかも俺にはわからない。

 一方で、怪我の回復必要な血液は少量で良いが、人の病気回復に必要な血液は比較的多くなる。それでも50ccも使えばほとんどの病気は完治するらしい。これは宗教儀式を通じて行った実証実験結果であり、その後の病院での経過報告も儀式を施した信者から得ているらしい。これをテストケースとして、今後の顧客に向けた効果のデモンストレーションも兼ねている。

 実験の結果として、すでにリリは複数の信者から生き神様扱いを受けているらしい。俺は血液を提供しているだけで、その場には同席していないから雰囲気もわからないが、長年治らなかった病気が旧回復すればそういうこともあるだろう。加えて、若干だが若返りの効果と呼ぶべきものもあるようだ。これは病気により表面的に進行していた老化が回復したためではないかと思うが、体が完ぺきな状態に近づくことで生じている可能性もある。ただ、これの宣伝は絶対にしない。仮に俺の血が若返りの秘薬になるのであれば、情報が漏れ出るだけで俺の命は一瞬で貪りつくされるだろう。考えるだけで寒気がする。

 なお、儀式では俺の血を飲ませているらしいのだが、詳細な方法については聞いていないので不明である。普通、血を飲まされるとは思わないだろう。俺の血は他の液体とも混ざらないので、味付けや見た目を変えるのも難しいと思うのだが。


 だが最も重要な知見は、俺から採取した血液はおおよそ三日で効果を失うということである。すなわち、取り置きができない。冷蔵しても同じ。そもそも冷凍はできない、というか治癒効果がある間には凍結もしない。そして、おおよそ三日が経過すると普通の血液に戻ってしまう。戻ると共に効果がすべて消える。治癒効果は全く残っていない。これが時間経過とともに徐々に性能が落ちているかどうかはまだ不明だが、直感的にはある時点で突然効果が消えるように感じている。個人的には、この取り置き問題はちょっと悔しかった。これができていれば、俺は都合の良いときに血を抜いておけばOKだったのだから。


 あと、リリの一番の目的である俺の血の増産についても、まるっきり目途がたっていない。治癒効果がある時間帯には、俺の血は一切の分析機器・装置に反応しない。それどころか、重さを感じられるにも関わらず重量すらも計測できない。計測装置が一切反応しないのだ。メカニカルな秤でも同じ。だから、組成どころか存在すらが調べることができないのである。異世界の鑑定でもできればわかるのかもしれないが、現状において再現などと口にするのも恥ずかしいレベルなのだ。何も進んでいない。


 また、俺の血の効果がいつまで続くかについても判明していない。怪我の場合には回復後に傷口が現れたりはしていないが、この能力を得てから数か月。突如切れる可能性もゼロではない。ただ、使っていない血液の効果が三日でなくなるとすれば、回復した部位は三日を超えても大丈夫だとすると、元の傷が復活するという危険性は低そうではある。病気なら再発ということもあるだろうが、あくまで個人的感想として怪我の場合には気にしなくてもよさそうだと思っている。



「簡単に言えば、あなたの血液は有効期限三日間だけの不思議物体。ファンタージ的な素材である『ポーション』ってところかしら」


 飯田サキが俺に向かって話しかけてきた。場所はこのプロジェクトのために借りている安い事務所。地方都市の良いところは、こうした場所が選び放題だということ。賃料が信じられないほど安くて済む。先行投資費用は安いに越したことはない。そのうえで、ここ以外にも離れたところにいくつか秘密の場所も用意している。情報が漏洩した場合に潜むための場所である。


「なんだそれ?」

「あら、ケンジはポーションを知らない?」


 ケンジとは俺の下の名前。サキが名刺を見てそう呼び始めた。俺は嫌がったが、気づけばこれが日常として定着してしまった。


「それって、ラノベの世界の中だけのものだろ」

「そうよ。でもこの表現がぴったりじゃない? というか、これから秘薬であるポーションをリリが儀式により生み出していることで進める。いえ、それも隠した方がいいわね。でも、儀式にはこうした設定がとても大切なのよ」

「設定はいい。ただ、情報が広がることで、俺よりリリが攫われたりしないのか?」

「場所を限定しているから、他の場所では生み出せない設定。あと、大きな宗教団体というのは別の意味で力を持っているからね」

「設定に関しては任せる。それに宗教団体が隠れ蓑として最適なのは俺も認める。ほんと、今回はメンバーが最適だった。だが、希望者が増えすぎて押しかけることのないように、受け入れ対象者はうまく間隔を開けて設定してくれよ。俺が血液採取に耐えられないからな」


「わかってるって。それよりも、あんたこそ会社でボロを出してないでしょうね」

「当然だ。俺が普通の生活を送る上での生命線だからな。転勤がないように、地方採用への切り替えも申請している」

「なんて理由で申請しているの? まさか、都会に疲れました。田舎のほうが過ごしやすいです。とか言ってるんじゃないわよね」

「なぜわかる?」

「本当にそれで申請しているの? 噓でしょ!」

「悪いか!」

「怪しまれなければいいんだけど、それに、転勤拒否を彼女には上手く説明できているの? 遠隔なんでしょ」

「そっちが一番難しい。この前も少し口喧嘩になった」

「そろそろ、ポーションプロジェクトが本格始動なんだから、身辺整理はきちんとしておきなさい」

「おいおい、その名前にいつ決まったんだ?」

「今に決まっているじゃないの」


 サキは、三人の中で最年少。俺より二つ下の23歳のはずなんだが、交渉事には一番向いている。本人は認めていないが、どうも彼女の目的の中に政財界のコネクションづくりが大きなウエイトを占めている感じがしている。父親は超大物政治家なのだから、血は争えないといったところか。

 一方のリリは俺の三つ上で28歳なんだそうだが、どう考えても研究者肌でこの企みには向いていない。だが、彼女にとっては俺の血液を分析して再現することをライフワークに据えている感じがある。だから、ある意味最も積極的でもある。研究には金が必要だ。そのためにも、このプロジェクトを成功させたいみたいである。既に宗教施設内に自前の研究室を作っていると聞いた。情報秘匿のために研究は一人で取り組んでいるようだが。

 俺の血の有効期限はおよそ三日。物証からは、よほどのタイミングで調べられない限り秘密は暴かれない。何が隠されているか見つけられることはないだろう。


 サキとリリは5歳も違うのに、イメージとしてしっかり者の姉役が年下のサキで、引っ込み思案の妹役がリリに俺の中では位置づけられている。一度思ってしまうと、この感覚は覆しづらい。ちなみに、サキには兄が二人いるそうだが、苗字が異なる。つまりは、認知はされているが家族ではないという関係のようだ。リリにも兄弟がいるらしいが、そのあたりは詳しく教えられていない。リリが本音の部分で宗教を嫌っているというのも理由の一つかもしれないが、双方とも俺が踏み込む話でもないと割り切っている。


 どちらにしても、現時点では俺に変な接触や追及は来ていないし、そろそろ収穫の時期は近づきつつある。



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「本当に、この病気が治るのだな」

「100%とは言えないようですし、情報源も宗教団体関係者に限られますが、治癒の儀式を行った後に検査した医療機関の情報が正しければ、これまではかなりの高い確率で完治しています」


 車いすに乗っている老人の顔色はかなり悪い。重要な臓器にダメージがあるのは間違いないだろう。すなわち、このままではもう長くはないということ。


「移植ではないんだな」

「はい、ほぼ死んでいたはずの臓器が再生したと聞いています、適合性の問題もないと」

「本当ならば素晴らしいが。こんな場所まで出向くのだ。もしこの儂が騙されているとすれば許しがたい」

「複数の医師が再生を確認しています。これは私が直接医療機関で本人にあって確かめました」

「だが、現代医療では不可能と聞いた」

「伊野先生に依頼して大学でも調べていただいたのですが、そんな方法はないとかなりご立腹のようでして。ただ、先生は何らかのトリックがあるのではないかとおっしゃっていましたが、間違いなく余命半年の患者が回復したという事実はあります」

「うむ」

「奇跡でもない限り考えられないのですが、複数人の治った患者は存在しています。ただ、奇跡の代償かわかりませんが、儀式を実現するためには地脈が重要で、どこでもできるという訳ではないとのことです」

「それでこんなところまで呼ばれたわけか。ただ、それでも本当に治るのであれば何でもよい」


 老人の発する声には生気がない。強気の言葉とは裏腹に、死を間近に感じているようである。

 ここは北陸地方のK県の山中にある、とある宗教施設の研修所。その駐車場からは、車いすに乗る老人とそれを押す秘書。そして複数の体格の良い護衛。宗教施設の玄関に向かって歩いている。季節は秋。しかし、まだ寒いというほどではない。ただ、北陸の秋・冬にありがちなように、雨こそ降ってはいないがどんよりと曇っている。


「しかし、澤田の小娘が窓口とはな」

「認知はされたが、関係は薄いと聞いています」

「昔一度会ったことがある。ただ、光気会とつながりがあったとは知らなかったが」


 老人が宗教団体の名前を出した。


「あくまで、【光の巫女】への仲介のようですが」

「ふむ、【光の巫女】か。光気会は我が党とのつながりはなかったな」

「はい、これまでは政治そのものとのつながりが薄い宗教団体でしたので」

「ということは、何らかの方針転換があったということか」

「まだ明確には接触はありませんが、その可能性は高いと考えています」

「金や票ではなく、奇跡によるつながりということだな」

「仰せの通りです」

「変に食い荒らされぬよう、気を付けなければならぬな。金は出させても政治に口は出せせぬようにせねば」

「今のところ、明確なアプローチはないようですが」

「よい。公安を使って調べさせておけ」

「承知しました」

「先にもう少し調べておきたかったが、儂の体がこれだからな」


 訪れた建物は信者の研修施設であるため、それほど豪華な仕様ではないが、最低限の集会機能と宿泊機能を備えている。そして教祖が奇跡を行うとされる儀式部屋。ただ、【光の巫女】がそれを行うまでほとんど使われていなかった部屋でもある。

 狭い玄関では、一人の小さな若い女性が複数の信者を引き連れて待っていた。




「ようこそいらっしゃいました。森迫先生」

「お前が、澤田の娘か?」

「…はい、ですが私の役割はあくまで【光の巫女】の行う奇跡の仲介役です」

「それは奴への借りにはならないという理解でいいか?」

「これは奇跡を司る行為であると同時にビジネスです。父との関係は一切ありません。ですから、貸し借りにもなりません」

「それにしても、いい値段を言ってくれたな。だが、奴の政治資金に回るのでなければいいだろう」

「では、契約手続きを別室で行います。それまでは、森迫先生は彼らが案内する部屋でお待ちください。もちろん、護衛の方々もご一緒に」

「いいだろう。だが、奇跡とやらがまやかしであったなら……」


 飯田サキはその恫喝に対しにやりと笑った。

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